「あ、なっちゃん!こっちこっち!」
夏樹の軽快な声に促され、私は少しぎこちなくテーブルに着いた。隣には白蛇会の男。そう思うと背筋が寒くなる。まだ十七歳の私が、それもアルバイト経験もない私が、堂々と振る舞えるのだろうか。ましてや、私は未成年でお酒も飲めない。こんな状況で、この白蛇会の男を騙せるとは到底思えなかった。
すると、夏樹がスッと私にドリンクが入ったグラスを差し出した。夏樹を見ると、優しくそして小さく頷く。
私は恐る恐るグラスを持ち、鼻先で香りを嗅ぐ。ウーロン茶だ。どうやら、夏樹が気を遣って用意してくれていたらしい。優しい気遣いに、少しだけほっとする。
「はい!じゃあかんぱーい!」
明るく元気な夏樹の声に引っ張られ、私もおずおずとグラスを掲げる。乾杯の音がテーブルに響き、私は夏樹と、そして白蛇会の男とグラスを合わせた。男の前には、空のグラスが三つ置かれている。どうやら、すでにかなりの量を飲んでいるらしい。
「なっちゃん!この人はね、不動産のお仕事をしている小西さん。小西さん!この子はうちの新人のなっちゃん!はい、二人とも挨拶!」
突然の紹介に戸惑いながらも、私は慌てて小西と呼ばれた男にペコリと頭を下げる。小西もそれに合わせてゆっくりと頭を下げたが、口元には不気味な笑みを浮かべていた。サングラス越しでも鋭い視線を向けているのが伝わり、背筋に冷たいものが走る。
「はいはーい、小西さん!夏樹のスペシャルドリンク、ちゃんと飲んでね。飲んでくれないと、いじけちゃうんだから」
そう言って夏樹は手慣れた手つきで酒を作り、小西へ手渡す。小西はニヤつきながら、何も言わずにひと口飲む。小西は上半身を軽く揺らして上機嫌な様子だ。
すると、夏樹が私をじっと見つめ、意味深に頷く。どうやら、情報を聞き出すにはもう十分酔わせたと伝えたいのだろう。私は財前から預かったボイスレコーダーのスイッチを押す。
「ねえねえ、小西さあん。お仕事の話、夏樹聞きたーい!」
「仕事お?」
「そう。この前、土地開発の話してたじゃない!あの話の続き、聞きたいなって思って。ね?なっちゃんも気になるよね?」
「は…う、うん!」
私は精一杯の作り笑いで頷く。
すると、小西は流暢にこう語り始めた。
「仕事ねえ…。まずは場所を探すんだ。儲けが出そうな場所をな。だがよお、大抵その場所にはもう建物があって、大家がいる。だから、相場より高い価格で買い取るって話をして交渉する」
「へええ~小西さんが直々に交渉してるの?」
夏樹がわざとらしく驚いてみせる。その声には程良い甘さが感じられるほどだ。
「まあな。だが、簡単に首を縦に振らない奴もいる。だから『今売らないと価値が下がる』だの『ここらへんじゃ、この値段でも高い』とか適当に言ってやる。それで、大抵の奴は観念するもんだ」
「へええ。でも、大家さんがそれでも渋ったら?やっぱり諦めちゃう?」
「いや…」
小西は突然夏樹をグイっと強引に引き寄せ、口元を緩ませる。耳に顔が触れそうな距離感にも関わらず、夏樹は嫌な顔ひとつせず、にこやかな笑顔を保ったままだ。
一方の私は「このスケベオヤジ!」…と心で呟き、小西の背中を睨みつけた。
「そういう時はなぁ、その土地にある店舗や住居にゴミをまき散らす。夜中に騒いだり、大声で喚き散らしたりして、周囲をうろつく。火をつけるってのもいいかもなあ~。そうすりゃあ、相手はビビッてこっちの条件を飲む」
「えええ!?もお~怖い!小西さんって、そんな怖い人だったんだあ。ねえねえ、例えば?実際にどういうところと交渉したの?」
「ここの商店街だと…南にあるラーメン屋の『風味軒』、それにアパレルショップの『ジュリアン』、あとは、エステサロンの『リ・セリーン』とかな。風味軒は店の店主が渋って苦労したが、脅した甲斐があって、どうにか二カ月前に事が済んだ」
「えええ~?脅すって…それってもしかして、違法な『地上げ』…だったりして」
さり気なく尋ねる夏樹。私は察した。小西の言葉を引き出すために、夏樹は今、核心をついたのだ。すると、小西はこう呟いた。
「まあな」
私と夏樹は目を見合わせる。やった…!認めた…!
