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第4話

「焔、しっかり!」


 俺がそう呼びかけると、焔は咳込み、血を吐いた。やっぱり、長時間の人狼化で体への負担が限界に達しているようだ。


 せめて、肩の手当だけでもしないと…。


 そう思った矢先、前方の闇にふたつの影が現れた。敵だ。恐怖で震える体。いや、震えている場合じゃない。俺が焔を守らなきゃ、彼はミレニアにさらわれる。そして、その血を利用され続けることになる。


 そんなこと、絶対にさせない。

 俺が焔を…守るんだ。


 俺は覚悟を決め、まっすぐ敵を見据えた。

 次の瞬間、俺は静かに目を閉じて深く息を吸う。集中力を高めて、体の奥に眠る熱をゆっくりと呼び覚ます。天から授かった八咫烏の力。今こそ、それを解き放つ時だ。


 俺の体を赤い靄がぼんやりとおおう。気配が変わったことに気付いたのか、敵はわずかに身を引いた。

 俺はほとばしる力を感じながら、静かに詠唱を口にする。


 今唱えているのは、焔を守るための詠唱──結界だ。

 赤い結界を周囲に張って敵の侵入を拒む。焔には、指一本だって触れさせない。


 詠唱が終わりかけたその時、敵が一斉に駆け出した。だが、俺の方が速い。「バチッ」という電流のような音が空気を裂いた後、地面をう赤い光が弧を描き、俺と焔の周囲を包み込んだ。


 敵は助走の勢いそのままに結界に触れ、思い切り仰け反る。結界に触れ、皮膚が焼けたのだろう。体からは灰色の煙がわずかに立ち昇っている。その隙に、俺は結界から飛び出して急上昇した。傷む傷にくちばしを震わせながら、五十メートルほど上空へ。今のうちに、奴らを仕留める。


 上空から敵を見下ろすと、敵は俺が消えたと思い、混乱しているようだった。すかさず、俺は急降下を始める。十メートル…五メートル…狙いを定めて一気に落ちる。


 そしてそのまま、鋭い爪を立て、敵の背に襲い掛かった。敵は体勢を立て直そうともがくが、体はふらついている。


 今しかない!


 俺は一度距離を取り、深く息を吸った。そして、目を閉じて静かに呟く。


──


八咫の羽よ 共に舞え

我が意志を受け 敵を討て

疾風をまとい 光となりて

雷鳴の如き 刃となれ


──


 次の瞬間、俺の羽が輝き、光をまとった刃と化す。そしてそのまま、敵に迷いなく斬りかかった。


 鋭い閃光に怯んだのか、敵はすぐさま退却する。俺は数秒、その場から動かず耳を澄ました。また敵が来るかもしれない。首を振り、周囲を警戒する。だが、残るのは小さく遠ざかる足音と、木々が風に揺れる音だけだった。


 俺は静かに息を吸って、ぐっと頭を垂れる。流石に限界だ。元々怪我をしていたし、連続で詠唱を使ったせいで、体は悲鳴を上げている。


 …真の八咫烏なら、このくらいの詠唱でへばることなんてないのに。


 それでも俺は、震える足をなんとか動かし、小さく跳ねながら焔の元へと駆け寄った。


「焔…」


 くちばしで焔の制服を噛み、必死に引っ張る。だが、彼の体はびくともしない。その時、焔の胸元に水がぽとりと落ちた。


 …雨だ。


 見上げた空から、冷たい雨がぽつぽつと降り始め、やがて大粒となって俺たちを叩きつける。ぴゅうっと吹き抜ける冷たい風に、体が震える。このままでは、体力もすぐに奪われてしまう。


 再び嘴で焔の制服を力いっぱい引っ張る。そしてようやく、うつ伏せだった彼の体を仰向けにさせることができた。


 だが、見えた肩に思わず息を呑む。

 SPTの制服が、今までに見たことがないほど深く、鮮血に染まっていたのだ。俺は慌てて、彼の袖を嘴で引き裂き、傷口に当てる。


「……くそっ、くそっ……止まれ!」


 傷口に当てた布は、たちまち雨と血で滲んだ。せめて少しでも濡れないように、血が流れないように、俺は自分の体を焔の傷口に沿わせるようにそっと重ねた。


 …何をしているんだ、俺は。こんなことをしても、焔は助からない。

 俺がもっと強ければ、人間に変化へんげできれば、彼を抱えて飛ぶことも、ちゃんとした手当もできるのに。

 でも、俺は半人前。その事実が今、とてつもなく悔しい。


 その時、再び木々がざわめいた。ハッと顔を上げ、鋭く耳を澄ます。すると、木々の向こうに、ぼんやりと人影が見えた。こちらに向かって移動している。どうやら一人しかいないようだ。それだけは救いだが、もう詠唱はできそうもない。


 俺はじっと目を細め、闇を切り裂くように視線を送った。すると、敵の動きがぴたりと止まる。どうやら、こちらを警戒して様子を伺っているようだ。


 …それなら、先に仕掛けてやる。


 次の瞬間、俺は迷いなく、再び宙を駆けた。


 俺の攻撃は、どうやら想定外だったらしい。敵は一瞬、体勢を崩した。だが、すぐに立て直し、鋭い爪を俺に向ける。


 ザッという嫌な音が耳に響く。背後から切り裂かれる感触と同時に、俺の体は滑るように倒れた。起き上がろうとした次の瞬間、今度は足を斬り付けられた。


 …最悪だ。そこは、今回の任務の初めに、傷を負った場所。再び全身に激痛が走る。


 俺は必死で体を起こすが、力が入らず、バチャッと音を立てて濁った水たまりの中へ倒れ込んだ。


 痛みに震えながら敵を睨みつけたところで、青ざめた。敵の視線が焔に向いている。そして次の瞬間、敵は鋭い爪を立てて、焔へと走り出した。


 もう飛べない。どうする?

 どうすれば、焔を守れる!?

 こんな時、父さまなら──。


 痛みと混乱の中、俺の脳裏のうりにかつて父が言っていた言葉が蘇った。


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