「何でニヤニヤしてるの?」
私は「何のこと?」と思いながらゆっこの顔を見た。
ゆっこの顔が、よく見えない。
黒く塗りつぶされていて、よく見えない。
どんな表情なのか、思い出せないけれど。
私の胸はきゅうと縮んで痛くなる。
ロクちゃん、フツージャナイヨ。
「はっ!」
ブランケットを蹴って飛び起きる。
聞きなれた始発電車の轟音が窓を揺らす。
「夢……か」
まだ施設にいた頃――小学生の時の記憶だ。
私は普通じゃない。
笑っちゃいけないときに、笑ってしまう。
別に笑いたい訳じゃない。
感情と表情が切り離される感覚。
夏の分厚い空気に、小さな吐息が混じる。
私は悪夢を振り払うように、クシャクシャ髪を掻いて立ち上がった。
以前は、フツーになろうと思った。
ビクビクと周囲を見渡して、なじんでいこうと努力した。
だが、そうすればそうするほど、自分がフツーでないと知った。
気持ちを切り替えれば楽になれた。
フツーになんてなれなくていい。
お金があれば――不自由はしないさ。
そう、私は昨日、オッサンと契約を結んだ。
大きな夢の第一歩だ。
私はシャワーを浴びて顔を洗った。
軽くメイクをしてパーカーを羽織る。
夏の乾いた風が気持ちよい。
私は住宅街を抜けた先にある土地に上り、約束していた鉄橋の下でオッサンを待った。
「よう」
私は何も応えず、階段に座り込んでノートパソコンを開く。
オッサンは目の前でウロウロした後、左斜め三メートル先の芝生に座り込んだ。
「ね、何で家じゃないの?」
「キタネーオッサン家に上げたくないし」
家のネットも対策はしている。
だが、万全を期して盗んだWi-Fiでサーフィンが安全と判断した。
ま、キタネーオッサン家に上げたくないってのもホンネだけど。
「お前さ、ことが済んだら口封じで俺殺したりしないよね」
私はワザと間を作った後に「ないないー」と笑って見せた。
「こっわっ!」
しばらくキーを叩いていると、オッサンが口にした。
「なー。俺の報酬、ワクチン三本な」
私はオッサンを見上げた。
こちらの目をジッと見ている。
どうやら、お金ではなく「ワクチンそのもの」がいいらしい。
私にすりゃ換金の手間が省ける。
どっちでもいいのでコクリとうなづいておく。
「それより見て」
ノートパソコンに映っているのは、大東山病院の金庫を映す防犯カメラだ。
「これホンモノ? どうやって忍び込んだの?」
「バーカ、ハッキングだよ」
「でもさ、銀行とか病院の金庫とかってオフラインが主流じゃないの?」
私はキーボードを打つ手を止め、大げさに驚いた顔でオッサンを見た。
「オッサンの割に賢いね」
「世界中のオッサンに謝れ」
「確かにオフラインカメラだよ。でもね、その映像を医院長に定期的に送ってるみたいなんだよね。ネットで」
「な、なるほど……そっちをハッキングしたのか」
「つまり、数日単位でラグがあるんだけどね。対策打つには十分。そして、これは金庫稼働日の映像」
最近の防犯カメラは性能がよい。解像度的にも色的にもなかなか鮮明だ。
病院の医院長らしき恰幅のよい中年と、その場所に似つかわしくない少女が立っている。私と同じくらいなので、高校生くらいだろうか? 少女は目の下にクマがあり、カラフルなツインテールを指に絡ませて遊んでいた。医院長らしき男がふくよかな腹をさすった。
「まさかキミみたいな少女がワクチン製作者とはね……」
少女は男を睨みつけた。
「年齢で人を判断しないでください。私はあなたの何億倍も優秀なのです」
「うぐ……ストレートパンチ」
