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廃坑にて

 任務の命令が下った後、ハービは師たるヘクトの家を訪ねた。第一エリアの隊舎の一室で、ベルを鳴らすかどうか暫く悩んでいた。


(もし、先生がルイを殺せって言ったら……私にできる?)


 魔王であること。王子であること。そして、一度友情を誓った仲であること。


(私は、私は……)


 呼び鈴のボタンから指が離れて、握りこぶしとなる。そんな彼女に、


「やあ、ハービ」


 と話しかける声があった。


「先生」

「どうしたんだい? 何か……随分と悩んでいるようだけど」


 ヘクトは食材の入った紙袋を抱えていた。


「お話したいことがあるんです」

「いいよ、中で話そうか」


 ヘクトの部屋はシンプルなものだ。独身隊員のために作られたこのアパートの部屋は、小さな寝室とリビングダイニングくらいのものしかない。


 そのリビングのテーブルに、彼は袋から取り出した四角いアップルパイを二つ置いた。


「一人で食べるつもりだったんだけど、来客だからね。食べながら話をしよう」


 キッチンに向かった彼は、湯を沸かす魔導具に水を注ぐ。水道局の弛まぬ努力によって、水道水はそのままでも飲める水質が維持されている。


「紅茶かい? コーヒーかい?」

「……紅茶で」


 数分もすれば湯が沸く。


「このパイ、どうしたんですか?」

「教会に寄ったんだ。そしたら配りきれないから貰ってくれって言われてね」


 茶を持ってきて、彼は弟子の向かいに座った。二人は手を合わせ、目を閉じる。


「ヴセールよ、恵みを齎すアルシフィエラよ、貴方の恩恵に与り、この食事を頂きます」


 向かい合って、祈りを捧げた。


「それで、話っていうのは?」

「ルイのことです」


 茶を飲む手が止まる。


「知ってしまったんだね」

「先生は、どうなさるおつもりですか」

「親友の弟子だからね、すぐに殺すなんてことはしたくない。でも……魔王に自我を抑え込まれて帰ってこれないなら私が手を下す」


 壁に掛けてある剣が、王子の血を吸うところを彼女は想像した。


「仲良くしてあげてほしい」


 パイ生地を噛む、サクッという音。師がそれを咀嚼して飲み込むまで、ハービは何も言えなかった。


「多分、殿下を繋ぎとめるのは友情や愛情だ。だから、君にはそのピースになってほしいんだ」

「魔王ですよ、何万という人がその力で殺されたんです。私は……認められません」


 本心から目を逸らして、彼女は声を絞り出した。


「もし、ルイ殿下が魔王を宿したまま薨去された場合、魔王はそのまま消滅すると教会は考えている。それにね、私は苦しみや悲しみ、そういう負の感情を喰らう魔王を抑え込むには、やはり君が必要だと思っているんだよ」


 膝の上で手が震える。


「どうして、私に教えてくれなかったんですか」

「親衛隊でも、特一級と、僅かな一級隊員にしか知らされていないんだ。公務へのご参加も、何か不都合な事情があるんじゃないかと他国に疑われることを避けるため。殿下が話されなかったということは、君をそういうことへ巻き込みたくなかったのだろう」

「役立たず、ってことですか」

「君はまだこれからだ。焦らなくていい」


 ヘクトは至って冷静だ。それが、少し癇に障った。


「頭を冷やすといい。パイは持って帰ってくれていい」


 その言葉に従って、迷う体でその場を後にした。


 そんな記憶を夢の中で見ていたハービは、車中で血を吐いて目覚めた。視界がぼやけ、脳味噌に釘を打たれたような頭痛がする。


「ルイは……ルイは⁉」


 運転手に聞けば、窓の外を指さした。そこには、灰となっていく魔物を眺めるルイがいた。





 魔物の一撃は、簡単に地面を抉る。右も左も、両腕が繰り出す乱暴な打撃が無数の破片を散らし、ルイの頬に小さな切り傷を作る。真正面から向かってきたストレートパンチを障壁で受け止め、彼は一つ、思案してみた。


 それもそこそこに、ひたすらに回避を強制される。舗装されていない道に叩きつけられた腕は、強引すぎる俊敏さで標的を狙い直し、次の攻撃を繰り出すのだ。


(タイミングだ)


 修行の成果を見せるためには、焦らないことが肝心。


(タイミングを見極めて、撃つんだ)


 地面に突き刺さった腕を、甲殻の隙間を狙って斬りつけ、切断する。蒼い炎の力が宿った刃の傷だ、そうすぐに再生されるわけではないが、タイムリミットでしかない。


 胴に向かった彼の顔に、魔物の口から瘴気が吹きかかる。腐った肉を顔面に押し付けられたような悪臭にひるんだその一瞬、殴り飛ばされた。斜面を転がり落ちて、五メートルほどで止まる。


