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秘密

「闇を穿ちて魂を……」


 呟きながらルイは床に置いたノートに詠唱の案を書いていく。なるべく日常的に使わない言葉にすることで、自分が使うという意思を込めやすくする……というのがソウの教えだった。


「そういえば、先生って滅却砲使う時に詠唱しないですよね」

「一応あるよ。見せてあげよう」


 ソウは立ち上がり、標的に手を向ける。


「鼓動 拍動 呪縛 制約 然るに猶、我が魂の栄光」


 その呪文が唱えられると同時に、彼の掌に恐ろしいほどの魔力が集まる。ルイは、肌が引き裂かれるようになるほどの圧を感じていた。だが、ぱっ、とその球は消えた。


「なんてね。詠唱を使えば百パーセントの威力が出るけど、この建物が保たないよ」


 詠唱には幾つかある。呪文全てを唱える『詠唱』、術の名前を呼ぶのみに留める『短縮詠唱』、全く詠唱しない『無詠唱』がその主たる例だ。魔法陣を使用して詠唱を省略することは無詠唱ではない。


「つまり、だ。君の魔王に遠く及ばない魔力出力で術の威力を保とうとすれば、何らかの手段を講じて威力を底上げするしかないんだ」

「そうだ、先生の呪文って誰から教わったんですか?」

「僕? 魔力放出はブルガザル家に受け継がれてきた魔術だからね、先代から受け継ぐんだ。古文書だってある。勿論、門外不出だけどね」


 ソウは指先から細い滅却砲を放って標的を射抜く。彼の視界には、魔力体の疑似魂が蒼く輝いて見えていた。


「そうか、インスピレーションが欲しいんだね。魔王に訊いてみるかい?」

「自由にコミュニケーションができるわけじゃ……」

「魔王! 焔矢の呪文を教えな!」


 返事はない。


「じゃ、ルイを半殺しにして無理矢理引き出そうかな」

「ちょっ、内臓潰されるの本当に痛かったんですよ⁉」

「ジョークだよ」


 今さっきの声音に、冗談と笑える要素はなかった。


「それじゃあ、しょうがないな。君流の焔矢の呪文をどうにかこうにかひり出すしかない。何でもいいんだよ、文章になってなくてもいい」


 ルイは再びノートに向かい合う。そこで、頭の中に声が響いた。ペンを握る手が自分の制御から離れて動き出す。


「盛れ 撫ぜろ 森羅万象焼き尽くせ 王たる者の名に於いて」


 そう、書き上げた。


「……今、魔王の影響を受けたね」

「なんでわかるんですか?」

「僕には魂が見える。君とは違う色が見えたんだ」


 肩を叩かれる。


「早速試してみよう。ほら、立って」


 剣を使いながら行使することを想定して、ルイは左指で標的を指した。


「──」


 詠唱を行えば、指の先に赤黒い炎の塊が出てくる。そこに矢のイメージを乗せれば、炎の矢は飛んで行って標的を焼き尽くした。


「蒼い炎でこれができれば完璧だな。試してみて」


 再び呪文を唱えたが、出てくるのは蒼くない炎。


「そうか、魔王が作った呪文だから蒼い聖なる炎は扱えないのか。困ったな……」


 となれば、弓を引くような舞も、そのイメージと結び付いている可能性がある。


「なら、完全にオリジナルの呪文を考えなきゃね。蒼い炎に対応した焔矢を作り出そう」


 ソウはそこまで言って背を向けた。


「宿題だ。三日以内に考えて持ってくるように」


 瞬間移動。いつもの一方的過ぎる会話には慣れていた。重い戸を開いて、ルイは階段を上がった。出入り口にはハービが立っていた。


「ちょっと、いい?」


 紫の瞳が猜疑を浮かべて彼の心を揺らす。


「……聞かれるとまずい。場所を移そう」


 彼はその手を取ってずんずんと歩いた。向かったのは裏庭。ゴミ捨て場になっているそこには、薄い雲のかかった空の下、二人しかいなかった。


「魔王って、どういうこと」

「……一カ月くらい前、研究所の調査に行ったのは知ってると思う。その時に、魔王の心臓を飲まされて、僕が器になった」

「あり得ないわ。猛毒のはずよ」

「それでも、なったんだよ。なってしまったんだよ」


 蒼い髪の彼女は、勇者と同じ力を持って産まれた彼女は、敬虔なる信徒に導かれた彼女は、目の前の友人にどういった感情を抱けばいいのかわからず、ただ俯いて拳を震わせることしかできなかった。


