梅雨が明け、夏休みが始まった。
いま、市内の市民プールに来ている。隣には水着姿の雨がいる。
「いまの私たち、傍から見るとカップルとか思われているのかな」
「どうだろう」
確かにそうかもしれない。だとしたらどれだけ嬉しい事だろう。
そしたら挑発するような目線をこちらに投げてくる、雨。
「ねえ、今カップルだったら嬉しいなあとか思ってない?」
「……」
「思っているんだ。嬉しいなあ」
ニコニコと陽だまりのように笑ってくる。僕はそんな雨に心奪われそうになった。
「どうする? 本当に付き合っちゃう?」
「……だとしてもこの場でプロポーズはしないと思う」
「そう? でもプロポーズ大作戦、楽しみにしている」
「聞いていたか? あとそれと……なんか、君が例えで言うドラマの名前はどれも古臭いな」
するとニコニコしていた雨が突如として不機嫌になった。「私、感性が古いって言うの?」
「どうして急に怒り出すんだ」
「だって、感性が古い小説家って、それだけで終わりじゃない」
「何が終わりなんだ。いろんな小説家をいま敵に回したぞ」
「そうかしら」
「そうだぞ。ってか、僕ウォータースライダーに行きたいんだけど」
「勝手に行って来たら」
不機嫌な彼女と別れ、ウォータースライダーへの長い行列に並ぶと、後ろから声を掛けられた。振り返ると彰が立っていた。
「おう、彰」
「まさかお前がいるだなんてな」
筋肉質で腹筋が割れている、そんな彰。脇腹に手を置いて、
「あの味覚障害で絶望の淵にいたお前が、一人でこんな有頂天を具現化したような場所に来るとは」
「一人じゃないぞ」
「えっ、じゃあ家族と来てんのか?」
僕は首を振った。「雨と一緒に来てんだと」
「ふーん。あいつが」
けたけたと笑いだす彰。それに嫌悪感を抱く僕。
「どういうことだよ」
彰は「ちょっとフードコードに行こうぜ」と言った。込み入った話だろうか。それならば、と頷いて列から離れる。
フードコードでたこ焼きと焼きそばを購入し、それをシェアしながら食す。
「で、雨ちゃんのことだが彼女、お前に惚れてんだよ」
「分かってる」
「そうだよな……知ってるよな。ってえ? 知ってんの?」
「あんな明け透けだったら誰だって気付く」
「いやーお前ってどこぞのラノベ主人公みたいに超鈍感だと思ってたからなんか意外だわ」
僕は肩を竦める。
「そうか?」
「そうだよ」彰がたこ焼きを口に放り込む。ハフハフと熱すぎたのか口の中で冷ましている。
「まあ、俺は彼女からお前への想いを聞かされてさ。その好きになった理由とかさ」
「おっ、それは知りたいかも」
「彼女から聞くんだな」
僕は背もたれに体を預けた。
「だよなあ」
焼きそばを啜る。濃いソースの味が舌に纏わりつく。
「焼きそば、美味いか?」
「ああ、美味い……」
「じゃあ滑りに行くか」
「おう」
僕たちは立ち上がりもう一度ウォータースライダーへと向かおうとする。そしたら、彰が伸びをする。
「あいつは献身的にお前のことを支えようとしてくれる。それに応えてやれよ」
「そうだよな。重々分かっているよ」
二人して歩いていると遠方に雨の姿と、三人の中肉中背の男がいた。ナンパ野郎だろう。
「彰、助けに行くか。ってえ、彰?」
周囲を見渡したが彰の姿が無かった。探しに行くにも。こうしている間に雨が危険に曝されるかもしれない。
少し恐怖心はあるが、それでも雨を助けに行くため、ナンパ野郎の許へと向かう。
「お姉さん可愛いね。どう、俺たちと遊ばない?」
「いや、私は……」
「もしかして、友達と来ている感じ? だったらその友達も呼んじゃおうよ」
ナンパ師が雨の肩を掴もうとしたとき、その手を僕が払いのけた。
「その友達ですけど」
「チッ、男いんのかよ。行こうぜ」
ナンパ師たちが去っていく。
雨が俯き、「ありがとうね」と赤面した。
「別にいいよ。ほら泳ぎに行こうぜ」
頷いた雨は、僕に付いてきた。
「さっき彰がいたんだよ」
「えっ、彰君が?」
「そうなんだよ。びっくりしちゃってさ。あいつは僕と違って友達多いから、たぶん友達と来ているんだろうけど……」
「私も友達、少ないよ」
「そうだよな。君が他の人と喋っているところ見たことないよ」
「ディスレクシアのせい、って言うのもあるけどね。前の学校で授業中にノートを取っていなかったら、虐められるようになっちゃって」
彼女がそう、憂鬱気味に語る。僕はその言葉に少し苛立った。
「障害を持っていようがいまいが、君は君だろ。虐めるやつのことを心のなかで侮蔑すればいいのさ」
彼女は涙目にも感謝の言葉を言ってくれた。
「これだけは約束する。僕の味覚障害は治る見込みのあるものだ。でも君のディスレクシアは治らない脳の機能障害だ。それでも僕は君を見限ったりしない。なぜなら、僕は君に恋煩いしているから」
すると背にあった噴水が勢いよく水を噴出した。足元に小さな虹がかかる。
「恋煩い?」
「ああ、そうだ」
鼻から息を吸い、一息に言葉を言う。ありったけの感情を含ませながら。
「僕は病気になったんだ。雨のことを想い続けてしまうという病気に。
君の笑顔を見れば幸せになる。君から、からかわれれば苛立ちも幸福のうちだと解釈できる。君が悲しめば、一緒に泣きたいと思える。そんな存在に出逢えたんだ」
唖然としているのか、雨は沈黙していた。だがその後、ツゥ、と一筋の涙が彼女の目元から溢れた。
「私、誰かに必要とされた経験が正直に言って無かったんだよね。でも都君と出会えて自分が誰かのかけがえの無い存在になれることが、こんなにも幸せなことなんだって、知ることが出来た。これは私にとって生涯の財産だよ」
雨は僕に抱きついてきた。
「ねえ、キスしない?」
「いいけど、僕ソース臭いぞ」
焼きそばとたこ焼きのソースの風味が、まだ口内に残っているのだ。
そしたら彼女は澄ました顔の後、笑って見せた。
「それは嫌だなあ………そうだ!」
彼女が僕の頬に口付けをした。
「ふふっ、顔赤くなってる」
「そりゃ、なるだろ。初めてなんだし」
「ふふっ、バーカ」
僕は、こんな幸せな時間がずっと続けばいいと思っていたのに。
どうも神様は意地悪みたいだ。