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第12話 邪魔すんなら帰って

「お邪魔しまーす」

「邪魔すんなら帰ってー」

「はーい」


 食堂に訪れた雨を自然な関西弁のノリで引き返さした。

 亜鉛サプリを飲み、水で一気飲みする。だがその間の十分間、雨は食堂に訪れなかった。

 するとラインのメッセージが来た。ボイスチャット。それを聞くと彼女の声で、「今日は帰りますね」とある。

 慌てて引き戸を開けると「わっ!」と右手から雨が驚かしてきた。それに驚いてしまう僕。


「やーい。引っかかったー」

 くすくすと笑う雨。それに憤って「本当に帰るか?」と半目で言う。そしたら反省したのか彼女が「すいません。ほんの出来心だったんです」と謝る。

「まったく。まあ僕もふざけちゃった部分もあるし、キスで許してやる」

「いいですよ」

「……は?」

「だからいいですよって。ほら早くしないと天気が悪いから降られちゃいますよ」

「え、えっと」

「それとも、都君の部屋でやりますか。そこだったら邪魔も入らないし。二人っきりで」


 二人っきりで部屋でキスをする情景を想像してしまう。思わず自分のオスの部分が刺激され活発になってしまう。少しガニ股な態勢になって「ば、馬鹿なこと言うのはよせ」と抗議する。そんな反発に大笑いする雨。

「相変わらず面白いですね。可愛いです」

「く、くそ。からかいやがって」

「だがそんな彼女は可愛い」

「変なリーディングするんじゃない。そんなことは一ミリも思ってはいない」

「だって変態さんにはこれぐらいお灸をすえないとね」

「何様だよ」

 全く、理不尽極まりない。

「じゃあ、本当に上がらせてもらいますね」

「ああ」


 二人して食堂へ再び入る。さっと雨へ視線を移すと小綺麗な服装が確認できる。

 クリーム色のニットにブラックのロングスカート。そしてヒールだった。

 思わず嘗めてんのか、と感じる。

「失礼ですがそのお召し物では……」

「えっ、駄目なの」

 駄目に決まってんだろ。普通に。料理場でヒールとかあぶねえよ。

「あの戸棚にスリッパがあるから。靴だけでも履き替えて」

「分かりました。せっかく気合い入れた格好にしてきたのに……」

 と、愚痴る彼女を見てやれやれと思ったので、「練習が終わったらデートでも行こうか」と言ってあげる。すると雨は喜んだ顔を見せてきて、

「ホントに? だったら梅雨が明けた後にある、プールのための水着選びに行こうよ」


 料理を習うよりも意欲的にそんなことを言ってきた。僕は苦笑いを浮かべる。

「そんな二、三カ月も先のイベントのために水着買いに行くのか?」

 はっきり言って理解できない。だが雨はしおらしく、

「だって、都君に可愛いって言ってもらえるような水着、買いたいんだもん」とかめちゃクソ可愛いことを言い放った。思わず息を飲んでしまう。

「ああ、顔赤い。照れてくれているんだね」

「ち、違うよ。ちょっと蒸し暑いだけ」

「ふーん、本当かな」

「ほら、早く」


 まったく都君は素直なんだから、なんて言いながらスリッパに履き替える。

「で、今日もとんかつを作るの?」

「いや、亜鉛中心とした治療食を作ってもらいたい」

「え、なして亜鉛?」

「味覚障害に亜鉛接種治療が効果的らしいんだ。それを三か月ほどやるだけでエビデンスがある」

「ふーん、良かったね。羨ましいよ」

「ん? 羨ましい?」


 唐突に羨望の眼差しで見られたことに困惑が、勝ってしまう。

「だって比べるようなものじゃないけど私の障害のディスレクシアは、脳の機能障害だからさ。一生治らないからさ」

 僕は息を飲んでしまう。確かにその通りだと思ったからだ。けれど皮肉ともとれる言動に嫌な気持ちがしなかったと言えば嘘になる。

 それでも彼女の気持ちを察すると居た堪れない気分にもなる、

 だから何も言えなかった。


「大豆のキーマカレーはどうでしょう」

「大豆のキーマカレー?」

「はい。それだったらかなり亜鉛を摂取できると思います」

 彼女は今度は何も言わず冷蔵庫を開けた。冷蔵庫の中にはカレーの元となるスパイスが豊富に並んでいる。それに彼女は少し微笑んで、


「この店はカレー屋さんですか?」

「違うに決まっているだろう」

「へー。だとしたらこのスパイスは何に使っているんですか」

「馬鹿なこと聞くなよ、カレーに決まっているだろ」

「ええー、クミンとコリアンダーは分かるんですよ。にしたってこのブートジョロキアって、本格的なインドカレーでも作る店なんですか?」

「えっ、そんなにおかしい?」

「おかしいですよ。ブートジョロキアってすごく辛いんですよ。あっ、だったらこれを使って味覚が戻るかを検証してみましょうか。万が一戻ったら辛みと激痛でもがき苦しむだろうし。ざまあです」

 肩を竦めた僕。やれやれと言った感じに言葉を発する。

「そんなのは嫌だぞ。もしかしたら味覚が一生治らない気がする」

「確かに、ブートジョロキアショックでね」

「そんな学名があるのか?」

「今作りました」

「いい加減だな、おい」

「でも、なんかありそうでしょ」

「いや、ぎりぎり陳腐な表現だわ」

 そしたら彼女は笑った。「まったく、面白いなあ」

 僕はムッとして「もう知らないよ」と言うと、彼女は、

「もう拗ねちゃって」

 となおもからかい続けた。 


 それから雨が大豆のキーマカレーの作り方を見ながら調理を始める。

 玉ねぎをみじん切りにしている。するとぐずっと鼻をすすり雨は涙目になる。

 それからフライパンに油をさっと通し、先ほどの玉ねぎとひき肉を入れて、ホールトマトと大豆、パプリカを加え、トマトをつぶしながら炒める。水分がなくなったら、一旦火を止め、スパイスの調合を僕が教えながら、そのスパイスを入れて弱火でかき混ぜながら五分さらに炒める。完成したら皿に盛り付けて「いただきます」と合掌し、僕は一口食べる。スパイシーな風味が鼻腔を通る。そしてほんの少しの甘味が舌にべたついた。


「美味いよ」

「本当ですか!」

 雨は目を輝かせて、有頂天になっていた。そんな姿がおかしくて失笑してしまいそうになる。しかし彼女の頑張りは認めているので、素直に褒めた。


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