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第3話

 暗闇からゾクリと背中を這うような声が響く。

 その声に、俺は反射的に身を強張らせた。


 誰かがいる。

 それに、焔の正体を聞かれてしまった。

 彼が「人狼族の生き残り」であるということを。


 ミレニアは、数年前に焔の故郷である人狼族の村を襲撃した。目的は、治癒力や免疫力、人智を超える潜在能力を秘めた血を人間に与え、操ること。

 襲撃では焔の従兄である御影安吾が囚われの身となり、今も生きたままその血を利用されている。


 かろうじて生き延びた焔は、それからずっとミレニアに狙われ続けている。SPTに身を置いている今も、その事実は変わらない。


 ──俺のせいで…。俺が「人狼族」なんて口走ったから…。


 罪悪感で胸が痛む。

 どうして安易に焔の秘密を話してしまったのか。知られれば、彼の身が危険に晒されるというのに。


 その時、ふわりと焔の手が俺の頭に触れた。ポン、と撫でる仕草はいつも以上に優しい。まるで「大丈夫だ」とでも言うように。


「気にするな。こいつらを全員連行すれば、秘密がバレようがなんら問題ない。そもそも、さっきから人狼の気を放っているのはこちらだ。バレるのが怖くて、陰の気なんか出せるか」


 軽く笑うような口調。それでも申し訳なさが募る。


 俺は目を閉じ、自分を恥じた。余計なことを口走っただけではなく、今日の俺は任務が始まってすぐに負傷して、気を失ってしまった。焔の足を引っ張ることしかしていないのだ。

 こんなんじゃ、焔と肩を並べて戦うなんて、到底──。


 その時だった。


 敵のひとりが再び立ち上がり、焔へと突進する。迷いのない動き。次の一撃で仕留めるつもりだ。


 焔は即座に陰の気を放ち、敵の動きを鈍らせた。そのまま、刀を抜こうとする。


 だが──。


「焔!?」


 突然、焔の体がぐらりと前へ傾いた。

 刀を抜くはずだった手が力を失い、その場に膝をつく。そしてそのまま、彼は血を吐いたのだ。


 思わず目を疑ったその時、焔の頬がまた裂けた。今度はさっきよりもさらに深く、血が線となって流れ出す。


 俺はハッとした。さっきの異変も今も、陰の気を強く放った直後に起きている。


 まさか…人狼の「陰の気」が、焔の体に負担をかけている…?


 そういえば、今日はずっと戦い続き。かれこれ一時間近く人狼の気を発している。長時間の人狼化が、彼の精神と体に負担をかけているんじゃ──?


 そんな俺の戸惑いをよそに、敵の猛攻は続く。そして次の瞬間、鋭い音とともに敵の刀が焔の肩を貫いた。


「ほ…焔ッ!」


 焔は目を見開いたまま、膝をつく。肩からは血が噴き出し、そのまま倒れ込むように地面へ崩れ落ちた。彼の腕に抱えられていた俺も地面へと転がる。泥と血の匂いが混じる空気を肌で感じて、思わず身体が震えた。


 必死に羽ばたこうとするが、羽を怪我したせいでうまく飛べない。けれど、少しだけ動ける。俺は地を蹴って、焔のもとへ駆け寄ろうとする。だが、敵の動きは俺よりも遥かに速かった。


 敵の影が一直線に焔へと向かう。もうすぐ届く。間に合わない。


 ──この姿のままじゃ、焔は守れない。


 小さなカラスの身体では、焔を守ることも敵を止めることもできない。小さな爪も翼も、怪我をした今、何の役にも立たないのだ。


 残された手は、ひとつしかない。

 俺は目を閉じ、神経を集中させて詠唱を行う。

 これは「人間になるため」の特別な詠唱だ。


──


八咫の影よ 我が身に宿れ

千の翼よ 闇を斬り裂け

我が魂よ 形を成し

天命を超え 姿を現せ


──


 言い終わり、祈るように空を見上げる。だが──。


 ──ビュウ…。


 冷たい風が頬をかすめた。また失敗だ。


 人間に変化できる八咫烏の詠唱。実はこれまで一度も成功したことがなかった。他の詠唱は発動するのに、これだけはいつも何も起きない。

 落ち込む間もなく、敵が俺を鋭く見据えた。狙いをこっちに定めたのだ。


 敵は駆け出し、一気に俺に迫る。驚異的な速さに身震いしたが、焔が血を流しながらもバッと俺に駆け寄り、抱きかかえた後ですかさず抜刀した。そしてそのまま、たったの一振りで敵をなぎ倒す。


 だが、人狼化の限界を超えた焔は、苦痛の表情を浮かべて倒れる。肩から、そして裂かれた頬からも血が滲んでいた。


「焔!焔!」


 名を呼ぶが、反応がない。俺は青ざめて胸元に頭を当て呼吸を確認する。微かに聞こえる鼓動と呼吸音。その音に胸を撫で下ろすが、安堵してばかりもいられない。彼は重傷だ。人狼化も限界を超え、体力も尽きたはず。俺を助けるためにこんなに無茶をするなんて。


 早く手当しないと…!


 俺は、傷む羽を広げて空へ飛び立った。敵の急襲を受けてすぐ、焔がSPTに応援を要請したのだ。どうか近くに来ていて、そんな祈るような気持ちで上空を旋回する。


 応援は…?応援は……!?


 三十秒ほど旋回して、俺は愕然がくぜんとした。誰もいない。この大雨だ。視界が悪くて時間がかかっているのだろうか。


 まさに絶望的な状況。そんな中、俺はある決意を抱いて素早く舞い降りる。

 今度こそ、俺が焔を守るんだ。

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