◇◆ Gaël ◆◇
俺は論文のために、レミ先生との待ち合わせより1時間以上も早く、このカフェについていた。
あ、俺はガエル。全然論文進まないの。お願い、応援して。
今日レミ先生は日直だから出勤前に1時間だけ、と言って時間を取ってくれた。そして6:30にこの早朝からやってるカフェで待ち合わせをした。
レミ先生は、俺の所属する天文部のOBだ。学年は重なってはいないけど、いつかの飲み会の時に先生も来てたから、俺から連絡先を聞いたんだ。だって、大学病院の救急部所属って、めちゃくちゃかっこいいじゃん!
レミ先生は俺の憧れでもあるんだよ。真面目で気配りも上手くてさ。だけど、そんなレミ先生とこうして二人で会うのは初めてだから、ちょっとだけ緊張している。
ちょっとだけね。目上の人との会合って、変に緊張するじゃんか。
相変わらず進まない論文を目の前に、フレデリックからの手紙について考えを巡らせていた時、カフェの入り口が開いてレミ先生がやってきた。まだ約束の5分前。先生もすぐに俺に気が付いたようで、俺が既にミルクティとクロワッサンを食べ終わっていたことに少し驚いていた。
「ガエル、早かったんだな。お待たせしてすまない」
「全然っすよ!むしろこっちこそ忙しい中すみません」
「それは大丈夫だ。ガエル、いつから来てたんだ」
「5時ころからっす!俺、朝型なんで」
「論文?」
「そうです!全然進まないんですけど。……マティス教授いなくなっちゃったし」
「そうだよなぁ……やはり、亡くなったらしいな」
マティス教授の訃報は、昨日の夜ニュースでも報道されていた。
その目撃者は、口をそろえて『雷ような爆発だった』と言ったそうだ。だけどそれが本当に自然による落雷だったかはわからない。なぜならその雷は別棟8階の、マティス教授の研究室目掛けて放たれたように見えたと目撃者は皆が皆そう言うんだ。
何か、ある気がする……
「それでガエル、話って」
レミ先生が真面目な顔をして尋ねてきた。説明が下手な俺はとりあえず、フレデリックから日付指定の手紙が届いたことを話し、内容を読んでもらうことにした。
手紙に書かれていたことは、昨年7月に起きたリラとリスの失踪の真相についてと、昨日起こるべきだった『マティス教授が企てていた【魔導基部】の摘出計画について』と、その改変について。
そこには例のサンプルのことも書かれていた。特殊魔法で作り出した物質を保存していると。これには少し安堵したけど、俺はマティス教授が魔術師の【魔導基部】を生きたまま摘出しようとしていたことにぞっとした。だってそれって……人体実験と変わらない。
「これです、フレデリックから届いた手紙。フレデリックは今回の一連の事件の内容を知っていて、俺にカプセル郵便で未来の日付指定をして手紙を出していたみたいなんです。」
「フレデリックはなぜこのことを?」
「それは……先生、今日のことは誰にも言わないでくださいよ。あいつは《特殊魔法》で未来が見えたんです」
「へぇ……未来を。それでこの手紙か」
「先生、びっくりしないんですね」
「まぁ、魔術師って割となんでもありだからな」
「やっぱ先生、大人っすね……」
俺なんかめちゃくちゃびっくりしたのに。
先生はそんなことないよ、と言いながら話を続ける。
「だけどこの内容を知っていたとは驚きだ。なぜフレデリックは生前、これを誰にも言わなかった?」
「うーん……それは俺にも詳しくはわからないんですが、フレデリックは、フレデリックが見た未来は変えられないと、そう言ってました。」
「……ははぁ……だからか」
「?」
「いや、昨日あそこにフレデリックがいた理由だよ。彼がマティス教授をやったんじゃないのか。幼馴染を危険に晒されたくなかったから」
「……っ!違いますよ、あいつがそんなっ……人殺しなんて!」
「じゃあなぜ昨日あそこにいた」
「いや、だって……昨日だって、俺には見えなかった。だってあいつは……あいつは、もう天に召されてしまってこの世にはいないんですよ……!」
