「……なるほど。お前となら楽しめそうだ」
握り拳を作った魔王が、ニタに向かって走り出す。刀の間合いまで後一メートル、五十センチ、三十センチ、一センチ。ゼロになった瞬間、刀が走り出して、その両腕を落とした。回避する暇もない、まさに電光のような一撃だった。
「面白い!」
とは認めつつ、彼は下がった。なくなった腕はまだ生えない。
(再生できない……なるほど、魂を斬る魔剣か!)
魂の形に直接干渉する方法は極めて少ない。魂を知覚できる天性の才能を持っているか、ニタのような特殊な武器を用いるか、その程度。魔王は前者である。
生命の形は魂によって規定され、その根本となる形のことをイデアと呼ぶ。それを持つプシュケーにダメージを与えれば、再生魔術であっても治癒はできない。
だが、魔王は違う。イデアを喪ったはずの両腕が、再び現れた。
「ほう、魂の形を変えるか……」
「察しが早い奴は好きだぞ。殺し甲斐がある」
彼はいつもの弓を構えるようなポーズから、
「焔矢」
と赤黒い炎の矢を放った。ラウダが障壁で止める前に、それは斬り払われた。
「ラウダ、ハービ。二人は陛下の所へ。ここはわいが抑えるけんのぉ」
若人が去っていったのを確認して、ニタは居合の構えを解いた。
「さて、魔王さんよ。あんたは何がしたい?」
「愚問だな。再び俺の時代を作りたいだけだ」
「違う違う。その結果、何を手にしたいか、っちゅう話じゃ」
「……特に、欲しいものはないな」
顎を撫でながら魔王は答える。
「俺は、殺したいものを殺したいように殺せればそれでいい」
「随分と大それた野望じゃのう。まあ、魔王とはそういうものか」
ニタは今にでも斬りかかりたかった。しかし、僅かでも隙を見せれば逆に殺されてしまうという確信もあった。
立ち回りを考える。ソウから齎された情報によれば、殺すつもりでかからなければ逆に殺されてしまうという。ならば、ルイの魂が帰ってくるまでひたすらに仕掛けるしかない。
「殺す前に一つ聞いておきたい。あの蒼髪の餓鬼はなんだ。あいつと同じ匂いがしたぞ」
「はて、名前以外はよく知らん」
「勇者の鼻につく臭いだ。あの髪の色もそうだ。彼奴こそが、真に勇者の末裔なのではないか?」
「ホッホッホ。好きに言うといい。しかし、王家を侮辱する者をわいは許さんよ」
露骨に不快感を示した魔王に、彼は走った。刀を抜き、斜め下から一閃。反撃に繰り出された赤い炎を瞬間移動で躱し、背後の空中へ。足元に障壁を生み出して、蹴った。
(空中での加速! 魔力操作の素早さならソウ以上だ!)
感心は歪な笑顔となって現れる。頸動脈を斬られて猶、魔王は倒れない。刹那の内に傷を治し、炎を周囲に撒く。燃え盛る壁は相手の接近を許さず、攻めのタイミングを自在に決められる、という彼の目論みは、一瞬にして崩れ去った。
ニタは、精巧な鎧のように障壁を纏い、業火の中に飛び込んだのだ。着地と同時に体重を移動させ、一文字に刀を振り抜く。高く跳躍した魔王は、再び焔矢を放つ。これは、障壁が受けた。
「この餓鬼を殺すつもりか⁉」
「さて、どうだろうか」
一撃、二撃。刃まであと数センチというところで回避を続けながら、魔王はヒリつく高揚感に身を委ねていた。やがて、睨み合いになる。
「俺が嫌いな言葉は、『ありがとう』だ」
その状態が十数秒続いたころ、彼は口を開く。
「だが、敢えて言おう。ありがとう、ニタ・イズモ」
魔王の右手、炎の槍。赤はより黒に傾き、ごうごうと燃え盛っている。
「れんご──」
術の名前だけを唱える短縮詠唱の最中、その動きは止まる。槍も消える。
「お目覚めのようだ。よかったな」
できる限りの怨念を込めた声の後、がくんと膝をつく。
「王子殿下、じゃな?」
「……本当にごめん」
「怪我もしちょらん。気になさるな」
ニタは王子の肩を担ぎ、持ち上げる。
(最後に使おうとしていた術……あれを食らえば一撃で死んじょったな)
最悪のイメージを浮かばせながら、彼は王を追った。
◆
全てが終わって、夜。開かれるはずの晩餐会は中止となり、緊急で帰国の船が出た。
「ああ、あいつは……そう名乗っていた」
その甲板の端で、ヘクトはソウに通信をかけていた。
「ヘクトじゃなかったら信じてなかった……というかキレてた。ありがとう。ルイは?」
「また魔王が出たらしい。研究所の方で封印の術式を開発しているんだろう?」
「まあね。ただ、間に合うかわからないそうだ」
「間に合う?」
黒い飛沫が彼を濡らす。
「魔王の魂が、徐々にルイと同一化していく可能性。ルイの魔力を吸収して力を蓄えていく可能性。そういった色んな可能性が示す最悪のシナリオ、つまり、魔王の完全なる復活。その時機は、そう遠くないかもしれないんだ」
無線機のガサついた声を聴きながら、月を見上げた。
「殺すか」
なるべく声が広がらないよう、潰したような口調でヘクトは言った。
