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第4話

 財前が所属する極道「紅牙組」と、敵対する「白蛇会」…。

 その白蛇会を一網打尽にするために、財前が考えた秘策――それは「白蛇会が悪質な地上げをしている」という決定的な証拠を掴むことだった。


 実は白蛇会は違法薬物の売買にも手を染めているらしい。警察からも目を付けられているものの、決定的な証拠が不足していて、ガサ入れには至っていないという話だ。そんな情報をどこから仕入れたのかは謎だが、とにかく財前は悪質な地上げの証拠を掴むために、今日この店に来たらしい。


「でも、どうやって証拠を?」


 すると、財前は懐から何やら小型の機器を取り出した。これは…。


「ボイスレコーダーだ。これで録音する。そんでもって録音データを警察に渡す。それだけだ」

「でも、そんなに都合よく話してくれますか?」

「恐らくな」


 不安げに聞く私に対して、財前は不敵な笑みを浮かべる。


「見ろ。あいつのだらしねえ顔を」


 財前が顎で示した先に目を向けると、そこには白蛇会の男が夏樹と親しげに話していた。

 男の顔は赤く、酔っ払っているのが一目でわかる。


「あのタコはな、夏樹にだ。あいつがうまく話を聞き出す手筈になっている。あのタコが口を滑らせるようにな」

「夏樹さんが?」


 私は再び二人を見る。男はかなり酔っぱらっている様子だが、夏樹は煌びやかな笑みを浮かべながら、相槌を打ちつつ、楽しげに会話している。その姿は、まさに接客のプロを思わせた。


「だが、ひとつ問題があってよォ…」

「問題?」


 私は首を傾げる。


「万が一のことを考えたら、夏樹にボイスレコーダーを持たせるわけにはいかねえ。何かあった時、あいつに火の粉が降りかかるからな。かといって、俺はあいつに顔を知られちまってる。いくら酔っぱらってても、俺を見たら流石に思い出すはずだ。三カ月前、あのタコの顔面を思い切りぶっ飛ばしたばかりだからな。それで、お前の出番ってわけだ、凪」

「え?わ、私!?」

「そう」


 財前は、私の腕をぐいっと掴む。私は嫌な予感を抑えられず、一気に顔が引きつる。一方の財前はボイスレコーダーを私の顔の前に掲げ、にやりと笑った。


「店の新人に成りすまして、あいつの会話を録音してこい。それがお前の仕事だ。SPTなら朝飯前だろ」

「い、嫌です!怖いし!今日は野暮用って言うからついて来たのに、全然野暮用じゃないじゃないですか!」


 すると、財前は涼しい顔で私の腕を離し、ソファーに深くもたれる。フーっと大げさなため息をついて、わざとらしく肩を落とした。


「そうかそうか。それじゃあ仕方ねえ。この作戦のために、せっかくお前に似合う浴衣を買ってやったんだけどよォ~」

「…どういう意味ですか?」


 財前はにやりと口角を上げる。ふと周囲を見渡すと、店員の女性たちはドレスや着物を着ている。そして、もちろん浴衣も。まさか、さっき着物屋さんに寄ったのは、私を店員として潜り込ませるため――!?


 すると、財前が私を見据えて静かに尋ねた。


「凪よ。その浴衣、いくらだったと思う?」

「ええっと…三千円くらい?」


 すると、財前は目を見開き、バッと背中を起こした。そして、次の瞬間ゲラゲラと笑い出す。


「三千円!?おいおいおい!世間知らずも大概にしろや!」

「え!?じゃあ、いくらなんですか?」

「聞いて驚け。十万円だ」

「じゅっ…!」


 思わず大声を上げて立ち上がる私。その拍子に店の視線が一気に集まる。慌てて口を手で覆い、申し訳なさそうにペコペコと頭を下げると、財前は小声でクスクス笑いながらボソリと呟いた。


「高級品なんだよ、この浴衣は。まさかとは思うが『タダで着られてラッキー』なんて、甘いこと考えてねえよなァ、凪?」

「そ、そんな…!今更そんなこと言って…ずるい!」


 私は全力で抗議するが、財前は目を細め、憐れむような眼差しで私を見る。


「さあ、どうする?十万返すか、それとも、ちゃちゃっと録音して浴衣をゲットするか」


 財前は口元に笑みを浮かべながらも、目だけは鋭く私を見据えていた。


 最悪だ…。やっぱりついてくるんじゃなかった…。


 とはいえ、十万円を支払うなんて到底無理だし、焔に報告しようものならそれこそ呆れられるに決まっている。

 結局、私はがくりと肩を落とし、小さく頷いた。

 すると、財前は嬉しそうに私の頭をポンポンと軽く叩く。


「よしよし、お利口さんだ。まあ、そう気負うな。うまくやりゃあ、あとでアイスクリームも奢ってやるからよ」

「はぁああ…」


 深く息を吐き出しながら、私は力なくうなだれる。なんで言われるがまま、浴衣なんて着ちゃったんだろ。


「なんだよ、その辛気臭え顔は。せっかく着たんだから、もっと楽しめっての。浴衣姿、焔とカラスの小僧に見せるんだろ?」


 焔さんとヤト…?

 そういえば、さっきそんな話してたっけ。


「…お前よォ、焔から『可愛い』とか言われたことあんのかよ?」

「そ、そんなこと…!焔さん…言いませんよ……」


 言葉の途中で私は口をつぐみ、しゅんっと落ち込んでしまった。

 焔は優しいけど、私はそういう対象として見られていない気がする。それに彼は真面目だし、ふざけてそんなことを言うタイプじゃない。だから尚更、そんなことを言われるなんて、まったく想像ができないのだ。


 そんな私の心情を察したのか、財前が静かに呟く。


「…まあ、あの堅物じゃ、お前も苦労するわな」

「別に、私と焔さんはそんなんじゃ…」

「まあ、聞け。俺の経験上、気になる相手を落としたい時は、待ってるだけじゃ埒が明かねえ。俺がお前にできるアドバイスがあるとすれば、たったひとつだ」

「え?」

「『可愛い』って言われるのをただ待つんじゃねえ。言わせるんだよ。焔にな」

「ど、どうやって?」

「そりゃあ、お前…聞くしかねえだろ」


 そう言うと、財前は待ってましたと言わんばかりにコホンと咳払いをした。そして私の方に向き直り、突然上目遣いで目を潤ませながら、可愛らしくこう言い放った。


「……可愛いですか?……ってなァ!!」


 財前の甘えたブリブリ声に、思わずソファーからずり落ちる私。同時に笑いが心の底から込み上げ、思わずお腹を抱える。


「わ、笑わせないでください」

「アホ!俺は大真面目だ!もしこれで『可愛い』って言わねえようなら、焔はやめとけ。女心がまるで分からねえスカタンってことだからな。逆に『可愛い』って言われたら、ちょっと脈ありだ」

「えええ?」


 そう…かな?


 私はまじまじと考える。私が聞いたら、彼は答えてくれるだろうか…。


 すると、唐突に財前が私の手にボイスレコーダーを握らせる。


「え?え!?」

「夏樹からの合図だ。早く来いだと。恋バナはここまでだ。頑張れよ、凪」


 そう言うと、財前は私の背中をポンっと強めに叩き、通路へ押し出した。驚いて振り返ると、財前は「行け!」と言わんばかりのジェスチャーをしてくる。


「まったくもう…」


 小声で愚痴をこぼしながら、私は仕方なく足を進めた。向かう先は、夏樹のテーブルだ。

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