俺の
父の
ある日、俺はそんな父の肩に飛び乗り、耳元で悩みをこぼした。
「…他の詠唱はできるのに、どうして
「ヤトの詠唱はどんな詠唱だったか…今言えるか?」
「うん!えっとね…」
俺は目を閉じ、静かに、言葉を紡ぐ。
──
千の翼よ 闇を斬り裂け
我が魂よ 形を成し
天命を超え 姿を現せ
──
「ふむ…」
詠唱を聞いた途端、父は手を顎に当て、じっくりと考え込んでしまった。それを見て俺はうなだれる。
やっぱり、この詠唱は変なのだろうか。八咫烏の詠唱は、個々の魂に合った言葉を選ばなくてはならない。言葉と魂が結びつくことで神秘的な力が使える。魂にそぐわない言葉を唱えると、当然術は発動しない。つまり、俺がこの術を失敗し続けているのは、詠唱の「言葉」が魂に合っていないからなのだ。
「この詠唱、格好いいし、俺の魂にも合ってると思うんだけどなあ~」
「きっと、気持ちの問題だね」
「気持ち?」
「ヤトの気持ちが、乗ってないんじゃないかな?」
「詠唱に気持ちが必要なの?魂に合ってるかどうか、じゃないの?」
「それも大事だが、詠唱の力の源である『魂』は『気持ち』そのもの。気持ちの持ち様が大切なんだよ」
「気持ちかあ…。でも、俺ちゃんと心込めて言ってるよ。言葉一つひとつに集中してさ。ちゃんと大事に唱えてるもん」
「ヤト」
父は小さく俺を呼ぶと、手を伸ばして俺の頭を引き寄せた。そして、父は諭すようにこう
「我々も、人間も、必要な時に必要な人や言葉に出会うものだ。我々はそういう言葉を詠唱に使うべきなんだよ。そうすることで力が発揮できる。発動しないということは、きっとまだ出会ってないだけ。焦らなくても大丈夫」
「でも…」
「八咫烏は進むべき者を導く存在──。そんな我々も、また導かれている。その時が来れば、八咫烏の魂がきっとお前のことを導いてくれる」
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俺は敵を鋭く見据える。息を吸うたび、敵はじりじりと焔に迫っていた。残された時間は、ほんの数秒。俺はグッと目に力を込めた後、静かに閉じた。神経を集中させて、心を澄ます。
次の瞬間、
闇に映える美しい銀髪。強さの象徴ともいえる黒き影を
けれどもう、憧れているだけじゃいけない。俺も、あんな風に大切な人を守れる、焔のような強さを持った八咫烏に──。
そう思った時、俺の口から自然と言葉が導かれるようにこぼれ落ちた。
魂が、心が、俺の未来をまっすぐに照らし出し、詠唱となる。
──
千の翼よ 闇を斬り裂け
焔の如き 黒き影
天命を超え 姿を現せ
──
すると、竜巻のような
それもそうだ。俺は今、カラスの姿ではない。五本の指と足を持ち、
次の瞬間、バサッと音を立てて、翼が大きく開く。舞い落ちる雨粒が羽先で弾けたのと同時に、全身を赤い
すると、黒い翼から鋭利な羽が射出され、敵に襲い掛かる。俺の猛攻に敵は怯んだのか、血を流したまま素早く影の中へ姿を消した。
俺は敵がいるであろう闇に向かい、
「焔…焔…!」
俺は少年の姿のまま焔に呼びかける。だが、反応はない。気付けば、
強風のせいか、洞窟の地面は冷たく湿っていた。俺は迷わず自らの羽を手でむしり取って床に敷き、焔をそっと寝かせる。その時、彼の顔が僅かに歪んだ。きっと傷が痛んだのだろう。
「ごめん。もうちょっとだから…」
そう言って、俺は焔の手を握った。とても冷たい。雨に打たれたせいだ。
俺は涙を堪えながら、両翼を広げて焔の体を覆った。その瞬間、赤い
大丈夫、あと少し。
きっともうすぐ、助けが来る。
どれくらい時間が経ったのだろう。静かに放ち続けていた光の中、ほと、焔の頬に俺の血が一滴落ちた。
そうだ。俺も怪我をしていたんだっけ。すっかり忘れていた。気付いた瞬間、俺は力が抜け、ガクッと膝をついて小さくうなだれた。
小さな光が徐々に消えていく。少年の姿ももう長くは保てないだろう。俺は翼をそっとたたみ、代わりに両手で焔の体を包むようにさすった。少しでも熱を失わないように。
