財前と花丸はじっと客間にいる私とヤトを見つめていた。どうやら客間の扉が開けっ放しになっていたせいで、私たちのやり取りは廊下から丸見えになっていたらしい。酔い潰れて寝ていたはずなのに、いつの間にか目を覚ましたようだ。
「カラスよ。おめぇ、見た目通りなかなかちゃっかり者だな」
「な、なんだよ!どういう意味だ!」
ヤトが慌てて羽をバタつかせながら財前を見返す。
「とぼけんじゃねえ。ずーっと見てたぜ。お前が、スケベ心丸出しでこの凪に擦り寄っているところをなァ!!」
財前の唐突な言葉に、私は目を丸くする。一方、花丸は財前を抱えながら、私たち三人を見比べている。どうやら、状況を飲み込めていない様子だ。
「ち、違う!俺は…ただ凪と一緒に寝たいだけだもん!」
「ほおお~どうやって?」
「それは、凪の懐にスポッと入って…」
「へっ。やっぱりそうか」
財前は花丸の手を振り払うと、まっすぐヤトを見据えた。その目は酔っ払いとは思えないほど鋭い。
「俺はな、スケベな魂胆を持った奴を見ると、昔からピンときちまうのよ」
財前は私たちに歩み寄り、神妙な面持ちでこう口を開く。
「初めてお前らが紅牙組に来た時、俺はうっかりこの凪の胸に偶然手が触れそうになってよォ…覚えてるだろ?」
…って、あの時私の胸を触ろうとしたのは、思いきりわざとだったでしょ!…と私は心の中で突っ込む。
「…カラス。お前その時こう言ったよなあ?『凪の胸を触ろうとしたな、この変態ヤロー』ってな」
「え!?そうだったっけ?」
ヤトが目を見開いて慌てる。私は天井を仰ぎながらその時のことを思い出す。そういえば、確かにそんなやりとりがあったかも。
「つまりだ!」
財前は声を張り上げた。
「このカラスの小僧は、異性の胸に触れる行為が一般的に『スケベなこと』だとちゃんと認識してるってわけよ!」
「え?あ…ううぅ…」
ヤトはぐっと言葉に詰まり、俯いて肩を震わせる。
一方、私は財前の指摘に、思わず苦笑いを浮かべていた。ヤトはとにかく素直なのだ。だからこそ、彼の行動がスケベ心から来るものじゃなくて、単なる「甘え」だとわかっている。あからさまにスケベな財前とヤトでは話が全然違う。そう思った私は財前に一歩近づき、こう告げた。
「財前さん!ヤトをいじめないでください!そんなつもりで言ってるんじゃないですから!」
その言葉を聞くなり、財前はふらりとよろめきながら私の方に向き直った。
「アホ!お前がそうやって甘やかすから、このカラスが調子に乗るんだぜ。こういうことはな、簡単に許すと、月に一回、週に一回、そんでもってしまいには毎日言ってくるようになる。こんくらいのガキは、甘やかしてロクなことはねえ。ビシッと言ってやるべきなんだよ」
財前の迫力にヤトが縮こまる。いつもなら感情的に言い返す彼が、押し黙っている様子を見て、私は我慢できずに口を開いた。
「財前さん、急にどうしたんですか?」
「あ?」
「財前さんの方がずっとスケベエピソードが多いじゃないですか。それなのに、突然人に『お前はスケベだ』ってお説教するなんて、なんか変!」
すると、ヤトが勢いよくいつもの調子で羽をバタつかせ、私に同調する。
「そ、そーだそーだ!焔とか花丸に言われるならわかるけど、お前に言われる筋合いない!」
ヤトはビシッと羽を財前に突きつけてみせる。
「ちっ。自分を取り戻しやがったな、カラスの小僧。その通り。別にお前がスケベだろうが、そうじゃなかろうが、俺の知ったことじゃねえ」
「じゃあどうして?」
「さっきの勝負。ムカついたから寝る前にひと言文句言おうと思って来たわけよ。そうしたら、焔の野郎寝ちまってるじゃねえか。むしゃくしゃするぜえ~と思っていた矢先、お前らの姿が見えてな。八つ当たりさせてもらった」
そう言うなり、いたずらっ子のように笑う財前。私とヤトは思わずずっこける。
「そんなの、単なる憂さ晴らしじゃないですか!」
「ああ、おかげでちょっとスッキリしたぜ…焔の野郎はムカつくけどよォ~…うっぷ」
吐き気をもよおしたのか、財前は左手で自分の口元を押さえる。花丸が慌てて財前の肩をしっかりと支える。
「大声出しちゃだめですよ!気持ち悪くなっちゃいますから。まずは横になりましょう」
優しく、諭すように言う花丸。財前はうなだれながらこう呟く。
「ちくしょう~情けねえ~…」
そう言ってゆっくりと二人は廊下を歩き出す。
二人を見送った後、私はヤトに向き直り、頭を撫でながらこう告げる。
「ヤト、お布団敷いて早く寝よう。明日も早いし」
「え!?あ、う、うん…」
驚きの表情を浮かべるヤト。少しキョロキョロした後、ゆっくりと私を見上げる。
「どうしたの?」
「…いいの?呆れてない?でもさ、俺、本当に違うんだ。スケベ心なんて…。ただ凪と一緒にいたかっただけだもん。凪の懐に入らなくても、ただ傍にいられればそれでいいんだもん」
ヤトが申し訳なさそうに私を見る。私は微笑み、ヤトの頭をそっと撫でる。
「大丈夫。わかってるし、呆れてないよ」
そう言うなり、ヤトはボフッと私の懐に飛び込んで来た。突然のことで驚き、思わず「わあっ」と声が漏れる私。
「やったあ!凪ありがとう!嬉しい~大好きぃ~!」
「へへへっ」
私はヤトの頭を撫でながら笑う。
守られてばかりでこんなこと思うのはおこがましいけど、ヤトは弟みたいな存在なのだ。焔もヤトも、私のことを家族みたいに受け入れてくれている。それがとてつもなく嬉しい。だって、「対の世界」に来たばかりの時、私は本当にひとりぼっちだったのだから。
そんな感傷に浸っていた次の瞬間――。
―ひょい。
ヤトが急に宙に浮いた。いや、正確には誰かに抱きかかえられていたのだ。
「は、花丸さん!?」
驚いて顔を上げると、そこにはヤトを抱きかかえた花丸の姿があった。ヤトも完全に不意を突かれた顔をしている。
「…さっきの財前さんの話を真に受けてるわけじゃないけど、この前ヤト君が男の子に
私とヤトは花丸の真面目な顔に圧されて言葉を飲み込む。財前を介抱したことで、研修医である花丸の「先生魂」に火がついてしまったのだろうか。
「今日は僕と一緒に寝ようね、ヤト君」
「え?えええ?そ、そんなあああ…」
うなだれるヤト。一方、花丸は器用に右手に財前、左手にヤトを抱きかかえながら、私に向き直る。
「おやすみ、凪ちゃん」
「え、あ…おやすみなさい」
私は反射的にぺこりと頭を下げた。花丸はスタスタと財前とヤトを抱きかかえながら廊下を歩き始める。
「いやだああぁぁ…凪いいぃぃぃ…」
ヤトの悲痛な叫び声が廊下の奥から響き渡る中、私は呆然とその場に立ち尽くしていた。