「凪、こっちだ」
財前に促されるまま、私はボックス席にちょこんと座り、周囲を見渡す。ここは、いわゆるスナックのようだ。煌びやかな着物やドレスに身を包んだ女性たちが、にこやかに男性と会話し、酒を注いでいる。
シャンデリアの控えめな光が店内を上品に照らしているが、漂うタバコの煙と香水の香りが、私には少しきつい。
「驚いたか?」
ドカッと席に腰を下ろした財前が、私に尋ねる。
「驚いたっていうか、未成年の私が来ていいお店なんですか!?ここ…」
「いいからいいから。好きなもん頼め。ここは俺のおごりだ」
そう言うなり、財前はぶっきらぼうにメニューを私に手渡す。ソフトドリンクはコーラとウーロン茶のみ。私はコーラを、財前は迷いなく日本酒を頼んだ。どうやら、このお店にボトルをキープしているらしい。
数分後。私たちのテーブルにコーラと日本酒の一升瓶が運ばれる。ストローが差し込まれたコーラを一口飲むと、緊張しているせいか、喉を駆け抜ける炭酸がやけに強く感じた。
「あの…そろそろ教えてくれませんか?どうして私を…」
そう言いながら財前を見て、驚いた。先ほどのおちゃらけた表情とは打って変わり、好きな酒にも手をつけず、腕を組み、鋭い目つきで店の入口を探るように見ていたのだ。
彼の視線を追うと、そこにいたのはあの夏樹。来店したばかりの男性客と親しげに話している。どうやら、財前は彼女の様子を伺っているらしい。
突如として真剣な表情を浮かべる財前を見て、私はある考えに辿り着いた。
さっきの二人のやり取り。
そして、この財前さんの視線。
もしかして…。
思わずにやりとしてしまう私。そのタイミングで、私の視線に気づいたのか財前がギョロッとこちらを二度見する。
「あ?どうした?」
私は笑みを浮かべながら、得意げに言い放つ。
「…さては財前さん、さっきの夏樹さんに、
どうだ!この完璧な推理!
きっと当たっているはず…。
そう思ってウキウキ財前の反応を待つ私。だが、次の瞬間、財前は上半身を力なくガクッと倒し、ソファーに崩れ落ちた。そして、眉をひそめながら、怨霊のような形相で私に迫る。
「…凪、てめえぇぇ~…」
「え?あれれ?」
予想外の反応に声が裏返る私。この反応から察するに、どうやら違ったらしい。財前はさらに顔を私に近づけ、グイっと睨みをきかせる。
「適当なこと言ってんじゃねえ、このアホ!」
「ご、ごめんなさい!!夏樹さんをジーっと見てたから、てっきりそうなのかと!!」
つい声が大きくなる私。すると、財前が人差し指を口元にあて、低く「シーッ」と小さく声を漏らす。
「静かに…気付かれる」
私は慌てて口を押さえ、コクコクと頷く。財前は再び後方へと鋭い視線を向けた。そこには相変わらず男性客と親しげに話す夏樹の姿がある。どうやら、こちらの声には気付かなかった様子だ。
「…ったく。何勘違いしてんのか知んねえが…ひとつ教えてやる」
「え?」
「夏樹は俺の…」
そう言いかけた次の瞬間、財前の表情が突然ハッと変わった。
次の瞬間、私は財前に抱き寄せられる。突然のことに、思わず「ひいいっ」と声が出る。
な、ななななな、何事!?
チラッと通路を見ると、そこにはサングラスをかけた男が立っていた。どうやら夏樹を連れ添って、こちらを見ながら通り過ぎようとしていたらしい。男は私たちの背中を見て舌打ちをしながら、奥のボックス席へ腰を下ろす。夏樹はにこやかに笑い、彼の酒を用意し始めていた。男が席についたのを確認するなり、ため息をつく財前。
「ふー、ビックリしたぜい」
「したぜい、じゃないですよ!こっちがビックリするじゃないですか!」
「悪い悪い。あいつ、俺の顔知ってるからよ。バレたら面倒だ」
財前は肩の力を抜き、再びソファーに体を預ける。
「それより聞いたか、凪?あいつ、俺たちを見て舌打ちしやがった」
「え?」
「あいつの心の声を代弁するとだなァ、『イチャイチャしやがって』ってなところか。女にモテねえ奴がひがんでる証拠だ。ざまあみろ」
そう言うなり、財前はククッと笑い声を漏らす。
一方の私は、呆れ顔で小さくため息をついた。
「一体、誰なんですか?あの男の人…?」
「あいつはな、白蛇会の奴だ」
「はくじゃかい…?」
「この辺の商店街で、悪質な地上げをやってる狡い極道だよ」
「地上げって…?」
首を傾げる私に、財前はコホンと咳払いをして説明を始める。
「簡単に言うとだな、不動産や土地を安値で買い叩いて、再開発や転売で儲けることだ。だけど、売りたがらねえ連中がいるときは、ゴミを放置したり、騒音やら嫌がらせやらで追い出そうとする。中には水道やガスを止められたり、店に不審火が出たりってケースもあったくれえだ。『売らなきゃもっとひどい目に遭わせるぞ』ってな。白蛇会はクソみたいなやり口で、この商店街の色んな店を食い物にしてるってワケだ」
私はゆっくりと頷く。そうなんだ。地上げなんて言葉は初めて聞いたけど、こんなにも酷いことが現実にあるなんて…。
「だから、様子を見にここへ?」
「ああ、三カ月前に一応ケリはついたが、最近になってまた動きがあるっていう情報が耳に入ってよ。ちょっくら調べてみたら案の定、今度はこのスナックが入っているビルを狙っているらしい。白蛇会の野郎、油断も隙もねえぜ。今夏樹の横に座ってる奴は白蛇会の幹部。週末に決まって顔を出すって夏樹から聞いてよ。今日来たってわけだ」
そう言うなり、財前は再び後方を静かに睨む。私は少し疑問に思っていたことを口にしてみた。
「あの、どうしてそこまで?」
私がきょとん顔で聞くと、財前は不意に優しい笑みを浮かべながら、私の頭をくしゃっと撫でた。
「ここは『夢の場所』だからな。あの、夏樹の」
夏樹さんのため…?
さっき、夏樹さんに対する気持ちを全力で否定してたけど、やっぱり財前さん、夏樹さんのことが特別なんじゃ…?
「…とにかくだ。今日来たのはあの白蛇会の幹部が顔を出すと踏んだからだ。そして、ここからが本番だぜ、凪」
「本番?」
そう言うなり、財前はおちょこに注がれた日本酒をクイッと飲み干し、こう言葉を続けた。
「耳の穴かっぽじって、よーく聞け。白蛇会を一網打尽にするために考えた、俺様の秘策を、な」