心の中でガッツポーズを取る私。だが、次の瞬間――。
「…というのは、冗談だ」
小西の思わぬひと言にギョッとする私と夏樹。一方の小西は、私たちの反応を見て、ケタケタと笑い出す。初めは抑えたような笑いが、次第に大きくなっていく。
「…残念だったなあ、夏樹。俺は地上げなんてやっちゃいねえよ!」
すると、小西は私の方を向き、思い切り顔を近づけてこう言う。
「僕は違法な地上げなんてしていませーん。今の話は、全部冗談でーす」
小西はわざとらしくそう言葉を伸ばし、甲高い声でケタケタと笑う。突然のことで呆然とする私。
すると、ボイスレコーダーが握られている手をグイっと小西に掴まれる。戸惑う間もなく、ボイスレコーダーを力ずくで奪われる私。そして、小西は私の顔の前にボイスレコーダーを掲げ、停止ボタンをゆっくりと押した。
し、しまった…。
焦りで心臓がバクバクと鳴る。夏樹さんが地上げの話を聞き出そうとしたことも、私がボイスレコーダーを持っていたこともバレていたなんて…。
「馬鹿な奴らだ。俺が気付いてねえとでも思ったか?」
先ほどまでの笑みは消え去り、一転小西は鋭い眼差しを夏樹に向ける。
「三カ月前だったか。急に不動産の話を色々聞いてきたよなあ。その時からおかしいと思っていた。俺を酒に酔わせ、二人で協力して口を滑らせる算段だったんだろうが…」
小西は夏樹の腕を乱暴に掴み、再び自分の方へ引き寄せた。夏樹は痛みで顔を歪める。だが、決して小西から目を逸らさない。そんな夏樹に向けて、小西は冷たくこう言い放った。
「…たかがスナックの女が。白蛇会を舐めんじゃねえぞ。ちゃんと落とし前、つけてもらわねえとなあ」
夏樹は驚いた表情を浮かべてはいるものの、その瞳は鋭く、冷静だ。どうにかして、この状況を打開する方法を考えているのだろう。
一方の私はどうだ?財前に無理矢理連れて来られた挙句、何の役にも立たないどころか、ボイスレコーダーまで見つかってしまい、夏樹を窮地に追い込んでしまった。
このままじゃ夏樹さんが危険な目に遭うかもしれない。
それに、このまま作戦が失敗に終わったら、彼女が…それにこのお店が白蛇会に狙われる…なんてことに。そんなこと、させるわけには…!
私は大きく息を吸い込み、意を決して口を開いた。
「あの、小西さん!ちょっと待ってください!誤解してます!」
「…あ?」
夏樹の腕をまだ掴んでいる小西が、ゆっくりと振り返って私を見る。
「私、まだ新人なんです。でも、夏樹さんの接客、凄いなっていつも思ってて。私の憧れなんです。だから…その、今日こっそりボイスレコーダーを持って席に着きました。夏樹さんとお客さんの会話を少しでも勉強しようって思って」
小西は目を細め、じろりと私を睨む。何か言おうと口を開きかけたその瞬間、小西が口を挟む隙を与えまいと、私は勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい!夏樹さん!勝手に録音なんかして…。小西さんもすみません。でも、誤解だけは解かせてください!二人で協力して録音なんてそんなことしません!…夏樹さんは悪くないんです。悪いのは私…」
頭を下げたまま訴えると、小西は少し間を置いてから低い笑い声を漏らした。
「…新人が勉強のためにねえ…。随分健気じゃねえか。だがよお、そのためにわざわざボイスレコーダーとは…ははっ。新人ってのはなあ、普通メモを取るとか、客の隣で先輩のやり方を見て学ぶもんだ。それなのに録音なんてよお…」
次の瞬間、小西はバンっと机を叩き、さらに鋭い目つきで私を睨みつける。
「舐めた嘘ついてんじゃねえぞ!ゴラァ!!」
…うっ…こ、怖い…。
小西の冷徹な視線が容赦なく私に注がれる。当たり前だけど思いっきり疑われている。
どうする?どうする!?
気づくと、私はさらに突拍子もない話を口走っていた。