ワクチン製作者であり、数々の企業や研究所のオーナー――。
世界的な天才博士ナナナは、メディアに顔出ししていない。
まさかこんな少女だったとは。
「そんなことより……このワクチンを日本で売るのは初めてです」
「うむ」
「狙うヤカラもいるでしょう。私の方でもセキュリティを用意しましょう」
「日本じゃそういう犯罪は起きないよ。ハハハ」
「そういう油断があるから、あなたはいつまで経ってもザコで小物なのです」
「一応、ぼくちん病院長だかんね!」
意味の分からないケンカが勃発している。
「さっきからうるさいですね」
あ、少女が男を殴った。
突然のDV映像は、ワクチンを金庫に保管するところで終わった。
バッドエンド。
しかし、それにしても――私と同い年くらいでワクチンを作るなんて……。
「世にはマジもんの天才がいんだな」
「お前も十分バケモンだけどな」
私はオッサンの頭をノーパソのカドで殴りつけた。
唐突なDV。
「痛っ! 血、血出たって! マジで、見てこれ。殺す気か!」
「オッサン、変装も得意なんだよな」
「強引に話戻すなよ。あぁ、変装も得意だ。詐欺の一環でね。劇場型詐欺、知ってる?」
「当日、病院職員になって金庫がある場所まで案内して欲しい」
「それが俺のお仕事内容ってワケねぇ」
「できる?」
「……しかしよぉ、お前、何でこんなことやってんの?」
急に何のことか分からず、首をかしげてしまう。オッサンは虫の居所が悪そうに頭をかいた。
「若いし……それに頭だっていいだろ。何で犯罪ばっかしてんだ」
「これ以外、できることがない」
「一発逆転を狙うってワケか」
「……」
「このヤマ終えたらもう犯罪しないってことか?」
「知らね」
「……刹那的だねぇ。俺にもガキがいたけど、お前みたいに生意気だったなぁ」
オッサンは渋い顔でアゴにうめぼしを作っていた。
いけない、こんなこと語るつもりはなかったのに――ついホンネを漏らしてしまった。
私は立ち上がって勢いよく手を叩いた。
「さ、決起会は叙々苑だろ? 行こうぜ」
「え、ホントに? よいの? よき? よき?」
暗かったオッサンの顔にパァと花咲いた。
「そっちの商店街の角に黄色い看板の叙々苑が……」
「チェーンの牛丼屋じゃねぇか!」
オッサンの花は一瞬で散った。
マジで残念そうに口をヘの字に曲げてておもしろい。
「ジョシコーセーに奢ってもらえるって話で目輝かせるなよー。情けない」
私はごまかすように笑った。
一発逆転を狙うには……これしかない。
オッサンの言う通り。
私みたいなフツーじゃない人間が幸せになるには……これしかないんだ。
それから一週間後――。
私たちは例の橋の下で待ち合わせた。
オッサンの計画が整ったらしく、打ち合わせをしたいとのことだ。
オッサンは病院の見取り図を広げ、どこから侵入してどう進むべきか説明する。
見た目は汚いホームレスだが、仕事は早く正確だ。
新宿では右に出る者はいないと言われる情報屋、タツさんの紹介なだけはある。
それに――。
「絵がうまいんだな」
合間に差し込まれる挿し絵に感心してしまう。
「これくらい誰でも描けるだろ」
言葉とは裏腹に、オッサンはニヤニヤ顔で照れていた。
更に一週間後の決行日――。
オッサンとはまた橋の下で待ち合わせることになっていた。
約束の時間に到着するが、オッサンはまだ来ていない。
私はコンクリートの壁に背を預け、右耳にイヤホンを突っ込んだ。
『なかなかイケてんじゃん、俺!』
イヤホンからオッサンのテンションの高い声が聞こえた。
潜入用の服の確認だろうか?
