僕と彼女は、悪天候のなか傘を差して歩いていた。
パチパチと傘の面に弾ける、雨粒。その弾ける音がまさしく綺麗なメロディで。僕は恍惚としてしまった。そんな僕の様子を見ていた彼女が少し引いている。
「なんでそんな顔しているんですか?」
「僕はこの梅雨の時期が好きなんだ。雨が傘の面から滴り落ちるなか、歩いているとなんか心が洗われるような気がしてね」
上機嫌に鼻歌を奏でだすと、雨が「そうですか……私は嫌いです。雨」と喋った。どこか憂いているようなその言葉、口調に引っかかり思わず訊ねてしまった。
「どうして雨が嫌いなんだ?」
「だって、せっかくセットした髪もボサボサになるし、化粧のノリも悪くなるし、なにより陰気臭いでしょ。雨って」
そう言って彼女は天を見上げた。恨めしそうに雨粒を見つめる彼女の姿。
でも、彼女の名前は『雨』だ。自分の名前には何かしら特別な意味を持っていると考えるのが普通だ。
彼女は違うのだろうか。
「なあ。君は雨っていう名だろ? それだったら、もし僕が君と同じ立場なら自分の名前に使われているような言葉には、少なくとも愛着くらいは持つよ」
「変な人ですね。天候に愛着を持つだなんて。嫌悪はあれども好きだなんて気持ちは持たないですよ」
「……名前の由来とかって聞いたりしないのか?」
彼女は苦笑いを浮かべた。そんな表情はべったりと憐みと哀しみが隣接しているようで。
「あの人は私が三歳の頃に男を作って逃げたんですよ。家庭からも、私からも」
僕は、しまったと思って彼女に謝った。
「いいんです。もう、過去の話なんで」
やはりそう言いながらも彼女の顔は悲しみを讃えていた。
僕は握り拳を作った。勇気を振り絞るように。
「お母さんに、いつか会いに行こう」
「はい? どうして?」
「君は今の自分にコンプレックスを持っているように僕からは思えるんだ。単純な問題かもしれないが自分の名前を愛せないなんてそんなの、アイデンティティの欠如じゃないか。余計なお世話かもしれないけど、面白い小説を書くためには自分を愛することが必要だと思う。文豪たるもの猫背で社会や自分に憂いているだなんてそんなの、時代遅れだって」
長い言葉を一息に言うと、彼女は僕の顔を見つめてきてそれからクスッと笑った。
「なんか、都君のほうが小説家に向いているかもしれない――水着を買ったら私の家で小説の練習でもする?」
……小説家に向いているとは初めて言われた。ゴーストライターをやるうえで何よりもそのことがモチベーションを持つうえで重用だってことを。
近くのショッピングセンターに着いた。五階建てでこの地区では一番大きい承っピングセンターだ。
店内の水着エリアに来たのだが、はっきり言おう、女子の水着を一緒に選ぶことはとても恥ずかしいかった。
「都君が選んでくださいよ」
「どうして」
「どうしても、です」
そう言われて僕はさあっと周囲を見渡す。赤いビキニやオレンジの水着など。雨は端正な顔立ちだから、どんな水着でも似合ってしまうだろうな、と思う。
僕は、恥ずかしながら水色のフリルのついた水着着てほしいと言った。
「なんか、都君ってセンスいいですね」
「そうだろ」
「もっとエッチな水着、選ぶかと思ったのに残念」
「それは君にとって残念なのかな」
「残念だよ~」
そうでもないような顔をしながら試着室へと入っていく。
僕は、なおも恥ずかしかった。なぜならいま、試着室の中では雨が着替えをしているからだ。それを想像するだけで男の部分が元気になってくる。
がらがらと試着室のカーテンが開かれる。驚いて見遣ると女性的な成長が著しい、遠慮せずに言えば胸や尻がでかいナイスバディな雨の姿がそこにあった。
「どうかな。都君?」
「すごく可愛いよ」
「ふふっ、お褒めにあずかり光栄です」
天真爛漫な姿とまるで清楚なビジュアルには相反していた。でもそのギャップこそが、萌えなのかもしれない。
「なに考えているんですか?」
「いーや。ほら早く行こうよ」
「えーもうちょっと遊ぼうよ」
「僕は早く君の部屋に行きたいんだよ」
そう言った僕に対して、雨は恥ずかしくなったのかカーテンで体を隠し頭だけ出して、
「このエッチ」
とか言い出した。その言葉を聞いた僕は思わずずっこけてしまう。
「エッチ、じゃないよ。小説を教えてくれるんだろ」
「それ以上のことを期待しているくせに」
「ん? それ以上のこと?」
そしたら見る見るうちに雨の顔が真っ赤になっていき「もう知らない」と言い放ち、シャッとカーテンを今度はすべて閉めた。
「ちょっとからかいすぎたかな」
まあいつもからかってくるのは雨だし、これぐらいやってもいいだろ。しめしめだ。
雨が試着室から出てきて、ご機嫌斜めな彼女を機嫌を取りなおすために店内のフードコートへと向かった。そしてフードコートで彼女にラーメン大盛りとバーガーショップでてりやきバーガーとLサイズのポテト。カフェで抹茶フラペチーノを奢らされた。
もう自分は金欠だ。どこか店内の冷房が寒く感じた。そして懐も寒い。
もりもりパクパクと食している雨の姿を頬杖を突きながら見ていると、「見られながらだと食べにくいです」と言ってきた。
「いや、可愛いからさ。ほんと」
「うっ、は、恥ずかしい……そう言えばなんですけど、私が転校してきたときも見つめてきていたじゃないですか。どうしてなんです?」
「あのときは君に見惚れていたんだよ。後で気付いたんだけどね」
そしたらまた赤面する雨。
ああ、こんな時間がずっと続けばいいのに。