数日後・10月
- 総合病院救急部 -
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昨日の日勤から続く夜勤が明け、更衣室で術衣からワイシャツに着替える。今は朝の9時。今日は夕方に別の病院への往診と、《共同魔法研究所》へ行くことになっている。その前に一度帰宅したらシャワーを浴びて仮眠をとろうか……
帰る支度が終わり、空間移動魔法でさっと帰ろうかと思ったが、連日の過労で魔力が安定していない。うまく力が入らず、疲れからか指先が震えていた。これでは魔法コントロールを誤る気がして、私は歩いて帰ることにした。
朝の町を歩く。10月に入ったフランスのこの町はすっかり秋が色めき始め、爽やかな風と穏やかな日の光が降り注ぐ。散歩するにはちょうどいい気候だった。川のほとりを歩けば、水面がきらきらと太陽の光を反射してまぶしい。
この道のりを歩くのはいつも決まって、ロンと一緒に大聖堂へ祈りを捧げに行く時だった。この腕に抱いて歩いた冬も、小さな手を引いて一緒に歩いた春も、先に駆けて行ってしまった夏も、この道は四季折々の表情を見せながらも、ずっと変わらずにここにあるように見える。そんな、小さく幼い日々も、つい先日のことのようだ。ロンも、もう9歳。随分大きくなったとはいえ、まだまだ子供であることに変わりはない。
慢性的な睡眠不足で体は重かったが、私は思い立って大聖堂で祈りを捧げてから帰ることにした。
……
大聖堂の重厚な門をくぐる。平日の朝でも礼拝に訪れる人は多い。
いつ来てもこの彫刻や装飾には心を洗われるようだった。そして……純白の、マリアの像。
マリアというのは、どの時代、どの世代でも大切にされてきたものなのかもしれない。いや、だからこそ、この時代、この世界を導くと言われる者の名称が《マリア》なのだろうか。
私たちはきっと、
ベールを被った慈悲深い姿の、真っ白なこの像は。脈々と受け継がれるこの神聖な像が、かつて意味したものとは……人々はみな、同じように救いを求め、尊び、大切にして来たのかもしれない。
何千年、何万年と時を経ても人の心の拠り所であり続けるのは、心底すごいことだと思う。
……
私は祈りを捧げる。
" Ave Maria "
ロンが、人々が、心穏やかに過ごせますように
そして……
私の罪をお許し下さい
……
祈りを捧げたあと、私はしばらく装飾の美しい華やかなステンドグラスを眺めていた。
《 Ave Maria 》というマリアへの祝福賛美や、この大聖堂を始めとする、マリアのために捧げられたとされる数々の教会堂。これらは
……この時代はこの先どうなる
私は溜息をつく
……死者を蘇生させたこと、魔術師の医師が皆殺しにされたことへの償いをしなくては。
そして……ロンにも、刻印についてそろそろ話をしなくてはならない。
刻印が、なぜローマ数字の時計盤と十字架のデザインをしているのか。それは、あの刻印は、タイムリミットだから、だ。この混沌の世界が終わるまでの。そしてそれが終わった時、ロンは……
……。
こんなことを、あの子にどう話したら良いだろう。また、大粒の涙を流しながら静かに聞くのかもしれない。
純粋で優しいあの子には、もっと自由に生きてほしいのに
だが、どうなったとしても、私がロンを守ろう。
私の左肩にある刻印は、そのためにあるもの。ロンの責任は、私の責任でもある。
決意を固め、帰ろうと思ったその時、「リシャール」と私を呼ぶ声がした。
はっとして振り返ると、そこには、この町を復興したことで有名な鍛冶屋のアンリさんが立っていた。