「今話してるのは、ルイ? それとも魔王ザォフ?」

「ルイだよ。ルイ・リリカス・ゲースヒャガニ。この国の第三王子だ」

「そんなの、どうやって証明するのよ」


 痛い所を突かれて、彼は苦い顔をする。


「信じてほしい。友達──」

「でも、魔王なんでしょ」


 思えば、ハービは少し距離を取っているように感じる。一歩近づくと、一歩下がった。


「……私があなたを殺せば、魔王も消えるかしら」

「魔王は僕を生かすつもりでいる。殺そうとすれば、出てくるぞ」


 マントの中の手斧に手をかけた彼女は、抜く直前でやめた。


「ラウダはこのこと知ってるの?」

「うん。ヘクトさんがいなければ殺していたかもしれない」

「先生は……ヘクトはあなたについてどう考えているの」

「知った上で、秘密にしてくれている。だから……敵じゃない、とは思う」


 外しかけたカバーのボタンを閉めて、彼女はルイの金色の瞳を真っ直ぐに見た。


「先生に聞いてみるわ。その上で、どう接するか考える」


 背中を向けた彼女の襟を、掴む手があった。


「やっ」

「ソウさん……」

「ルイ、さっきぶり。言い忘れたことがあってさ、二人で向かってほしい任務があるんだ」


 若人の間に流れる耐えがたい気まずさを感じ取った彼は、それを鼻で笑い飛ばす。


「何があったか知らないけど、二人で行って仲直りしてきなよ。そう難しいものじゃないからさ」

「単独任務ですか?」


 ルイの問いかけに、彼は頷いてみせた。


「二人だ。ま、僕がいつでも動けるようにしておくよ。無理は禁物だよ。それで、詳細についてだけど──」


 どうにも言葉にし難い種々の感情を抱いた二人が送られたのは、三日後のことだった。





 向かった先は、廃坑。セツラカカーヤから北に進んだところに位置する山だ。三十年前に放棄されたウァーウ石鉱山である。バタィーヤを喪ったことで鉱産資源の産出量が減った王国は、ここに住まう魔物を討伐して再び採掘を始めようというわけだ。


 ここで、ウァーウ石という鉱物の特性について知っていただきたい。ウァーウ石は魔力を蓄積するものだが、その由来は惑星の魔力であるとされる。創世の龍ヴセールは、星々の一つ一つに魂を与え、そこから魔力を発するようにしたのだ。そのエネルギーが結晶となって地表に現れるのが、ウァーウ。


 従って、完全に枯渇することはない。いずれ魔力が結晶となり、少しずつその資源を回復させていく。しかし、近代文明の成立に伴う需要の増加に伴い、採掘量は魔力の表出速度を越え、こうして放棄される鉱山も現れた、というわけだ。


 ハンドライトで道を照らせば、赤い何かに反射して光らせる。これがウァーウ石だ。


「暗いね」


 ルイのその言葉に反応はなかった。ハービは淡々と進んでいく。


「報告によれば、ここを塒にしている大型の魔物がいるのね」

「うん。本当に二人で大丈夫なのかなあ」


 カツン、半長靴が硬い地面を叩く。


 この廃坑は事前に調査済みであり、有毒ガスが発生している可能性はないということだった。通気システムも再稼働し、酸素濃度の心配もそれほどない。


 三十分ほど歩いただろうか。グゥウッ、という唸り声が闇の向こうから聞こえてきた。


「いるね」


 ルイはそっと剣を抜く。


「この狭さじゃ炎は使えない……誘き出そう」


 返答が来ない。


「今は協力しなきゃだめだ。二人とも死ぬよ」

「──そうね」


 その一声の直後、紫色の気体がどっと押し寄せてくるのが見えた。


「毒ガス⁉」


 驚いたのも束の間、反応が遅れて吸い込んでしまったハービが倒れる。だが、ルイには多少臭く思えた程度だ。


(単なるガスじゃない……瘴気の類?)


 一先ず動かなくなった彼女の脈を計る。ある。それを確認した彼は、少女の体を持ち上げて来た道を戻った。重い足音が追いかけてくる。


 瘴気が自分に効かなかった理由。それは後回しでいい。今はただ、無線が通じる場所に戻っていつでも助けを呼べる状態を作ることが最優先だ。


 走って走って、隧道から出る。小雨が降っていた。送迎の車にハービを預けてから、坑道の入口に戻る。闇からぬっと現れたのは、全身を甲殻で覆った、胴体の長い人型の魔物だった。背丈は百九十ほど。脚は極端に短く、逆に腕は長い。甲殻にはいくつか穴があり、そこから紫の瘴気を垂れ流していた。


 腰に下げた無線機のマイクを持つ──その瞬間、魔物はそれを唾で射抜いた。


「……タイマンしたいんだ。いいよ、付き合ってやる」


 疲れが尾を引いて、今のソウは視覚共有ができない。無線機がない今、定時連絡がなくなって不審に思った師匠が来るまでは耐えねばならない。やるしかない。ルイは、唾を飲んだ。

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