「──いかないで」
誰かが叫んでる声がする。
でも音信不通だった母親のわりには声が若い。
声のした先には光の玉があり、僕の周りをぐるぐると回っている。
「──安心して大丈夫だよ。僕はどこにもいかないから」
僕はその光の玉を両腕で抱き寄せ、しっかりと掴んだ──。
****
「──大丈夫だよ、僕が……」
「だからいい加減止めな。近いってばこの変態!」
「ふぐぉ!?」
鼻がめっちゃ痛い。
神経が
「人が
美冬よ、魚をシメてどうするんだ。
涙目の僕には魚屋のおばちゃんではなく、啖呵を切るレディースの総長にも見えた。
そうか、これは夢なんだ。
ほっぺを勢いよく引っ張って真相を確かめる。
「いででで……!!」
いや、駄目だ、頑張っても痛いもんは痛い。
お金にもならない、その頑張りは何なんだ? という疑問すらも浮かぶ。
「どうかしたの? 美冬?」
「あー、
美冬たち姉妹が何の危機管理もなく、寄ってきたんだよね?
男は大人しくても紳士的でも下心丸出しの野獣なんだってば。
それが人と人を繋げる、種の保存なんだから。
「もしそうなったら、
指の関節を鳴らしながら、僕と美冬との間に乱入する格闘家夏希。
口元には濃い髭を生やしていて……いや、よく見たら油性マジックか。
「二人とも止めなさい。病人に失礼でしょ」
「でもさ、この病人さ、秋星の胸に思いっきり顔を埋めたんだよね。一回シメるくらいなんてこと」
「うー、だからあれは忘れ物を取りに戻った時の不幸中の事故だったんだよ!!」
あの柔らかい感触は秋星のたわわだったのか。
わりと大きめだったし、勢いよくぶつかっても、クッションみたいな感じで、心地よかったよな……。
「不幸のわりにはコイツの顔、思いっきり昇天してたわよ」
「何なら夏希もかかと落とし食らわして昇天させたーい!!」
そんな技、食らったら今度こそ死んじゃう。
僕のライフポイントも精神力も瀕死になってる。
誰か回復呪文のホイミをかけ続けてくれ……。
「だから誤解だってばっ!」
秋星が真っ赤になって否定しても、その慌てぶりじゃ説得力がない。
病人を前にしてギャンギャンと犬コロみたいにうるさいよ。
全く騒がしい姉妹だよね。
「あれ、ここは僕の部屋だよな?」
「アンタが突然倒れるから、お父様に頼んで車で家まで送ったのよ」
白を貴重とした殺風景な僕の部屋、兼寝室。
こんな押し入れの中以外に何の飾りっけがないむさい男の部屋に来て、何のようだ?
しかも脳卒中か知らないけど、それほど重症だったのか。
父親を様付けなんて、どんだけファザコンなんだろうと思ったが、そんな美冬がいつにもなくデレて、僕の背中を平手で叩く。
「脳卒中ってバカじゃないの。ジジイかよ!」
「あいたたた!?」
あのさあ、手加減というものを知らないの?
冗談抜きで痛いよ。
「美冬、すごく動転してたよね」
「別にしてないし、それ秋星だけじゃん!」
マジな顔つきで、その時の様子を再現してるけど、お披露目会でもないし、今やる必要なくね?
「はいはい。照れなくていいからね」
「美冬ちゃんバブバブ」
「子供扱いすな‼」
姉妹の言い分にキレた美冬が側にあった枕を夏希の顔面に投げつけるが、夏希は何とも言わない顔つきでそれを避ける。
「なに、今の残像?」
「ふふふっ、その程度の攻撃では夏希には指一本も触れられない」
その余裕の微笑みパネェ。
戦闘力百万か、ただの肉まんか知らないが、予測できない動作で相手を撹乱させたな。
僕の着ていたのは学ランじゃなく、いつもの青い縞模様のパジャマだったけど……。
一体誰が着替えさせたんだ?