オッサンは一度クライアントを裏切っている。二度あることは三度ある。
裏切り者だった過去を考えれば、オッサンを雇うのはハイリスクだ。
だが、切羽詰まっているホームレスだからこそ、まともな契約も前金も必要なく雇うことができた。
それに、女子高生の依頼を真に受ける大人なんて、こういうヤツしかいないだろう。
ワクチンが日本にあるのは一時的だ。
このチャンスを物にするには、リスクもやむを得ない。
それに、リスクがあるなら潰せば問題ない。
――というワケで、私はオッサンの日常を「盗聴」することにした。
三倍速で流す録音内容はおもしろくない日常で、特におかしな行動はなさそうだった。
魚を咥えた猫を追いかける一時間に及ぶ激闘はワロタけど。
それにしても――念のためとはいえ、無断でプライベートを覗くのは気分が萎える。
「お・ま・た」
目を開けるとオッサンが立っていた。
髪を整え、髭も剃ってスーツを着こなしている。
「まるで別人」
身なりだけでない。顔つきや体型、声も少し違う気がする。
「変装は得意でな」
私があげたヘルメットもかぶってくれている。
何だかこそばゆい。いや、私が「かぶれ」ってわたしたものなんだけどさ……。
「荷物すごいな」
私のリュックを見てオッサンが目を丸くした。
「金庫破りの秘密道具だよ」
私とオッサンは歩き出した。
目指すは東山大学病院だ。
はたから見れば親子に見えるのだろうか?
オッサン、ちゃんとしてると若く見えるったって三十くらいだ。
親子じゃないとしたら……パパカツ……おげぇ。
ヤバい、客観的にみると、パパカツっぽい。
「どしたん? 急に距離とって」
「近づくな、殺すぞ」
「不条理だねぇ」
ちなみに、人が少ない休日でなく、むしろ「平日」を決行日に選んだのには理由がある。
忙しい状況であれば、無関係な人間が紛れ込んでいたとしても気づきにくい。
木は森に隠せ、作戦だ。
私は病院の裏口で、変装用の白衣と眼鏡を受け取った。
「馬子にも衣装」
「殺すぞ」
「今日は早くも二回目の殺すぞ、いただきました」
オッサンもニマニマ笑いながら白衣を羽織り、ヘルメットを取った。
人気の少ない裏口から侵入。
これまでにない緊張感が胸を躍らせる。
しかも、裏口から入って直ぐ――若い女性の看護師と目が合った。
大きなカゴを乗せたカートにはシーツなどがぶちこまれている。
裏口の駐車場で待機している業者にクリーニングでも頼むのだろう。
「えと、あなたは……見ない顔ね……」
私を見る目には疑いの視線がこめられている。
いきなりのピンチだ。
バレれば計画は失敗に終わる。
その時、隣に立つオッサンが機転をきかせて看護師に説明した。
「研修医なんですよ。私の教え子です」
「あぁ、篠崎先生。先日言われていた姪ごさんですね」
篠崎先生? 姪?
なるほど、オッサン、もともといる医者になりすましているのか。
ただ単に医者っぽくなるだけではない。
だから顔つきや体型、声まで変えていたということか。
もともと似ている顔なのだろう。オッサンは「シノザキセンセ」になりきっていた。
じゃ、もとのご本人サマはどうなったのだろうか? あんまり考えないでおこう。
「先生に似てないですね」
「不愛想でしょ?」
「かわいいという意味です」
「ハハハッ、かわいいってよ。皆さんに失礼ないようにな」
オッサンは私の背中をバシバシと叩いた。
痛いっつーの。
私はオッサンを睨みつけた。
無事……と言えるか分からないけれど。
疑われることなく看護師と別れ、薬品臭い院内を歩く。
病院の見取り図は穴が開くくらい見てきたので、数十センチ単位まで頭に入っている。
金庫がある地下に向かいつつ、すれ違い様の医者からカードキーを盗む。
金庫がある部屋には、医者のカードキーが必要なのだ。
すれ違う巡回の警備員に挨拶し、内心バクバクで階段を下りる。
絶え間ない緊張感の中、ようやく地下部屋にたどり着く。
鉄壁の金庫と監視カメラを信頼しているのか、警備員は配置されていない。
オッサンは私を見て静かにうなずいた。
金庫は扉の大きさから推測するに「小部屋」と言っても差し支えない。
大人が何人か入る大きさだ。
その圧迫感に呑まれそうになりながら、私は大きなリュックを下ろした。
「ゲーム・スタート!」