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第2話

 焔が陰の気を放出した瞬間、周囲の空気が一気に張りつめる。

 焔の気はぜるように拡がり、木の葉をパチパチと音を立てて裂いていく。木々は衝撃に耐えきれず、うめき声を上げるかのように大きく揺れ動いた。


 焔の髪は逆立ち、瞳には鋭い光が宿る。その姿はまさに「狼」。あらゆる生命を圧倒する、剥き出しの威圧感を放っていた。


 この「陰の気」──。


 生身の人間なら、近くにいるだけで震えるほどの恐怖を感じるらしい。

 SPTの訓練中、陰の気を発した焔を見た隊員たちは、恐れおののき逃げ出して戻ってこない者もいたほどだ。


 でも、俺は違う。


 俺は八咫烏やたがらすの一族。魂の構造が普通の人間とは根本的に異なる。だからだろう。陰の気に晒されても、怖いと感じたことは一度たりともなかった。


 むしろ、逆だ。


 俺はいつだって、焔に憧れていた。


 誰よりも強く、誰よりも冷静で。

 背負った孤独も、優しさと強さに変えている。そんな彼の背中を、一番そばで見てきた。


「ほ……」


 俺が声をかけようとした、その時だった。

 焔の頬が突然小さく裂け、一筋の血が線を描くように滴り落ちる。突然の出来事に、俺は目を丸くした。


 今のは…?


 敵から攻撃を受けたわけではないのに、突然頬が裂けるなんて…?


「…焔?」


 思わず声が漏れるが、彼が応えることはなかった。そして次の瞬間、焔は「ぐんっ」と大きく跳躍した。


 その直後、暗闇から影が飛び出してくる。焔はそれを飛び越え、宙を裂くように刀を振り下ろした。


 一閃。


 風をも切る速さで、敵が地に伏す。時間にして三秒もない。

 胸を撫で下ろす間もなく、今度は背後から敵が迫る。

 人の姿をしているが、異様な動きだ。四足で地を駆けるその姿は、もはや「人間」ではない。


 ──ミレニアの使徒。


 人狼の「陰の血」を注入され、常人とは違う力を持つ者だ。

 焔はミレニアの使徒を鋭く睨み、再び「陰の気」を放つ。


 突風のようにほとばしる気配。圧倒されたのか、敵の足が一瞬もつれ、動きが鈍る。


 焔はその隙を逃さない。すかさず、地を蹴り風を切り、一直線に斬りかかる。鋭い太刀筋が敵の胸元を裂き、敵は血を噴き出して倒れ込んだ。


 直後、別の敵が焔の背後へと瞬時に迫る。だが、焔は振り返ることもなく、ただ、腕を引いてそのまま刀を後ろへ突き出した。


 敵はうめき声を漏らし、そのままぐったりと崩れ落ちた。焔の肩から様子を伺うと、敵は体を痙攣けいれんさせていた。


「…急所は外してある。あとで応援に来た隊員に連行してもらおう」


 焔はそう呟くと小さく息を吐き、一瞬こちらを見やる。

 次の瞬間、彼は目を見開いた。どうやら彼は、俺がキラキラとした眼差しで見つめていることに驚いているらしい。


「……どうした?」

「焔…すっごく格好いい!!やっぱり、焔はすごいよ!」


 気付くと、俺は焔の腕の中で羽をバタつかせながら、声を張り上げていた。


 敵の急襲でさっきまで恐怖を感じていたのに、胸が高鳴って仕方がない。  


「あまり褒めるな。照れるだろ」

「だって本当のことだもん!さっすが人狼族の戦士だね!」


 焔は少し照れくさそうに笑うと、俺の頭を撫でた。

 大きい手の温もりが、心地よい。

 撫でられながら、俺は心の底からこんなことを思った。


 ──こんなに強い戦士と、一緒にいられることが誇らしい。


 焔は強いのに、それを鼻にかけたりしない。威張ることもなく、誰かを見下すこともない。


 俺の両親も「真の八咫烏」と呼ばれていて、八咫烏の一族の中では羨望の的だったけれど、決して偉ぶるようなことはなかった。焔も同じだ。


 それに焔は「人狼族」というだけで偏見の目を向けられている。それでも彼は、信念を曲げず、いつも毅然きぜんとしているのだ。


 強くて優くて。堅物だけど意外と口数が多くて、ちょっぴりお茶目。

 そんな焔が、俺はとっても大好きなんだ。


 彼に再び話しかけようとした次の瞬間、少し離れた場所からゾッとする気配を感じた。


 不気味な声が聞こえた時、俺はさっき自分が口にした言葉を酷く後悔することになる。


「…人…狼族…やは…り、か……」


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