「てめえは…」
ゆっくりと起き上がり、苦しげに声を絞り出す小西。驚愕の表情で財前を見上げる。
「紅牙組の財前!?ってことは、紅牙組が…黒幕だったってわけか!じゃあこのガキも…」
小西の目は憎悪と困惑で揺れていた。一方、財前は虎のような目つきで鋭く見据えながら、指をパキっと鳴らし、一歩ずつゆっくりと近づく。
「ああ?何言ってんだ。俺はただの常連客だ。久しぶりに飲みに来たら、うるせえ輩がいるなあと思ってよ。見たらビックリ、白蛇会じゃねえか」
え?財前さん、何を言って…。
「お前、何か勘違いしてるぜ。このガキはな、店の新人でも、紅牙組でもねえ。あのSPTの隊員だ」
「え…SPT…だと」
店中が一気にざわめき立つ。「SPT」という言葉に反応したのだろう。私自身も目を丸くして財前を見る。
ど、どうして財前さん、そんなことを…。
「ははっ。どうせ嘘八百だろ!舐めんじゃねえ。紅牙組が裏で手を引いてることはわかってんだよ!」
すると、財前はパンっと小西にパスケースを投げ渡す。
あれは――私のパスケース!?
突然の展開に目を疑う私。財前が小西に投げたパスケースは、SPTの制服に入れていた私の身分証だ。
「さっき、そこの通路で拾った。顔写真が載ってるから見たらわかるだろ。正真正銘、SPTの隊員だ」
小西が私の顔と身分証の写真を交互に見比べ、一気に青ざめる。
「一体どうして、SPTが…」
「さあ?白蛇会に目をつけて、色々探っていたのかもしんねえなァ…悪質な地上げもそうだが、色々噂は聞いてるぜ。違法薬物の売買にも関わっているとかなんとか…」
財前は口元に薄ら笑いを浮かべながら、小西の神経を逆撫でするように続ける。その言葉に小西の顔はますます引きつる。
「ついでに言うと、俺はそこにいる夏樹の上客だ。SPTが一般人を巻き込むわけねえし、夏樹は何も知らねえはずだ。にも関わらず、てめえは店で大騒ぎした挙句、言わなくてもいい夏樹のことまでベラベラ喋りやがった」
最後の言葉が低く、冷たい怒気を帯びる。財前の目は鋭く細くなり、小西を射抜くように見据えた。
「――覚悟できてんだろなァ…てめえ!!」
店中が震えるような声で啖呵を切る財前。小西は完全に財前の威圧感に飲まれ、身を縮める。すると突然、震えながら懐に手を入れ、ナイフを取り出した。その瞬間、店からは悲鳴が湧き起こる。
私は曲がってしまったちょっと情けない形状のマドラーを手に、構える。が、財前に首根っこを掴まれ、あっさりと後ろへと引き戻された。
「う、うわっ…」
「下がってろ!」
小西の手には、鋭く光るナイフ。一方の財前は丸腰だ。しかも、色々あって彼は利き手の左手を負傷中。今はまったく使えないはず。どう考えても、圧倒的に不利なのは財前だ。
すると、次の瞬間小西が財前に向かって突進してきた。この場で刺し殺すと言わんばかりの勢いだ。
「財前さ――!」
私が叫んだのと同時に、財前は右手――利き手ではないはずの手を力強く握る。そして、一瞬の隙を捉えて一歩踏み込み、思い切り小西の腹に拳を叩き込んだ。
ドスッという鈍い音が微かに聞こえた後、小西はゆっくりと地面に倒れ込んだ。財前は小西の突進の勢いを利用して、腹を攻撃したのだ。床に倒れた小西はそのまま動かなくなった。どうやら気を失ったらしい。彼がかけていたサングラスは割れ、破片が床に散らばった。
「す…すごい…」
私は思わず声を漏らした。次の瞬間、夏樹が立ち上がり、とびっきりの笑顔で財前に飛びついた。
「財前さん!もう…大好き!!!」
だが、次の瞬間、夏樹はハッとした表情を浮かべ、財前から離れて顔を伏せた。突然の反応に、財前は首を傾げる。
「どうした?」
夏樹はゆっくりと顔を上げたが、その瞳にはどこか影が差している。夏樹は寂しげに笑い、呟くように口を開いた。
「ごめんなさい。私…全然役に立てなくて。それに…」
夏樹は一瞬言葉を詰まらせ、周囲をキョロキョロと見た後、顔を伏せる。夏樹の声はか細く、うまく聞き取れなかった。
だが、恐らくその言葉は――。
――いきなり抱きついて。
夏樹は破れたドレスを両手でぎゅっと掴んで胸元を隠した。さっきの小西の言葉を気にしているのだろう。財前はふうっと小さく息を吐いて、静かに告げた。
「なーに気にしてんだ、夏樹」
財前はゆっくりと夏樹に歩み寄る。そして、ポンっと優しく頭を撫でた。
「夏樹は夏樹だろ。余計なこと気にしてねえで、いつも通り、笑ってろ」
財前の真っすぐな言葉に顔を赤らめる夏樹。悲しげな表情から一転、瞳が煌めき、明るさを取り戻す。夏樹は柔らかく微笑みながら、強く頷いた。
「うん!」
その様子を見て、思わずほっと息を吐き、胸を撫で下ろす。すると、突然「パチパチ」という音が小さく鳴り始める。なんだろうと思い顔を上げると、視界に飛び込んできたのは、店内の客や店員たちの姿だった。
次々と呼応するかのように広がっていく拍手。いつの間にか誰かが口笛を吹き、中には歓声を上げる者もいる。
「そうそう、夏樹は夏樹!」
「また来るからよ!」
「お兄さん、最高~」
思い思いの言葉が飛び交う中、店内がひとつになったような空気に包まれる。私もつられて笑みがこぼれ、財前に目を向けた。
バッチリ目が合う私たち。
財前は、ほんの少しだけ照れくさそうに笑った。