それから一時間後。
店は急遽閉店し、店員たちは小西が暴れた後の片付けに追われていた。
今、店内に残っているのは私と財前、夏樹、他の店員さん、そしてSPT幹部の焔だ。小西は椅子に縛られた状態で気を失っている。
焔を呼んだのは財前だ。
小西に私の素性をバラした手前、SPTを介して小西をどうにかできないか焔に相談したところ、なんとSPTの本部で小西を聴取することが決まった。
私はソファに座りながら、焔と財前のやり取りを見守る。
「一応、地上げのことを口走った録音データがあるんだけどよ…」
財前が和服の袂からボイスレコーダーを取り出し、ため息交じりに続ける。
「この小西、最後に『地上げはしてない』って言っちまってるんだよ。これじゃ、証拠になんねえか?」
顔をしかめる財前。だが、焔は迷わず、スッとボイスレコーダーを受け取る。
「問題ない。これはこれで使える。それに、うちには尋問のプロがいるからな。あの小西を吐かせてみせるさ」
尋問のプロ…?
誰のことだろう…。
私が戸惑っていると、目の前に水滴のついたグラスが掲げられる。突然で思わず「わっ」と声を漏らす私。見上げると、そこにいたのは夏樹だった。ドレスが破れたからだろう。Tシャツにスカートというラフな格好をしている。
「へへっ。ビックリした?はい、なっちゃん」
夏樹は私にグラスを渡し、横に腰掛ける。グラスに注がれていたのはコーラ。私は会釈をしてひと口コーラを飲んでから、ぎこちなく話を切り出した。
「夏樹さん…ごめんなさい。私が変な嘘をついたせいで、秘密がみんなに知られることになって」
恐る恐る夏樹を見ると、一瞬ポカンとした表情を浮かべた。だが、次の瞬間くすっと柔らかく笑う。
「ううん。全然大丈夫。実はね、私が本当は男だってこと、店のみんなは知ってるの」
「え?」
「お店のみんなは家族同然だから。お客さんの中にも、稀に気づく人がいるけどね」
「そう…だったんですか」
「それに、ちょっと嬉しいの」
「嬉しい?」
「うん。なっちゃん、私が女の子だって思ってくれてたんでしょ?そう見えたんだなーって思うと嬉しくて。メイクとか仕草とか、色々楽しくて研究してるから」
私は話を聞きながら、私は大きく頷く。そりゃあもう。可愛いし、綺麗だし、優しいし、お話上手だし、いい匂いがするし、それに何より…。
「夏樹さんの笑顔、大好きです。こっちまで元気になれるから」
自分でもちょっと恥ずかしくなるくらいストレートに伝えてしまった。夏樹は目を見開いたかと思うと、満面の笑みを浮かべて私を強く抱きしめる。
「わっ!」
「もう~本当可愛いんだから!ありがとう、なっちゃん!」
夏樹の行動に照れる私。その声に反応したのか、焔と財前が一瞬こちらを振り向いた。
「そういえば、夏樹さんと財前さんってどういう関係なんですか?」
「ああ…それはね…」
夏樹は焔と話している財前をじっと見つめ、ふんわり微笑みながら静かに言葉を続けた。
「実は私ね、元紅牙組なの」
「え…えええええ!?」
驚きのあまり、今度は私が大声を上げる。再びこちらを見る焔と財前。私は慌てて頭を下げ、小さく声を潜める。
「こ…紅牙組…だったんですか!?」
「そう。一年前までね。財前さんの弟分で、身の回りのお世話をさせてもらってたんだ。もう組は離れちゃったけど、今でも弟分って思ってくれてる」
弟分…?
そっか。さっき財前さんが言いかけた言葉、「弟分」…もとい「妹分」だったんだ。
「私ね、どうしても女の子として生きてみたかったの。仕事も、生活も。だから意を決して財前さんに打ち明けてみたんだ」
夏樹の瞳がほんの少し揺れる。
「そしたらね、なんと財前さん、お店まで紹介してくれて!普通、組を抜ける時って、けじめをつけるために…ちょっと怖いことが必要だったりするんだけど、財前さんはそういうこと全く言わず、私の背中を押してくれたの。今はお店にも通ってくれて…本当に感謝してる。私の人生を変えてくれた人だもん」
そう言って財前を見つめる夏樹。その瞳は、尊敬を伴いつつも、別の感情も込められているように思えてならなかった。尊敬以上に、相手を心から大切に思う、そんな特別で、尊い気持ちを。
「さっきもそう。財前さんはね、いつも自分らしく生きる勇気をくれるの。ちょっと口が悪くてスケベだけど、そんなところが…」
夏樹は照れくさそうに笑いながら、財前を見つめる。夏樹はほんのり赤くなった頬を隠すように目線を落とし、不意に私に向き直る。
「なっちゃんは?そういう人、いる?」
突然の問いに、私は目を見開いて固まった。心臓がドキンと鳴る。そういう人……。
気づけば、私の視線は自然と焔を捉えていた。慌てて顔を伏せる私だったが、夏樹が私の視線の先に気づき、くすりと笑う。
「へええ~なっちゃん、結構面食いさんだね」
「ち…違います!そういうんじゃ…」
楽しげに笑う夏樹。照れた私はコーラをがぶ飲みして――。
「ゴホッ!」
案の定むせてしまった。
夏樹は私の背中をそっとさすりながら、優しく呟く。
「なっちゃん。もしこの人と一緒にいたいって思うなら、勇気を出さないとダメだよ。待ってばかりだとタイミング逃しちゃう。言いたいことを言わないと、いつか後悔しちゃうからね」
夏樹の言葉には、ほんの少し寂しさが滲んでいた。
すると、夏樹がおもむろに自分の頭につけていたスズランの髪飾りを取り、私の髪にそっとつける。驚く私に、夏樹はとびっきりの笑顔を向けた。
「これ、お守り。スズランの花が、幸せを呼び寄せてくれますように。また遊びに来てね。なっちゃん」
私は無意識に髪に手を伸ばし、スズランの髪飾りに触れる。すると、夏樹は焔を一瞬見て、クスッと笑った。私は、彼女が言う「お守り」の意味を知って少しだけ頬が赤くなった。それからゆっくりと横を見て、夏樹と顔を見合わせて笑った。