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第6話

 気を取り直して客間を見ると、焔が座布団に座り、背中を壁に預けていた。うっすらと目を開けて、私を見ている。さっきの騒ぎで目を覚ましたのだろう。


「…なにかあったのか?」


 焔が低い声で問いかけてくる。私は微笑みながら、軽く首を振った。


「大丈夫です。焔さん、具合悪くないですか?」

「ああ」

「今お布団を敷きますね」

「すまない」


 私はいそいそと布団を敷き始める。いつもより力なく答える焔。なんとなく早く寝かせた方が良い気がする。私は少し急ぎ目に布団を敷いた。そういえば、ずっと前にもこんなことがあったっけ。


 脳裏のうりに浮かんだのは、お父さんのこと。お酒好きなお父さんは、休みの前日はいつも酔っ払って帰ってきて、お母さんとよく喧嘩していた。そんなお父さんのために、私はよくお布団を敷いていたのだ。だが、それも高校に入るまでのこと。いつの間にか、あんまりしなくなっちゃったなあ…。

 そんな懐かしい記憶にぼんやり浸っていると、焔が静かに口を開いた。


「凪?」

「あ、いえ、ちょっとお父さんのこと思い出して」


 昔のことを話すと、焔は少し照れたようにはにかみながら答えた。


「そうだったのか。なんだか申し訳ないな」

「いえいえ、全然気にしないでください!珍しいですね、焔さんが酔っぱらうなんて」

「そうかな」


 焔は目を閉じ、再び壁に体を預ける。その仕草を見て、私は焔と財前の飲み比べ対決のきっかけを思い返していた。そういえば、どうして焔はあんな勝負を受けたのだろう。

 じっと見つめていた私に気付いたのか、焔は再び目を開ける。


「どうした?」

「あの…焔さんが財前さんの飲み比べの提案に乗ったのって…私が財前さんに、絡まれていたから、だったりして」


 へへへっと頭を掻きながら尋ねる私。何を聞いてるんだろう。でも気になるし、聞きたい。すると、焔は少しの間を置いて、こう答えた。


「…ああ」


――きゅん。


 彼のひと言に胸が高鳴る。

 や、やっぱり、そうだったんだ。う、嬉しい…。だけど、これは別に変な意味じゃない。焔さんは警察官みたいなものだし、私に限らず未成年者がお酒を飲まされそうになったら、きっと同じことをして守ろうとするだろう。けど、だけど…。

 私はお礼を言おうと、顔を上げて焔を見る。


「あ、あの!焔さ――」


 彼の名前を呼ぼうとした瞬間、焔は少し顔をしかめて、天井を仰ぎ、短くぼやいた。


「…まったく。財前め」


 普段聞かない愚痴っぽい口調。私は思わず微笑んでしまう。


「焔さん。喉乾いてませんか?私、お水貰ってきます」

「いいのか?」

「はい!」


 私はそう言って、宴会場の大広間へ向かった。

 数分後、水が入ったペットボトルを二本抱えて戻ると、焔は敷布団に横になっていた。その静かな寝顔に、思わず足を止める。普段の毅然とした彼からは想像もできない、無防備で柔らかな表情だ。

 私は足音を立てないように客間へ入り、座卓の上にペットボトルを置く。そして、彼を起こさないように掛け布団を掴み、そっとかけた。布団から少し覗く横顔に、一瞬、胸がきゅっとなる。私は軽く首を振り、座卓のペットボトルを見た。


 どうしようかなあ、お水…。

 そうだ。焔さんが起きた時のために、お手紙を書いておこう。

 私は電話の横に置かれていたメモ帳とペンを手に取る。



――焔さんへ。お水が入ったペットボトルが冷蔵庫に入っています。喉が渇いていたら飲んでくださいね。凪より――



 これでよし。

 私は立ちあがり、部屋の窓を開ける。心地よい夜風がふんわりと部屋に吹き込む。空を見上げると、星々がキラキラと宝石のように煌めいていた。


 明日から、また東京。

 しっかり頑張らないとなあ。


 星空を眺めながらそんなことを思う私。こうして、紅牙組滞在の最後の夜は更けていったのだった。

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