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第16話 吉野家

 2


 その日は悪天候、つまるところ雨だった。

 葬儀場に参列する多くの学生たちは、"彼女"のことなど知らない日とが大多数だ。そんななか、集まってくれたのは”彼女"の友人のひとりに彰というクラスの中心人物が声をかけてくれたからだ。

 彼女の名前は涼宮雨。あの世という桃源郷に彼女が行く際にさえ、天候には恵まれなかった。いや、ある意味雨の神様に愛された結果かもしれないので、本当のところは分からないが。

 線香を僕は立てて、合掌する。遺影の彼女は、あたかも曇り空、晴天の霹靂のような表情を浮かべていた。


 火葬の前の昼休憩。僕は弁当の"味"を感じる牛肉を食べながらふとスマホを弄った。写真フォルダに仕舞われている多くの雨との愉しげな写真たち。

「どうして………」と思わず漏らしてしまう。

 自分の味覚障害は治った。君に治してもらったんだ。次は君に恩返しがしたかった。そしてそれ以上に君の笑っている姿をもっと見たかったんだ。


 本当に突然の出来事だった。彼女は僕の家の食堂から帰宅途中、通り魔によって胸を刺され、殺害された。その話を親伝から聞いた僕はその場に崩れた。


 いったい…………どうしてこうも神様ってやつは不幸なやつを責めるようなことばかりするんだ。


 それから、僕は自堕落に堕ち、料理人という夢を諦めた。


 とある都から雨が上がり、晴れ渡った。それは歓喜か、はたまた悲嘆か。


 3


 目蓋を開ける。心地のいいほど揺れる車内。ここは大阪市内の阪急電車の中だ。時代を感じるほどに錆びれた車内や外観に、歴史がある浪花を思わせる。

 平野都は、わざわざ独り暮らしをするためだけに大阪市のアパートを借り、それから市内の高校に通う予定だ。

 両親は悲しんでいた。それもそうだろう、小学生のうちから、将来は料理人になり実家の家業を継ぐと豪語していたのに、今となっては自分を見失い、逃避行のように彷徨っている。


 ――ピコン。メールの着信音が鳴った。都はそれのアドレスを見る。とある出版社だった。内容はというと最終選考に残ったことを伝えるものだった。

 この出版社の文藝紙に載れば将来は芥川賞を目指せるのだ。茨の道かもしれないがそれでもやってみたかった。

 やらせてください、とメールを送信する。

 宝塚本線の十三駅に降りる。同じく乗客がまばらに降りた。都が改札を通り、天を仰いだ。曇天でいまにも雨が降りそうな天候だ。早足で借りたアパートへと向かう。

 駅から早十分。駅近な物件であるところのアパートの二階に上がり、大家から預かった鍵で玄関の戸を開ける。荷物が運ばれていないので殺風景な室内だ。都は腕時計で時間を確認する。午前十時。東京から新幹線に乗り、新大阪駅までおおよそ二時間半。それから梅田まで二十分。そして阪急電鉄に乗り換えて十分。つまるところ、利便性がいいと言うわけだ。ざっと移動時間の累計が三時間なのだから。七時に東京駅の新幹線に乗車したわけで。

 そんなどうでもいい交通時間について考えながら、都は腹が減った、と感じる。スマホの地図アプリで調べると駅前に吉野家があるそうだ。そこに行ってみることにする。


 ………そういえば、彼女が亡くなってから外食なんてしなかったな。味覚障害を患ってからも。

 事実、味覚障害は治らなかった。それに加えて大切な人の喪失によって食事を楽しめる余裕が無かった。

 そうすると駅前に着いた。人が行き交う交差点を渡り、吉野家の店内に入る。独特の牛肉を煮込む酸味の効いた匂いが漂う店内。僕はカウンター席に座り、並盛の牛丼を注文した。

 五分程度で運ばれた。牛がふんだんに使われたそれを、勢いよく掻き込む。租借しながら今度は紅しょうがを丼の上に乗せた。また掻き込み完食する。五百円をテーブルに置いて、退店する。

 あまり味がしなかった。あのくどい程濃い味なのに、味覚センサーがほとんど反応しないことに、自分はもう料理人として大事な器官が一生戻らない気がして、少し焦燥感があった。 


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