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父と娘

 壁際には様々な機械や図面や本などが整列していた。

 人は自分以外にいない。机と椅子もあったのでそこに着き、退屈した澄恵は難しそうな書物が並ぶ棚から比較的易しそうな書籍を抜き出して開いてみる。


 『ハーメルンの笛吹き男』


 最初に目についたのは、昔ドイツのハーメルンという町で起きた事件の記述だった。

 パラパラとページを捲ってみると、他にも歴史的に実際に発生したという奇妙な事象とその概要が並んでいる。

 父が出版した本だった。

 彼は、そうした出来事には妖精が係わっていたために歴史の捏造でおかしなものになってしまった伝承があると睨んでいた。それらをまとめた作品なのだ。

 何度か読んだものだったのですぐに澄恵は本を書棚に戻して、スマホで電話してみることにした。

「あ、もしもしパパ。あたしだけど、まだお仕事ひと段落しないの?」


『澄恵か』

 結構早く出て、父親は応答した。

『すまない、会議中でな。そこにゼノンドライブがあるだろう、自由に見学していなさい』

「この、おかしな壺みたいなのがそうなのよね」

 再度立ち上がってケースに触れながら、浮遊する異形を見上げる。

『そうだよ、まだ柳野内やなぎのうち元副所長と共同開発した試作品プロトタイプに改良を加えた段階だがね』

「柳野内さんって、パパのライバルだった人よね」

 世間一般の噂に沿って、娘は訊いてみる。実際、やめてしまったという副所長とは以前見学しに来た際に一度しか会ったことはなく、そのくらいしか知らなかった。

 柳野内博士は、もともと大学教授でもあった澄恵の父の下で助教授として働いていた若い女性だ。

 彼女も天才とされてはいたが、あらゆる面で澄恵の父には及ばず、表には出さなかったが嫉妬していたという。そうしたこともあってか、以前プロトタイプのゼノンドライブを開発したが失敗し、以来行方をくらましてしまったとされる。


『……ははは』父親は困ったように笑った。『柳野内さんがどう認識していたかは知らないけど、少なくともパパは大切な同僚だと思っていたんだけどね』

「ふーん」

 話半分に聞きながら、澄恵は壁際に並ぶもののうち設計図らしき図版も見物してみた。が、描いてある内容は酷く難解だ。

「うーん、やっぱゼノンドライブってあたしの頭だけじゃちんぷんかんぷんだわ。パパがいないと」


『そんなに難しくはないよ』

 言い切って、父親は解説しだした。

『クオリア問題などがあるように、外部で受ける物理的刺激がどうやって精神になっているかはまだ不明慮だ。魔法があった時代も、結局は精神を介して術を行使していたはずだろう。だから、パパは内心に着目してそいつを創造したんだ。

 未解明な人の心は魔法に近い。ならば外部の魔術を認識するとき、人心と繋がっているのではないかと分析したんだよ。現在、君はそいつを視覚で捉えているだろう。近づけば匂いや音も感じるはずだ』


「へー。これって、匂いとか音もあるんだ」


『あるよ。視覚での認識がそうであるように、臭覚や聴覚でもなんとも表現できないものとしてだけれどね。そして像と重なったときに触覚で、あるいは心象で理解することで、精神部品としてゼノンドライブが心中に形成されるだろう』


「じゃあ、もう完成してるってこと?」


『誰も重なっていないからわからないんだよ。そのときなにが起きるかもね。魔法や精神と同様に結果を解析しきれない。下手をすれば、宇宙を滅ぼすかもしれないんだ。ゼノンドライブが完成したら、そのくらいのエネルギーも想定されているからね。無論、悪人や妖精に取得されても大変だ』


「え、じゃあどうするのよ」

 澄恵はちょっとゾッとした。爆弾と同室にいるような錯覚を覚えたからだ。

『だから困っているんだよ。けれども最大の難問は……』

 間を空けてもったいぶる父親の次の言葉に、ごくりと息を呑む娘。

『――そこの制御室のデザインだ。もっといろんな工夫をしてかっこよくしたほうがいいかな?』

「どうでもよくない!?」

 ずっこけそうになりつつも、どうにかツッコむ澄恵。天才のご多分に漏れず、父親はいつもこんな調子の変人でもあった。

『む、そうなのか。重大なことのはずなのだが』

「ねえ」

 めんどうになって、澄恵は話を進める。

「それで会議はいつ終わるの。ゼノンドライブ自体は興味深いけど、眺めてるだけならネットの動画とかのほうがいいよ。あたしはどっちかっていうとパパの案内で研究所を回るのが楽しみだったんだけど」


 おもしろい父親のことを慕ってはいたが、彼は忙しかった。学問としての『魔法科学』成立以来、同分野で初の博士号取得者にしてノーベル賞受賞者なのだから、仕方なくもあった。

 ゼノンドライブも博士が発明したこの一つしかない。当然、本来は一般人はおろか家族でもこんな見学はできないのだが、娘であるためか彼が抜けているからか、頼んでみたら今日だけ許可されたのだ。

 もちろんスミエは実際のところあまりこの発明に関心はなく、多忙な父親と久しぶりの交流をしたかっただけだ。


『む、すまないな』父はそれが遅れていることを詫びた。『議論が予定より長引いてしまっていてね』

「にしては、あたしと電話でだいぶしゃべってるけど平気なの?」

『そうだったな。では、晩御飯はなにがいいかという議題は切り上げてそちらに向かおう』

「だから、どうでもよくない?」

『む、そうなのか。ならばすぐに向かおう。失礼するよ、みなの衆』

 父親が告げて、受話器の奥で研究員仲間たちらしき残念そうな声がした。同僚も変わり者ぞろいのようだ。


 ……このとき、事態が急変したのだった。

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