「なら、僕は君の敵になるよ」
暫しの無言。
「帰って来たら、改めて稽古をつけるよ。黒い炎は大きな武器になる」
いつもの深みのある声は、どこか疲れていた。
「ちゃんと寝ていないんじゃないか」
「バレた? 心配でね、よく眠れてないんだ」
「全く……」
溜息が一つ。
「そうだ、一つ聞かなければならないことがあった」
「え?」
「なぜラウダに礼節を叩き込まなかった」
「僕にそんなものあると思う?」
予想外の質問返しに、彼は思わず口を歪ませていた。
「いつかバタィーヤの英雄になるんだ、ちょっと尊大なくらいが丁度いいよ」
無線機の向こうで、少し物音がした。
「んじゃ、僕は寝るから。ぽやしみ~」
そのマゼクルーダ側。缶に入ったチョコレートを口に運びながら、ソウは空を眺めた。ぼんやりとした月明りが、彼の不法占拠した部屋を照らす。
「ルイの声が聞きたかったけど……寝てるかな」
同じ空の下にいるのに、こうももどかしい思いをするとは思わなかった。椅子の上、彼は静かに目を閉じた。
◆
二週間後、帰還したルイはソウと共に、親衛隊本部地下にある特別な訓練場に立っていた。
「銀時計の監査は終わったかい?」
「はい。問題ありませんでした」
「ならいい……ま、それは置いといて。この一か月、何も試さなかったわけじゃないだろう?」
ソウは王子に問うた。機密性の高い訓練をするために作られたそこは、さして広くはない。茶色の床と灰色の壁の、八メートル四方ほどの空間だ。
「赤い炎を出してごらん」
わかっている。ルイは、自分の炎の色を知っていた。だから、自分だけで炎を出さなかった。蒼い炎も、武器に刻まれた術式を通してしか使わなかった。怖いのだ。
そんな彼の右掌に、赤黒い炎が浮かんだ。
「やっぱりね。君の魂は魔王に引っ張られているんだ」
王子として、勇者の末裔として、悲しみがこみ上げる。
「蒼い炎は出せるかい?」
火の色が変わり、空のような蒼炎になる。
「こっちはそのまま使えるのか……だが、かと言って……」
「先生、一つ、伝えなければいけないことがあります。あの赤輝石……黒い炎で焼き尽くせるようです」
「──へぇ」
自分より小さい弟子を見下ろしながら、ソウは相槌を打った。
「それで、何で赤輝石を焼く機会があったんだい?」
「賢者の人形は、赤輝石を核としているみたいなんです」
「だから、大量の魔力を必要とする召喚術や灼滅の炎を使える、というわけか。そうなると……ルイ、黒い炎を操れるようになってもらうしかないね」
一抹の、不安。何かもう一つ伝えなければならない事実があるような気がしたが、どうにも思い出せない。
「黒い炎を使えば使うほど、魔王が強くなるかもしれませんよ」
「だとしても、現状賢者の人形を殺しきれるのは、君しかいないんだ」
「こう、物理的に破壊するっていうのは……」
「無理だろう。割るどころか変形させることもできないらしいしね」
炎を消したルイは、大きくない掌を眺める。
「陛下は君を積極的に戦わせるおつもりのようだ。ま、賢者の人形の石だけを持ってこさせて焼く、なんてことをすれば王族としてメンツが立たないからね」
身分の高い人間にとって、見栄というのは極めて重要だ。舐められればそれでお終いだ。
「だから、君には魔王に乗っ取られない程度に魔王の力を引き出すことが必要なんだ。幾らでも付き合うよ」
ソウが指を鳴らすと、魔力で構成された人型の標的が現れた。
「あれを焼いてごらん。疑似的なものだけど、魂を再現してあるから自己再生が可能だ」
魔王が焔矢を使う時の肉体感覚は覚えている。左手を突き出し、右手を引く。矢を放つように、炎を飛ばした。
「んー……そのモーション、多分何らかのルールだな」
「ルール?」
「教えたろ? 魔術には詠唱、印、舞、魔法陣、エトセトラ……そういう色んな要素を組み合わせる必要があるって。修練によってそういうのを省略できるようになるけれど、敢えて行うことで出力を底上げできるんだ。魔王は、その術を使う時に隙を晒すことを覚悟で舞を取り入れてるんだと思う」
つまり、その気になれば指先一つで放てる、とルイは受け取った。
「だから、ちょっと構成要素を変えよう。詠唱を使って片手でポンと出せるようになれば、かなり戦い方に幅が生まれるはずだ」
「でも、知りませんよ」
「作るんだよ。こういうワードを使う、というのを決めていればいい。あ、でも、一回設定すると基本的に変えられないから注意ね。詠唱っていうのは世界との契約なんだ。ヴセールの産んだ……巨大な意思ってところかな。そういうものと繋がって現象を引き起こすのが、魔術の根幹だからね」
ソウに弟子入りしてすぐに教えられたことを、彼は再び確認する。
「じゃ、考えるとするか!」
彼は一瞬転移して、すぐにノートとペンを持って戻ってきた。暫く、静かな時間が流れた。