ツンデレ次女からは想像できないし、三女なら強引に着せられ、服が破けていそうだし……だったら大事な体も見られて、あまりにも立派だから一夜を共にしたいとか言われても困る。
僕は綺麗な花畑に囲まれて、本当に好きな娘にファーストキスを奪われたいんだ。
こんな僕に好きな女性なんてできるかなって思うけど。
「今日は夏希の好きなカレーだよ」
「はいはい。拙者、どこまでも美冬お嬢について行きやす」
美冬にひとさし指を突きつけられて、カレーという黄金の料理に甘い吐息を弾ませる夏希。
それはそれで色々とヤベエな。
「ちなみにレトルトだから」
「レトルトでもオッケー!」
オッケーじゃないよ。
その場の空気に飲まれ過ぎだよ。
「それでお父様から直々に話があるんだけどいい?」
美冬が苦々しい顔つきで僕にスマホを差し出す。
何だろう、あれほど僕を嫌っていたのにフリフリなLI○Eのお誘いか?
「LI○Eじゃなくて直通よ。ひとりごとはいいから、早く電話に出てよ。アンタのお父様だって年中暇人じゃないでしょ?」
「はあっ、僕の親父が? 君たちと何の関連があるんだよ?」
難儀な会話の流れについていけない僕はベッドから下りて、大きく伸びをする。
ベッド際の勉強机の目覚まし時計は朝の六時を指していた。
ああ、今日は祝日で学校は休みか。
学生服を着てる姉妹は部活でもあるのかな?
あー、気絶か、そのまま疲れて眠りに陥ったのか分からないけど寝足りないな。
少々値が張るけど安眠枕でも欲しいな。
だったら親の仕送りだけじゃなく、バイトも探さないとね。
「はー、このナマケモノのねぼすけは本当に何も知らないのか……」
美冬が呆れた口振りでピンクとアクセでデコった痛々しいスマホを僕の顔に押しつける。
尖った部品がまともに刺さって痛いよ。
「ほらっ、とっとと電話に出な。親子だからこそのコミュニケーションも大事よ」
あー、この女の子には理屈が通用しないな。
僕は多少不満げになりつつも、そのスマホの通話に聞き入る。
『……もしもし、
「あっ、親父? 何のつもりだよ?」
驚くのも無理はない。
通話先の相手は間違いなく僕の親父の声だった。
『ああ、ごめんな。仕事で中々抜けられなくて志貴野に報告するのを忘れてたよ』
海外の記者の仕事も大変だなと思いながら黙って話を聞く。
僕は頑張って稼いでる親父のお陰で、この不自由ない一軒家での生活を送れているんだから。
『父さん、向こうのハワイで再婚したのさ』
「それは唐突だね。でもおめでとう」
親父の微かな笑い声に幸せそうな感じが伝わってくる。
『ありがとう』
『それでな、再婚した母さんには年頃の娘がいてね。
「えっ、三重咲って今、僕の目の前にもいるんだけど?」
三重咲という言葉に反応した秋星が可愛く舌を出し、美冬が膨れっ面で腕組みし、夏希に至ってはその場で回し蹴りを始めた。
ここで回し蹴りはアブねーつーの。
『ああ。新しい母さんも父さんと同じ忙しい仕事の身でさ、中々日本に帰省できなくてね』
「何だよ、それってまさかの?」
『そう。どうせなら三重咲姉妹も一緒に暮らそうという話になったのさ』
「おい、僕抜きで勝手に話を進めるな……」
『どうした? 志貴野? もしもしー?』
「……ぐぬぬ」
苛立ちを含んだ沈黙のまま、親父の返答を聞かずして、スマホを美冬に返す。
編入して間もなく、ただでさえ女の子に不馴れなのに、その女の子たちと、しかも美少女の群れに加わってウチで一緒に暮らせだと?
親父、冗談も大概にしてくれよー‼