翌日。天気は快晴だった。
私、涼宮雨は覚醒と共にベッドのそばに置いてあったスマホの録音機能を使って、どんな夢を見たか、それにまつわるアイデアを声に出して記録していく。
自分は発達性ディスレクシアという障害を患っている。
普通なら、文字を読んだり書いたりすることが難しい。常人なら読めるはずの文章でも、私には古代文字のようにしか見えない。つまりは読めない、ということだ。
それでも、小説を書けているのは文明の利器によるものが大きい。執筆にはスマホのスピーチライターなるものや、読み上げソフトを代替えして用いる。
小説を読むときもそうだ。ネットでコピーライターと契約し、読みたい小説の文章をWordに起こしてもらい、それをボイスソフトに読み上げさせる。値段はピンキリで、文庫本なら数千円。ハードカバーなら数万円ほどだ。中学生のわびしい小遣いではしょっちゅう利用は出来ない。はずれの作家を引いた時には癇癪を起しそうになるほど苛立つこともある。
普通に、文章を読んでみたいとどれほど思ったことか。文体から文体への視線の移動にしか味わえない、スリルや興奮があるものだと勝手に思っているのだが。
ある有名ネット小説の第三十五話の文章を読み上げソフトに読ませながら、ブレザーに着替える。ネクタイをきゅっと結んだあと、立ち鑑を見下ろした。最近太ってきたんだよな。
『勇者は言った。【君は勇敢な戦士だと】だが魔王は不敵な笑みを崩さないまま、そんなおだてには乗らないぞ、といった感じだった』
私は思わず振り返った。ノートPCは憮然としたまま単調に読み上げていく。
「どんな展開よ。それ」
ネオページのウェブ小説投稿サイトには当たりはずれが大きくある。まるで振り子のようにその振れ幅は大きい。
たまらずスペースキーを押して読み上げを終了させる。
「これは作者、エタるわね」
今まで散々完結まで至らなかった作品を聴いてきた。そのたびにどこか惜しい気持ちがしてならないのだ。
自分よりも優れた能力を持っているのに。投げ出すなんてもったいない。
たとえ凡人でも、自分のようにディスレクシアなど持ってはいないのだから。
階段を駆け下りて、リビングへと入る。味噌汁の匂いが食卓から香っていた。兄の智也が沢庵を咀嚼しているため、ぽりぽりとした音がわずかに響いている。兄しか朝食おw食べておらず、父はどこだと弁当を作っている母親に聞いてみると、「もう会社に行ったわ」と不機嫌に言われた。母親がどうして不機嫌なのかは分かっているつもりだ。
私は母親と血が繋がっていない。再婚したお父さんの連れ子なのだ。母尾にとって私は邪魔な存在。消えてほしいのだろう。それを察しているから、私はこの家でも品行方正に暮らしている。
そのほうが楽だから、
智也は母が作った弁当を。私は渡された五百円を握りしめた。この愛情の落差も、全て私は認めている。だって、唯でさえ「障がい者」による世間の目が家庭には厳しいのに、そんななか、母は耐えてくれているのだから。私は知っているのだ。ご近所付き合いで母が陰口を言われていることを。謝りたいけど、そんなことをすれば優しい母は自身を惨めに思うだろう。それだけは避けないといけない。
智也と一緒に外に出る。そしたら彼はこちらを見遣り、バッグの中からタッパーを取り出した。そこに弁当のおよそ半分ほどを入れてくれる。
「ほら。毎日コンビニ弁当じゃ飽きるだろ」
「ありがとう」
「じゃあ、俺、駅に行くから。学校頑張れよ」
「うん。智也くんも」
智也は去っていった。
私はまだ、彼のことを兄だと認められていない。その訳は、転勤族である自分の父親が彼を振り回しているからだ。高校二年生である彼を、一時父の転勤が原因で朝四時半起床で始発の電車に乗って登校させていたこともあるぐらいだ。本当に申し訳ない気持ちになる。それに、彼がディスレクシアである私のことをどう思っているのかも、怖くて聞けていない。
嘆息する。そして通学路を歩き始めた。