もう少し。もう少しだから──。
その時、また一滴、俺の血が焔の頬に落ちた。俺は慌ててその頬に触れ、指先でそっと血を拭う。すると、焔の
「ほ…っ!」
思わず安堵の声が漏れた。だが、焔は目を見開き、戸惑いの表情を浮かべてゆっくりと首を傾げた。
「…君は…?」
俺は思わず、自分の手足を見下ろした。
そして、少年の姿になった自分を、改めて確認する。
…そうだ。
焔はこの姿の俺を知らない。敵だと思っただろうか。それとも、誰か別の人間だと…。
何て言えばいいんだ。
俺は伝えるべき言葉が浮かばず、顔を伏せた。
すると、そっと頭に温かい、馴染みのある感触が降りてきた。焔の手だ。驚いて顔を見上げると、彼はすべてを理解しているかのように、柔らかく微笑んだ。
「……ヤト」
そのひと言で、俺の張りつめた気持ちが一瞬で溶けた。俺は目にいっぱい涙を浮かべて、焔の胸に飛び込んだ。
ぎゅっと抱きしめたその瞬間、「ポンッ」という軽やかな音と共に、
「…君が助けてくれたのか。悪かったな。面倒をかけて」
俺は焔の胸元に頭を埋めながら、めいっぱい首を振った。
人間に
俺はパッと頭を上げて、焔の肩に目を向ける。
「怪我は……!?」
焔は少し俺を離して、ふっと口元を緩めた。
「こういう時、つくづく人狼族で良かったと思う。並外れた治癒力があるからな。見てみろ」
そう言いながら、焔は怪我をした右肩を俺に見せた。完全とはいえないが、傷はうっすらと塞がり、血は止まっていた。
「致命傷じゃない。大丈夫だ」
焔の声を聞いた瞬間、胸を締め付けていた不安がふっとほどける。ほっとしたせいか、俺の体はふにゃりと力を失い、そのまま焔の腕の中へすっぽりと収まった。
「心配したあぁぁ~」
思わず漏れた声は、泣き笑いに近かったかもしれない。焔はクスッと笑うと、俺を抱えたまま立ち上がる。そして、優しく俺の羽をポンポンと叩いた。
「外を見ろ、ヤト」
促されるまま、俺は洞窟の外を見る。さっきまで怒っていた空は静まり、大雨は小雨になっていた。そして、夜空には大きな三日月。その光の下、数人の人影がこちらに向かっているのが見えた。あれは──。
「ようやく応援が来た。これで帰れる。ヤトのおかげで、無事に任務完了だ」
どこか誇らしげな焔の声が、俺にはとてつもなく嬉しかった。
この夜は、忘れられない特別な出来事。
──焔の如き、黒き影
焔のように強く在りたい。もっと強くなって、大切な人を守る。
この詠唱は、そんな俺の決意そのもの。
俺は──。
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「──ト!ヤト!」
パチ。
「な……凪?焔?」
「ヤト!!」
私はぎゅっとヤトを抱きしめた。やっと目を覚ました。さっき水遊びをしている最中に溺れて、気を失っていたのだ。時間にして十分ほどだろうか。
「苦しくない?さっき、お水いっぱい吐いたんだよ。びっくりしちゃった」
「えええ!?う…うん、全然大丈夫」
ヤトは少し照れくさそうに笑う。その様子に、私はほっと胸を撫で下ろした。隣にいた焔もそっとヤトの頭に手を添えて、心配そうな眼差しを向ける。
「本当に大丈夫か?…うなされてたぞ」
「え!?ほんと!?」
「怖い夢でも見てたの?ヤト?」
ヤトは一瞬、ぽかんと空を仰いだかと思うと、私の手をするりと離れ、バサッと羽ばたいて空へ舞い上がった。
「ううん!すっごくいい夢だよ!一生忘れない、大切な日の夢!」
そう言いながら、ヤトは「ぴやああぁぁぁ」と元気いっぱいに旋回し、くるりと舞って勢いよく焔の胸元に飛び込んだ。そして、心地よさそうに彼に身を委ねる。
「ヤト?どうした?」
「ううん。なんでもない」
ヤトは目を閉じ、まるで確かめるように焔の胸に顔を埋めた。焔は一瞬きょとんとした顔で私を見て、軽く首を傾げる。そして彼は、静かにヤトに腕を回し、優しく羽を撫でながら抱きしめ返したのだった。