目の前の少女――ナナナは、静かに語りだした。
「私、日本じゃ釣れないと思って心配してたんです」
とびきりの笑顔の少女を前に、オッサンが肩をすくめて笑う。
「釣り? 俺もほっけとか好きだぞ」
「ワクチンはエサなんですよ。ボンクラどもを呼び込む為のエサ」
オッサンもナナナを見て最初は驚いていた。
その表情から察するに裏切ってはいなさそうだ。
だが、それにしても余裕の顔に戻るのが早い。
詐欺師としての経験値か、それともホームレスとしての胆力か。
捕まれば人生終了だってのに、肝座ってるよ。
「私は正義のヒロインになりたいのです。ですが、同時に正反対の欲望も持っていました」
突然の自分語り。
聞いて聞いての承認欲求は、しかし、この場をどう切り抜けるか考える時間にはうってつけだ。どしたん、話聞こうか?
「人間をいっぱい殺したいという欲求です」
「マジもんのサイコかよ」
肝の据わっているオッサンでも声が震えていた。
「天才である私は思いつきました。高額のワクチンというエサをばら撒き、ダークウェブで泥棒の募集をかける。そして、集まったボンクラと命を賭けたFPSを楽しむ。悪人を殺すのであれば、私は正義の味方でしょう?」
私はナナナを睨みつけた。
「理論破綻してるし、趣味わっる。オッサンより趣味わっる!」
「おい、何気に俺を巻き込むな」
つい出ちゃったホンネにナナナの眉が歪む。
「調子に乗っているようですが、レディー。あなたの集めた情報は私が撒いたエサですよ。あなたみたいなゴキブリが、大それたことを成功できるはずがありません。ま、日本人は臆病で釣れたのはあなただけなので……そのバカさ加減にはサンキューですがね」
勝ち誇った顔で胸を張るナナナは饒舌だ。
私は小さくため息をついた。
出入口は一つしかない。そこをふさがれては劣勢だ。
ナナナが調子に乗るのも当然。
どうすればこの場を切り抜けられるか、頭の中で策を張り巡らせる。
その思考を遮るように、オッサンが咳払いをした。
「どうせ俺たちハチの巣になって死ぬんだろ。最期に聞いていいか?」
「何です?」
得意げなナナナが小さな胸を張った。
「ワクチンって何でこんな高いの? ほら、前に流行したコロナとかはワクチン大量生産してたじゃん」
「ふっ。そんなの決まっています。私しか作れないからです」
「じゃ、キミが大量生産すればいいじゃん」
ナナナは少し考えて答えた。
「何故でしょうね?」
ナナナの人を食ったような答えに、オッサンはすぐには返答しなかった。
視線だけで隣に立つオッサンを見て驚く。
真っ青な顔で唇を噛んでいたのだ。
これまでヨユーシャクシャクだったからか、余計に余裕のなさ……というかスゴミを感じる。
「お前みたいなヤツがッ!」
びっくりした。
いつものらりくらりの省エネ・オッサンが声を荒げていた。
――が、本人も「らしくない」と思ったのだろう。
深呼吸するように鼻から息を吐いた。
ナナナはサイコパスか。
私だって小悪党でサイコパスな自覚はある。
だが、こいつは何なんだ?
少なからずこいつの研究で助かっている人もいる。
一億円を払ってワクチンを買った人間だ。
じゃあ、善人なのか?
こいつがワクチン大量生産しないことで、死んでいった人たちも大勢いる。
じゃあ、悪人なのか?
こいつは一体、何なんだ?
分からないが、生理的な悪寒というか、耐え難い気持ち悪さが背筋を駆け上る。
自問の答えを出す前に、ナナナが声のトーンを下げた。
「さ、おしゃべりはここまでです。踊ってください」
――と、ナナナの人差し指が動こうとした時、背後のドアが勢いよく開いた。
ナナナが振り返ると、そこには――看護師や医師が立っていた。