◇◆ Rémi ◆◇
私は夢を見ていた。これは失われた8年前の記憶
ずっと思い出したくて、思い出せなくて、煩悶し続けた。
脳が覚えていなくても魂だけが覚えている……それだけが頼りだった。
8年前のあの日、目覚めた時にはなぜだか『きちんとした医者にならなくては』という強い志だけが胸の奥にあった。理由はわからない。涙を流しながら目を覚ましたのは、何か、悔しかったからなのかもしれないと今は思う。
だけど……ようやく思い出したんだ。8年前のあの時、
街の中心部にいたんだ。その日は休日だったから何もやることがなくて、とりあえず街のショッピングモールを一人でぶらぶらしてた。髪も今より伸ばしたこげ茶のウルフカットに、ひげだって生やしてワイルド路線を突っ切っていた。本当は論文とか、やらないといけないこと、たくさんあったのに。
だけど突然、地球自体が揺さぶられているような大地震に、俺たちは大混乱を極めた。
我先に逃げようとする人たちと、押し合いへし合いでもみくちゃになる人々。それを遠目に見てる、俺。
別に、医者になりたくてこの道を選んだわけでもなかったし、ある意味医学部合格で人生ゴールしちゃってる俺は生きることに意味を見出せなくて、なんかもう地球の終わりもどうでもいいかなって、思った。地球と共に滅びるなら滅んでしまっても、まぁ人生頑張ったよな……なんて、それくらいの気持ちで。
だけど1日続いた天災は、ある時を境にピタッとやんだ。びっくりした……俺は、生き残ったんだ。
そのショッピングモールも半壊していたけど、なんとか形を保っていた。だけど出入口が塞がってしまって、みんな催事場みたいな拓けた空間に集まっていた。そこは、怪我をした人や、家族とはぐれた人であふれていた。
ここは絶望に瀕していたけれど、生きたいと願う人たちばかりだった。俺は、何やってんだろうって、思った。荒れる前の、元の真面目な性格が顔を出す。日常の中の非現実的なこの状況に生き残った俺は、何かしなくちゃいけないと……しかしそれは、漠然としすぎていて。
何をする……?俺に何ができる……?
その時、
「魔術師の方や医療関係者の方はいませんか!」という声が、聞こえた。
俺はまだ医療者じゃなかったけど、何かできることがあるんじゃないかと思って、行ってみることにした。
だけど不真面目を極めていた俺にできることなんか、何もなかった。俺は自分を呪った……なんでもっと真面目に取り組んでこなかったんだろうって。
長い髪を一つに結って気持ちを入れ替えようとした。……だけどできることは、誰にでもできるような応急処置だけ。トリアージすらよくわからない。
(※トリアージ……災害などの緊急時に、傷病者の緊急度や重症度に応じて、適切な処置や搬送を行うために治療の優先順位を決めること)
俺は昔から背は高く、そこそこ貫禄のある顔つきをしていたため、ドクターと間違われることもしばしばあった。
(こんな出来の悪いドクターなんていないよ……)
そんな風に、思った。だけど今できることをやらなくては……
この場にはほかの医療者はいるにはいたが……医師や魔術師は一人もいなかった。他の医療者も、なぜか俺のことを医者だと勘違いしているようだった。そしてそれはだんだんと、周りすら俺が医者だという固定概念ができあがっていく。
最初に「学生です」と言ってしまえばよかったのに、タイミングを逃したせいで今更学生なんて言えば期待を裏切るような気がした。「医者です」なんて口が裂けても言えなくて、だけどこの場でみんなを絶望の淵に追いやるわけにもいかず、何も言わずに淡々とできることだけをこなしていった。
……だけど、その時。
救助隊員が来たんだ。俺たちが待ち望んだ救助隊が。俺は助かったって、思った。
でもそこへやってきたのは一人の貫禄のある救助隊長と思しき者と、まだ高校生くらいの……白衣を着た青年の二人だった。白衣の方はあまりに若い……整った顔つきだがまだ若干垢ぬけない幼さがあるような……そんな風貌で。
俺は驚きのあまり白衣の青年に名前と年齢まで聞いたんだよな……そしたら驚いたことに俺より年下だったんだ。だが彼は、「私がこの救助部隊の医者だ」と名乗る。ふざけるな……そんなの……!……認めたく、なかった。
俺はきっと悔しかったんだろうな……二浪までして大学に入ったのに何の役にも立っていない俺と、毅然とした立ち振る舞いの、年下の彼の、この歴然とした差が。
「貴方は医者ですか。状況は」
彼は淡々と俺にそう尋ねた。俺は……なぜか真っ黒な感情が渦巻いてしまっていた。いらだちと、悔しさと、自分に対する怒りが沸々と。もうここへは別の助けはこないのだろうと、なぜか絶望した。
今思えば、人を見た目で判断するなんて、最低なことをした。
「見てのとおりだ、できる限りの応急処置をしているがここはもう半壊しているから危険だ。お前は向こうの人間を」
なんて。
彼は周囲を一瞥して、「向こうにもけが人がいるのですか」とだけ問うと、そのまま淡々とした話し方で「トリアージは、」と口を開きかけた。
何もできていない俺は、責め立てられているように感じた。……別に、彼にはそんなつもりはなかったのに。
「うっ……るさいな、早く別の困ってる人間のところへ行けよ!」
そう、言ってしまった。俺なんか、ただの学生の分際で。
「わかりました。赤や黄(生命の危機的状態の人 / 治療が必要だが一定時間は待機可能な状態の人)の方がいればと思いましたが。ここも間もなく倒壊します。軽傷者は隊員に続いて避難を開始してください。赤と思われる方は……」
「いいからっ!なんなんだよ……っ、お前はAIか何かかよ!そうやって感情のない機械みたいに……っ……、向こうに!もっと多くの人間がいるって!!言ってんだよ!!!」
そんな風に、言ってしまった。向こうに本当に人間がいたかなんて、知らない。
一瞬だけ目を見開いた彼は、「ではここは任せます」とだけ言って、一緒に来た隊長と思しき者とコンタクトを取ったかと思ったら奥へ消えていった。
近くにいた看護師は「先生……」と心配そうにしていたが、「とりあえずできることをやるしかないです……」とだけ言って、軽症者を隊員の指示に従わせようとした。
……が、その直後だった……大きな余震が起きたのは。
元々半壊状態だったこの建物はいよいよ倒壊の危機だった。いや、危機どころじゃない。ガラガラと、建物が恐怖の音を立てながら倒壊していく。
俺たちは逃げる余裕なんかなかった。
「倒壊……してしまう……!!」
逃げるより、思うより先に、建物が雪崩のように崩れ落ちる。
半壊した建物が崩れるのは、思っていた以上にあっという間のことだった。
……
…
……建物が崩れゆくのは実にスローモーションに見えた。
これが、命が終わるということ……。そんな中俺が最期に思ったのは、「なんで、さっきの医者に『お前はAIか』なんてひどいことを言ったんだろうな」って、そんなことだった。
……その医者の名前こそが、リシャール・シュヴァリエだった。