目の前に立ちはだかる存在は黒光りする禍々しき物を、文明が生み落とした無機質な武器を構えていた。
「ギロウ、おまえの研究はもう不要だ」
雑にひげを生やした男、剃り残しが目立つが為に顔全体が雑に見えるそれは皴に塗れた顔に宿らせた瞳を鋭く輝かせる。
そんな男の殺意にラニは抵抗の言葉を掲げるも声を上ずらせてしまっていた。
「どうしてそんな。ロウ様はこれからもっと羽ばたくのに」
「所詮は使い捨てでしかない、多くの世界で言われている事だ」
労働者は使い捨てられる存在でしかなく、様々な貢献は飽くまでも雇い主の手に収まるもの。用済みであれば如何なる扱いを受けても致し方がない。それこそがこの世界に収まる数多の国が持つ認識。
「では、終わりとしよう」
労働契約書など命が無くなってしまえば紙切れと化すのみ。男は拳銃のセーフティを解除しトリガーを引いた。
ギロウはラニを抱えて素早くサボテンの方へと飛びのいた。耳を撫でる空気と叩く乾いた音。そんなおぞましい音よりも速く感じられる銃弾は果たしてどこへと消え去ったものだろうか。
ギロウは辺りを見回し地面の中に鋭い輝きが微かに顔を覗かせている様を目にした。
「あれは命の重みを薄める火薬の作用」
「そんな事言ってる場合?」
ラニの一言を受けて顔を脅威の方へと向ける。視線だけで射殺できてしまいそうな凄みを持つ彼の感情の根源は果たしてどこにあるのだろう。
「おまえはこれ以上目立たせるわけには行かない」
「なに故に」
ギロウの疑問を受けて男の顔には幾つもの皴が深みを増した。血管のように走るそれは目に入れるだけで痛みを伴う。
二度では聞き慣れない乾いた破裂音が響き渡った。サボテンは横に伸びた腕を破裂させ、ギロウは再び距離を取る。
「当たらぬか、無給の四か月で弱らないとは」
そこでようやくラニははっとした。男の低く削れた岩を思わせる固く鋭く尖った声に気付かされてしまった。
「もしかしてロウ様は」
怠惰な態度は本音交じりの仮初で、実態はこの男の実体によって為された悪事。成された貧困は雇い主の身勝手な行ないによって引き起こされたものだという事を知った。
「均衡天秤騎士団に言いつけてやる」
ラニの強気な態度を裂くように乾いた破裂音が響いて空気を削る勢いで弾が突き進んだ。男はそんな音に後押しされるように笑い声を上げた。
「その天秤も銀貨の重みで傾くというのにな」
財力は罪をも打ち消してしまうものか。無力こそが真の罪だという事か。ラニが口を開くと共にギロウはラニを引っ張り駆け出した。
「逃がすか」
男の足は遅く、一歩一歩が重たい音を響かせて運動不足を語っていた。ギロウは岩陰に隠れ、ラニに小声で告げる。
「相手は身分に甘えて怠けていたやつだろう」
「分かるの?」
ラニの目には恐怖しか映されていなかったのか。ギロウはラニの手をしっかりと握り締め、近くの岩を目指して駆けて、さらに幾つかの岩を回るように駆けて身を隠し続ける。
「落ち着いて思い返すんだ、拳銃を三発も外し、しかもラニの手を引く俺より遅かった」
「確かに」
落ち着いて分析する事、それが戦いに勝つための第一歩。敵を分析しつつ己の手持ちを見つめる。相手を知り己を知る。この戦いは情報の数で覆すことの出来るものだった。
「しかし明らかな初心者か」
拳銃の弾の残数はしっかりと気に留めている事だろう。弾切れを起こした隙にという流れを作り上げる事は困難を極めた。
「奴は今どこにいる」
岩陰から覗き込み、先ほど一部を失ったサボテンの姿を見つめてため息をついた。
「見失った」
幾つかの岩の周りを探り、ギロウを殺す構えを取っているに違いなかった。あの瞳を想像するだけで寒気に覆われてしまう。
「公には告げ口できないな」
トートバッグを探り、持ち物を確かめる。水分補給用のキュウリが数本、長いロープが一本入っており、追うように出てきたサバイバルナイフは革のベルトの付いたホルダーに収まって重みを主張している。
「油断して外してたみたいだな」
ラニはネコを思わせる目に収まった青い瞳を陽光の差し込みで満たし小さなお¥海を作りながら顔を微かに傾けて火薬の詰まった瓶を差し出した。
「調査用品か」
あの男からの貸与品。彼の手によってこの場に在るそれで傷つけられる心地は如何なるものだろう。
「あとこれとか」
ラニが差し出したものは多様な植物をすり潰して作り上げた粉だった。白湯に溶かして服用するものでそれなりに強い効き目よりも苦みが印象的だという。
「魔女の薬」
この少女が語る魔女とは決して幼子が触れる話に出てくるような魔法を使う者ではなく、多くの場合は民間療法や動植物を用いた薬や肥料を生産する者たちだという。
「粉か」
調査の成果物を包むための麻の布を取り出してギロウは薬を包み始めた。
「他にもこれとか」
幾つかの策を用意して戦闘の未熟者を追い払うための手段を構築していく。
「行けるな」
その一言を頂いてラニは今のギロウが見てきた笑顔の中で最も輝かしいもの、高級スマイルを差し出していた。