次に僕が目を覚ました時、そこは馴染みのある
高校の冬仕様の制服を着て、勉学をしているということは、僕が亡くなる前の過去の時代か。
みんな答案用紙を手元で確認しながら、様々な表情を浮かべている。
喜怒哀楽、その感情は人それぞれだ。
(あれ、この景色には見覚えがある……。もしかして、あの時の抜き打ちテストの結果発表の再来か?)
そう感じた僕も手元に、そのプリントを持っていた。
教科は数学で、あの時と同じテスト内容で採点も48点。
黒板に書かれてある赤点の40点は、何とかかわすことができた。
しかし、問題はそこではない。
僕は前回の記憶を掘り起こし、数学担当の
気のせいか、興味のないクラスメイトの名前が馬の耳に念仏のようで、聞き取った記憶から、すっぽりと抜け落ちていく。
今の僕には彼女の存在しか、耳に留まらない。
はなっから、他の人の名前など眼中にはないんだ。
「……
「あっ、はい」
「和賀、これはどういうことだ……」
蔭谷教師が岬代の点数の書かれたプリントを突きつけて、彼女の耳に
僕は、その二人の会話を聞き漏らさないように全神経を耳に集中させた。
「……これじゃあ、君のお母さんにはもっと働いていてもらわないとの」
「……何でですか、母の借金はすべて返したはずです」
「……分かってないな、追加の延滞料金じゃよ。滞納していたぶんの金の振り込みがまだじゃが?」
「……くっ」
「……まあ、その件は次の休み時間にでも、語るとしようかの。
……さて、これ以上の接触は他の生徒に勘づかれるからな……」
蔭谷教師がにこやかに笑い、岬代に普通のトーンで返す。
「……これは酷すぎて点数公開にはならんな。春休みはタップリ補習じゃな」
教師の脅迫じみた耳打ちで、青ざめた顔色になる岬代。
僕も初めは彼女が悪い点をとって落ち込んでいると思っていたが、二人の小声の話からでは、それだけではないらしい。
やはり僕の考えていた通り、何か裏があったのだ。
その接点は教師と生徒。
話の流れからして、もうすでに岬代はヤバいことに首を突っ込んでいるのか?
借金とは何だ。
彼女に何があったのだろうか。
僕は放課後に岬代と一緒に帰りながら、さりげなく話をしてみようと、スマホのメールを送る。
向こうからの返事は、あっさりとOKだった。
ここが夢の世界か、過去の世界かは確信は不明だが、後に自殺する彼女の行動を、ここで食い止められるかも知れない。
僕は少なからず岬代が好きで、彼女に
心の底から、そう感じていた──。
****
──放課後の15時過ぎ、冬のわりには幾分か、日差しが照りついた下校の帰り道を、二人で肩を並べて歩く。
その際、少し帰り道を外れ、寄り道を重ねた。
「わざわざありがとうございます」
「何の。この時間帯だから小腹が空いてるだろうし、少し長話になりそうだからな」
近所でいつも世話になっている精肉店の牛肉コロッケ。
外はサクサク、中はしっとり。
中の牛肉は骨から近く、商品としては値打ちのない部位をカットして、ミンチにしたらしいが、結構、有名な高級肉からの部分なので、お金のない学生でも、ちょっとしたセレブ気分を味わえる。
僕は岬代に、もう1つの紙包みのコロッケを手渡し、二人揃って、近所の公園の白いベンチに腰かけ、揚げたての食感を楽しむ。
「まさに、これこそ生きているって感じだな」
「ええ、そうですね……」
岬代のコロッケを食べる手が、ふいに止まる。
彼女は俯き、日焼けのない白い手は微かに震えていた。
「何を言われたか、知らないけど命は大切にしなよ」
「えっ……」
「間違っても、列車に飛び込み自殺なんて駄目だよ。賠償金も
「どうして、自分が死のうとするのを知っているのですか?」
「そうだな。僕は遠い未来から来たからなって、あっ……」
だから平然と『そうだな』じゃない。
調子に乗って、思わずカミングアウトしてしまった。
己の口の軽さが災いする。
それでも岬代は何も追求せずに、僕の瞳を真剣に見つめていた。
「それはそうと、岬代。そろそろ
「……はい」
◇◆◇◆
──あれはまだ、古ぼけたマンションではなく、自分が大きなお屋敷に住んでいた頃の話。
和賀家の財力で、欲しい物なら何でも手に入った時代。
何個もの部屋があり、色々とサポートしてくれる召し使いもいて、何不自由しない優雅な生活。
自分があの高級和菓子が食べたいとねだると、翌日には食べきれないほどのそれの全種類の和菓子が家に届き、
友達のようなあんな可愛い自転車が欲しいと呟くと、次の日には多種多様の自転車が庭に10台くらい、ずらりと並べてあったりと、
自分が口走ると色々な物が手に入った。
でも、お金だけじゃ買えない物がある。
人間関係と心からの愛情。
そのことを知らされたのは、高校に入学してからだった。
元々女好きで、母親に愛想を尽かされた父親による突然の蒸発。
それにも関わらず、自分たち親子はこれまで以上に仲良くし、お金の節約のために築の古いマンションに引っ越し、母子家庭になっても、その財力のお陰か、父親がいなくても平穏に過ごしていた。