「代われ!」


 魔王の声。


「代わらない」


 ジンジンと痛む頭からは、たらりと血が流れている。そんな彼にも、魔物は容赦をしない。真っ直ぐに向かってくる。やるなら、今かもしれない。


「盛れ」


 距離は詰まっていく。


「撫ぜろ」


 もうすぐ拳の間合い。


「森羅万象焼き尽くせ」


 腕が振り上げられる。


「王たる者の名に於いて!」


 左手に赤黒い炎が現れ、矢の形を取って飛んで行った。飛翔するそれは、魔物の胸の殻を穿って空に消えた。勝ったか、と気を緩めた彼に、死に際の一撃が飛んできた。鳩尾にめり込んだ右手。体をくの字に曲げて倒れた彼へ、魔物は最後の攻撃を行おうとする。


 その時、彼の脳裏に言葉が浮かんだ。


「……晴天 破天 流れる雲 飛び立つ龍 栄誉の旅路 盛り立て」


 呟きながら体を回転させ、魔物から距離を取る。そして、左手を突き出して右手を引く、あのポーズ。


「焔矢・蒼」


 神聖なる蒼き炎の矢が、放たれた。右腕を吹き飛ばし、雲に穴を空けた。


 そこまでやって初めて、魔物は動きを止めた。次いで訪れる吐き気。灰になっていくそれを上目遣いで見ながら、その場に嘔吐した。


 それから顔を上げて、消える魂に思いを馳せる。この魔物は十五人ほど食ったと言われる。そうやって蓄えた魂が、せめて楽に逝けたことを祈る。胸の辺りに円を描き、


「ヴセールよ、この魂らに加護を」


 と、呟いた。


 亡骸に背を向け、車に戻る。居心地の悪そうな顔をしたハービが待っていた。


「治すから、座って」


 彼女の柔らかな指が頭に触れて、魔力体で傷口を塞ぐ。


「私、惨めね」


 ぽろぽろと、涙が紫の目から零れ落ちる。俯いて、力なく。


「何もできなかった。あなたに失礼なことをしておいて、助けてもらっただけ。手伝いもできなかった。好きに罵ってくれていいわ。それだけのことを、私はしたもの」

「……僕がルイだって、信じてくれた?」


 彼女はゆっくりと彼の目を見た。金色の瞳に、糾弾の意はなかった。益々涙が溢れてくる。


「そうね。あなたが魔王なら、蒼い髪の私を助けることなんてなかった……ごめんなさい、信じるわ」

「なら、よかった」 


 微笑みかけるその顔が、罪悪感を一層募らせる。


「どうして、笑っていられるの?」

「どうして、って……まあ、候補生になった時、ラウダに散々言われたしね。お前が王族だから先生の弟子になったんだ、って。だから、やっかみとか疑いとか、そういうものには慣れてるよ」


 七分の一ほどの嘘が混じっていることを、彼女は鋭敏に察知する。だが、そこを追及するのも野暮に思えて、そっと黙った。


「友達でいよう」


 ルイが拳を突き出す。合わせる資格などないかもしれない、と思いながらハービはそっと拳をぶつけた。


「いやー、仲直りしちゃったか」


 窓の向こう、ソウが来ていた。


「先生!」

「定時連絡来ないから心配になってさ」

「すみません、初手で無線機を壊されてしまって」

「車の使いなよ」


 運転席の横、ダッシュボードに無線機が埋め込まれている。


「……忘れてました」


 ソウは腹を抱えて笑い出す。


「若者はそうでなくっちゃ。報告書書いて提出しといてね~」


 言いたいことだけを言って、彼は消えた。


 小雨も止んで、徐々に太陽が出つつある。その中を、車は進んでいった。





「オ、失敗の償い方は考えたかな?」


 全裸の女が、窓の外に広がる夜の街を見ながら問うた。


「ソドとジガを使うつもりだ。少しずつ王都を蝕んでいく」

「ま、時間は幾らでもあるからねえ。焦らずじっくりやっていこう」


 壁に掛けてある蒼いローブ。


「帝国の暗殺者は帰還できたのかな?」

「そう聞いた。あれは、何だ?」

「君たちと似たような存在だよ。赤輝石は使ってないけどね」


 そこまで言って、扉が叩かれる。


「オブヤ司教、陛下がお呼びです」


 女の姿が変わる。


「わかりました。すぐ向かうとお伝えください」


 既に、事態は動き出している。

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