「だが《天に召されること》はまだ多くは解明されていない。天に召されたと言っているのは魔術師側だけだ。それも多くは報道されないし、魔術師は何か隠しているのでは?現に私はこの目で見た」
「……っ、その証拠は?」
「証拠は……ないな」
「じゃあそれ、先生の見間違えですよ」
「……」
ショックだった。先生がそんなことを言うなんて……。思わずむきになって言い返してしまったけど、先生ならこの手紙を信じてくれると思ったのに。
だけど本当に昨日あそこにフレデリックがいた?そんなわけ……
……
だけど昨日先生がフレデリックを見たと聞いてから、ひっかかっていたことがある。
ちょっと賭けかもしれないけど、俺は聞いてみることにした。
「レミ先生、話は変わりますけど。先生は魔術師の医師であるリシャール・シュヴァリエ先生って知ってます?」
「……リシャール……シュヴァリエ……?」
「俺がずっと探している先生なんです。その先生に会いたくて、俺はシュヴァリエ先生の論文をずっと読んできました。シュヴァリエ先生は魔法蘇生学を専門分野としています。そこで俺、気になる一文を見たんです」
「……どんなだ」
「先生の特殊魔法は『蘇生』。医療者の間では魔術師の医師の特殊魔法は一般的に公開されています。なぜなら、それは医療現場でも用いられるから。実際カルテとかにも記載ありますよね。その『蘇生』を局所で用いた場合は特に問題となることは起きないそうなんですが、シュヴァリエ先生の見解では心肺停止から一定時間以上経った後の蘇生した者や、ひとりの人間の全体細胞のうち約79%以上を蘇生した者にはある変化が起こると書いてありました」
「ある変化?」
「はい。それは、『今まで見えなかった人間が見える』と」
「……!」
「この世界は混沌に満ちています。生者も死者も、混然一体となったこの世界は。先生の見解ではその、『それまで見えなかった人間』というのは……」
「『死者』……と。そういうことか」
「そうです。だから……レミ先生、今まで物凄い大怪我とかしたりしました?」
「……。わから……ない……。だけど私は8年前……あの災害で…………気が付いたらベッドの上にいた。……だが、上手く思い出せないのだ………8年前の、あの日のことを」
悩まし気に頭を抱えるレミ先生。……やっぱり。レミ先生は一度死にかけて、蘇生されたんだ。上手く思い出せないのはその時脳にダメージを受けていたとか、そんな感じかもしれない。
シュヴァリエ先生の論文。これは一般的には公開されていない。いや、一時公開されていたけどのちに秘匿事項とされたことだ。
俺が見つけた論文は、ケヴィン先生の部屋でたまたま見つけたものだ。……勝手に読んでたからめちゃくちゃ怒られたけど。だけど、凄く大事に保管されてたんだよな。
これは8年前の災害以前に書かれている。だけど今は世界中どこを探しても、今はこの原本しか残っていないらしい。そして……シュヴァリエ先生本人は現在消息を絶っているという。
……。
「レミ先生が昨日見た" フレデリック "は、やっぱり、死者だったんですよ……」
「……」
「だって、先生のほかに誰もフレデリックを見た人なんて、いなかったでしょ?」
「………」
「だから……フレデリックは今回起こることを予め知っていて、マティス教授を迎えに来たと考えた方が自然じゃないですか……」
そう言いながら、泣きたくなってくる。
だって、もしかしたら生きてるかも、ってちょっと思っちゃったから……でも、やっぱりフレデリックはもう、いないなんて。
……。
沈黙が走る。フレデリックの事。それから、シュヴァリエ先生の事。
……
……
……思った。俺、今言っちゃいけないこと言ったんじゃない?
「先生、」と言いかけたところで「ガエルすまない、少し考える時間をくれ」と、レミ先生に言われた。時計の時刻はもうとっくに朝7:30を回っていた。
先生はこれから仕事だけど、俺は昨日の影響で休講。
……。
どうしよう。気持ちが落ち着かないから、あとで大聖堂行ってお祈りしてこよ……