だけど、母親は
そう、激しい労働生活で体を壊し、車イス生活で収入源は内職になった母親。
勉強で忙しい自分に代わって、母親には少なからず、影で支えてくれるパートナーが必要だった。
そんなある日、母親が車イスを軽快に滑らせ、にこやかな顔で私に紹介してくれた人。
母親に久しぶりとなる、恋人ができたのだ。
もう、母親の苦しみを包んでくれる優しい相手の存在に、まるで恋をした自分さながらに胸がドキドキしていた。
「こんにちは。 岬代ちゃん」
玄関先で出会った年配の白髪頭のおじいちゃんらしい人を見て、自分自身も信じられない気分に襲われた。
その相手は、あの蔭谷教師だったからだ。
彼がニコニコと紳士のように振る舞う姿を見て、その頃の自分は少しも疑問を抱かなかった。
しかし、後に判明するのだけど、この教師はギャンブル、酒、タバコ、麻雀好きで、お金目当てで、近付いたろくでなしでもあり、私たちの財力は半年も立たずにあっという間に無くなり、多額の借金を背負うようになった。
同じく同居していた姉の
自分は母親と二人ぼっちになった。
それにも懲りず、何も遠慮もせずに、自分たちからお金を巻き上げる教師。
そうなれば、自分も母にバレないようにバイトをするしかなかった。
その結果、勉強についていけなくなり、今回の数学でのテストの16点の点数。
テストの結果はさておき、母親は自分のことは気にせずに、夢に向かって勉強して、好きな大学に進学しなさいと後押ししてくれた。
でも、お金にうるさい蔭谷教師はそうは許さなかった。
そのうち、自分の心は追い詰められて、死へのカウントダウンを踏み出していた。
いつものように勉強をして、手作りの弁当を食べて、今日もやり遂げたと満足した学校の帰り道、自分は堅く決意する。
母親がかけてくれた自分の生命保険で、何とか生活が、まかなえるのではないかと……。
****
「……まさか、お嬢様でも名ばかりの貧乏女子だったとはな。それで死のうと思っていたのか」
「はい、すみません」
「随分と安着な考えだな」
「なっ、
岬代の一部始終の話を聞いた僕は頭の中で話を整理する。
そこから考えた結論、彼女は親のために、一人命を捧げようとしていることが、よくよく分かってきた。
「あのなあ、お前が死んだら生活は楽になるかも知れない。だけどお金じゃ埋まらないものもあるだろ……お前が死んだら残された姉や母が悲しむぞ」
「でも、そうでもしない限り……」
「だからって、一人でなにもかも抱え込むなよ。それに命はお金では買えないし、一個しかないんだ。そんな下らない教師のワガママで、そうやすやすと散らすまでもないさ」
「だから、もう岬代は家に帰っていなよ。僕が蔭谷と直接、話をつけてくる」
「ですが……」
「心配しないでよ。すぐにけりをつけるからさ」
僕は、ベンチから腰を上げ、食べ終わった包み紙を丸め、傍にあったごみ捨てカゴにシュート(包み紙)を外さないよう、上手くポイッと投げ捨てる。
そして、心配そうな岬代の肩を軽く叩き、彼女に見送られて歩き出した。
すべての現況の
****
「──何じゃ、帰ったのじゃなかったのか?」
僕が、急な話があると教室へと呼び出した蔭谷教師が、不思議そうな面持ちでこちらを眺めている。
まだ、自宅には帰っていない制服姿だったからか。
それとも……。
淡い夕暮れに染まる、二人っきりの教室にかけている壁時計は、既に17時を指していた。
「それでこんな時間になんの話じゃ? お主は赤点補習じゃなかろう?」
「僕の話じゃありませんよ」
「はて、そんな怖い顔をして、何のつもりじゃ?」
どうやらこの教師には良いことと、悪いことの区別がついていないらしい。
「ぐはっ!?」
僕は教師の頬を、怒りの感情任せに思いっきり殴っていた。
その勢いで教壇から吹っ飛び、生徒の机の方へとなだれ込む蔭谷教師。
「……何じゃ、痛いのお。暴力はいかんぞ」
「あんたの犯してきた罪が、この程度で済むなら安いもんさ」
「だから、何のつもりじゃ?」
「いい加減、分かるだろ。もう岬代たち一家から離れろ。このいい歳したじいさんが!!」
──その瞬間、蔭谷教師を包む穏やかな雰囲気が冷たく変化した。
「あはははは。何だ、そのことか。その程度で我輩を追い詰めたとでも?」
「ふざけるなよ。何がおかしいんだよ?」
蔭谷教師の顔からは余裕の笑みが浮かび、老体の口調さえも若々しくなる。
「ふふふ。どうやら君には転生の能力があるみたいだね。しかも過去にも戻れると来たものだ。ならば!」
教師が僕の手前に片手を出し、そこから放たれた真空波で、僕の視界が床へとズルッと転がり下がる。
「だから、話を聞け……がはっ!?」
首先が凄く熱い。
どうやら首をはねられたようだ。
「次はこの程度じゃ済まないよ。
「そう……か……、やっぱり、お前の……正体は……」
答えを出そうにも、ひゅうひゅうと風切り音のような声になり、次の言葉が口から出てこない。
もはや、今回はこれまでか。
僕は抵抗もなす