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第2話 決行

「何でニヤニヤしてるの?」


 私は「何のこと?」と思いながらゆっこの顔を見た。


 ゆっこの顔が、よく見えない。


 黒く塗りつぶされていて、よく見えない。


 どんな表情なのか、思い出せないけれど。


 私の胸はきゅうと縮んで痛くなる。


 ロクちゃん、フツージャナイヨ。




「はっ!」


 ブランケットを蹴って飛び起きる。


 聞きなれた始発電車の轟音が窓を揺らす。


「夢……か」


 まだ施設にいた頃――小学生の時の記憶だ。


 私は普通じゃない。


 笑っちゃいけないときに、笑ってしまう。


 別に笑いたい訳じゃない。


 感情と表情が切り離される感覚。


 夏の分厚い空気に、小さな吐息が混じる。


 私は悪夢を振り払うように、クシャクシャ髪を掻いて立ち上がった。




 以前は、フツーになろうと思った。


 ビクビクと周囲を見渡して、なじんでいこうと努力した。


 だが、そうすればそうするほど、自分がフツーでないと知った。


 気持ちを切り替えれば楽になれた。


 フツーになんてなれなくていい。


 お金があれば――不自由はしないさ。


 そう、私は昨日、オッサンと契約を結んだ。


 大きな夢の第一歩だ。




 私はシャワーを浴びて顔を洗った。


 軽くメイクをしてパーカーを羽織る。


 夏の乾いた風が気持ちよい。


 私は住宅街を抜けた先にある土地に上り、約束していた鉄橋の下でオッサンを待った。


「よう」


 私は何も応えず、階段に座り込んでノートパソコンを開く。


 オッサンは目の前でウロウロした後、左斜め三メートル先の芝生に座り込んだ。


「ね、何で家じゃないの?」


「キタネーオッサン家に上げたくないし」


 家のネットも対策はしている。


 だが、万全を期して盗んだWi-Fiでサーフィンが安全と判断した。


 ま、キタネーオッサン家に上げたくないってのもホンネだけど。


「お前さ、ことが済んだら口封じで俺殺したりしないよね」


 私はワザと間を作った後に「ないないー」と笑って見せた。


「こっわっ!」


 しばらくキーを叩いていると、オッサンが口にした。


「なー。俺の報酬、ワクチン三本な」


 私はオッサンを見上げた。


 こちらの目をジッと見ている。


 どうやら、お金ではなく「ワクチンそのもの」がいいらしい。


 私にすりゃ換金の手間が省ける。


 どっちでもいいのでコクリとうなづいておく。


「それより見て」


 ノートパソコンに映っているのは、大東山病院の金庫を映す防犯カメラだ。


「これホンモノ? どうやって忍び込んだの?」


「バーカ、ハッキングだよ」


「でもさ、銀行とか病院の金庫とかってオフラインが主流じゃないの?」


 私はキーボードを打つ手を止め、大げさに驚いた顔でオッサンを見た。


「オッサンの割に賢いね」


「世界中のオッサンに謝れ」


「確かにオフラインカメラだよ。でもね、その映像を医院長に定期的に送ってるみたいなんだよね。ネットで」


「な、なるほど……そっちをハッキングしたのか」


「つまり、数日単位でラグがあるんだけどね。対策打つには十分。そして、これは金庫稼働日の映像」


 最近の防犯カメラは性能がよい。解像度的にも色的にもなかなか鮮明だ。


 病院の医院長らしき恰幅のよい中年と、その場所に似つかわしくない少女が立っている。私と同じくらいなので、高校生くらいだろうか? 少女は目の下にクマがあり、カラフルなツインテールを指に絡ませて遊んでいた。医院長らしき男がふくよかな腹をさすった。


「まさかキミみたいな少女がワクチン製作者とはね……」


 少女は男を睨みつけた。


「年齢で人を判断しないでください。私はあなたの何億倍も優秀なのです」


「うぐ……ストレートパンチ」


 ワクチン製作者であり、数々の企業や研究所のオーナー――。


 世界的な天才博士ナナナは、メディアに顔出ししていない。


 まさかこんな少女だったとは。


「そんなことより……このワクチンを日本で売るのは初めてです」


「うむ」


「狙うヤカラもいるでしょう。私の方でもセキュリティを用意しましょう」


「日本じゃそういう犯罪は起きないよ。ハハハ」


「そういう油断があるから、あなたはいつまで経ってもザコで小物なのです」


「一応、ぼくちん病院長だかんね!」


 意味の分からないケンカが勃発している。


「さっきからうるさいですね」


 あ、少女が男を殴った。


 突然のDV映像は、ワクチンを金庫に保管するところで終わった。


 バッドエンド。


 しかし、それにしても――私と同い年くらいでワクチンを作るなんて……。


「世にはマジもんの天才がいんだな」


「お前も十分バケモンだけどな」


 私はオッサンの頭をノーパソのカドで殴りつけた。


 唐突なDV。


「痛っ! 血、血出たって! マジで、見てこれ。殺す気か!」


「オッサン、変装も得意なんだよな」


「強引に話戻すなよ。あぁ、変装も得意だ。詐欺の一環でね。劇場型詐欺、知ってる?」


「当日、病院職員になって金庫がある場所まで案内して欲しい」


「それが俺のお仕事内容ってワケねぇ」


「できる?」


「……しかしよぉ、お前、何でこんなことやってんの?」


 急に何のことか分からず、首をかしげてしまう。オッサンは虫の居所が悪そうに頭をかいた。


「若いし……それに頭だっていいだろ。何で犯罪ばっかしてんだ」


「これ以外、できることがない」


「一発逆転を狙うってワケか」


「……」


「このヤマ終えたらもう犯罪しないってことか?」


「知らね」


「……刹那的だねぇ。俺にもガキがいたけど、お前みたいに生意気だったなぁ」


 オッサンは渋い顔でアゴにうめぼしを作っていた。


 いけない、こんなこと語るつもりはなかったのに――ついホンネを漏らしてしまった。


 私は立ち上がって勢いよく手を叩いた。


「さ、決起会は叙々苑だろ? 行こうぜ」


「え、ホントに? よいの? よき? よき?」


 暗かったオッサンの顔にパァと花咲いた。


「そっちの商店街の角に黄色い看板の叙々苑が……」


「チェーンの牛丼屋じゃねぇか!」


 オッサンの花は一瞬で散った。


 マジで残念そうに口をヘの字に曲げてておもしろい。


「ジョシコーセーに奢ってもらえるって話で目輝かせるなよー。情けない」


 私はごまかすように笑った。


 一発逆転を狙うには……これしかない。


 オッサンの言う通り。


 私みたいなフツーじゃない人間が幸せになるには……これしかないんだ。




 それから一週間後――。


 私たちは例の橋の下で待ち合わせた。


 オッサンの計画が整ったらしく、打ち合わせをしたいとのことだ。


 オッサンは病院の見取り図を広げ、どこから侵入してどう進むべきか説明する。


 見た目は汚いホームレスだが、仕事は早く正確だ。


 新宿では右に出る者はいないと言われる情報屋、タツさんの紹介なだけはある。


 それに――。


「絵がうまいんだな」


 合間に差し込まれる挿し絵に感心してしまう。


「これくらい誰でも描けるだろ」


 言葉とは裏腹に、オッサンはニヤニヤ顔で照れていた。




 更に一週間後の決行日――。


 オッサンとはまた橋の下で待ち合わせることになっていた。


 約束の時間に到着するが、オッサンはまだ来ていない。


 私はコンクリートの壁に背を預け、右耳にイヤホンを突っ込んだ。


『なかなかイケてんじゃん、俺!』


 イヤホンからオッサンのテンションの高い声が聞こえた。


 潜入用の服の確認だろうか?


 オッサンは一度クライアントを裏切っている。二度あることは三度ある。


 裏切り者だった過去を考えれば、オッサンを雇うのはハイリスクだ。


 だが、切羽詰まっているホームレスだからこそ、まともな契約も前金も必要なく雇うことができた。


 それに、女子高生の依頼を真に受ける大人なんて、こういうヤツしかいないだろう。


 ワクチンが日本にあるのは一時的だ。


 このチャンスを物にするには、リスクもやむを得ない。


 それに、リスクがあるなら潰せば問題ない。


 ――というワケで、私はオッサンの日常を「盗聴」することにした。


 三倍速で流す録音内容はおもしろくない日常で、特におかしな行動はなさそうだった。


 魚を咥えた猫を追いかける一時間に及ぶ激闘はワロタけど。


 それにしても――念のためとはいえ、無断でプライベートを覗くのは気分が萎える。


「お・ま・た」


 目を開けるとオッサンが立っていた。


 髪を整え、髭も剃ってスーツを着こなしている。


「まるで別人」


 身なりだけでない。顔つきや体型、声も少し違う気がする。


「変装は得意でな」


 私があげたヘルメットもかぶってくれている。


 何だかこそばゆい。いや、私が「かぶれ」ってわたしたものなんだけどさ……。


「荷物すごいな」


 私のリュックを見てオッサンが目を丸くした。


「金庫破りの秘密道具だよ」


 私とオッサンは歩き出した。


 目指すは東山大学病院だ。


 はたから見れば親子に見えるのだろうか?


 オッサン、ちゃんとしてると若く見えるったって三十くらいだ。


 親子じゃないとしたら……パパカツ……おげぇ。


 ヤバい、客観的にみると、パパカツっぽい。


「どしたん? 急に距離とって」


「近づくな、殺すぞ」


「不条理だねぇ」


 ちなみに、人が少ない休日でなく、むしろ「平日」を決行日に選んだのには理由がある。


 忙しい状況であれば、無関係な人間が紛れ込んでいたとしても気づきにくい。


 木は森に隠せ、作戦だ。


 私は病院の裏口で、変装用の白衣と眼鏡を受け取った。


「馬子にも衣装」


「殺すぞ」


「今日は早くも二回目の殺すぞ、いただきました」


 オッサンもニマニマ笑いながら白衣を羽織り、ヘルメットを取った。


 人気の少ない裏口から侵入。


 これまでにない緊張感が胸を躍らせる。


 しかも、裏口から入って直ぐ――若い女性の看護師と目が合った。


 大きなカゴを乗せたカートにはシーツなどがぶちこまれている。


 裏口の駐車場で待機している業者にクリーニングでも頼むのだろう。


「えと、あなたは……見ない顔ね……」


 私を見る目には疑いの視線がこめられている。


 いきなりのピンチだ。


 バレれば計画は失敗に終わる。


 その時、隣に立つオッサンが機転をきかせて看護師に説明した。


「研修医なんですよ。私の教え子です」


「あぁ、篠崎先生。先日言われていた姪ごさんですね」


 篠崎先生? 姪?


 なるほど、オッサン、もともといる医者になりすましているのか。


 ただ単に医者っぽくなるだけではない。


 だから顔つきや体型、声まで変えていたということか。


 もともと似ている顔なのだろう。オッサンは「シノザキセンセ」になりきっていた。


 じゃ、もとのご本人サマはどうなったのだろうか? あんまり考えないでおこう。


「先生に似てないですね」


「不愛想でしょ?」


「かわいいという意味です」


「ハハハッ、かわいいってよ。皆さんに失礼ないようにな」


 オッサンは私の背中をバシバシと叩いた。


 痛いっつーの。


 私はオッサンを睨みつけた。




 無事……と言えるか分からないけれど。


 疑われることなく看護師と別れ、薬品臭い院内を歩く。


 病院の見取り図は穴が開くくらい見てきたので、数十センチ単位まで頭に入っている。


 金庫がある地下に向かいつつ、すれ違い様の医者からカードキーを盗む。


 金庫がある部屋には、医者のカードキーが必要なのだ。


 すれ違う巡回の警備員に挨拶し、内心バクバクで階段を下りる。


 絶え間ない緊張感の中、ようやく地下部屋にたどり着く。


 鉄壁の金庫と監視カメラを信頼しているのか、警備員は配置されていない。


 オッサンは私を見て静かにうなずいた。


 金庫は扉の大きさから推測するに「小部屋」と言っても差し支えない。


 大人が何人か入る大きさだ。


 その圧迫感に呑まれそうになりながら、私は大きなリュックを下ろした。




「ゲーム・スタート!」

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