コーヒーはコールタールのように濃い方がいい、というのはソウの持論だ。そこにたっぷりの砂糖を入れて、一気に飲み干すのだ。
「五杯目。よく飲めますね」
良く晴れたカフェのテラス席で、カロスはひたすらに相手の飲むコーヒーを数えていた。
「まあね。煙草の代わりだよ」
つくづく理解しかねるな、という顔で彼はウェイターを呼び出す。
「カロスは酒も飲まないんだって?」
「常在戦場。いつ出動がかかるかわかりませんからね」
ソウリオとセツラカカーヤの時差は凡そ五時間。後者の方が遅い。昼前の穏やかな時間を過ごす二人に対して、若人たちは夜明けを迎えたばかりの街で眠っている。
「ま、僕も酒はダメなんだけど。全然酔えない」
「あなたの異常なフィジカルが、アルコールに対してこれまた異常な耐性を齎しているという噂を聞いていますが」
「かもねえ」
運ばれてきた六杯目を、ソウはあっという間に飲んだ。
「一つ、聞きたいことがあるのです」
「僕のパンツのサイズ?」
「バタィーヤの詳しいことを、殿下たちに話していますか」
彼の手が止まる。
「話さなくてもラウダはよく知ってる。それがルイにも伝わってるはずだ」
「キカさんのことです。確かに、彼は単独での偵察任務に堪え得る実力を持っていた。しかし、軍令部の予想以上の戦力と遭遇し……上は彼を見捨てた」
「僕が行った時にはもう遺体はなかった。焼き尽くされたんだろう」
「本当にそう思っていますか」
帽子を置いたソウ。銀色の短い髪はオールバックになっている。
「死んだよ。あいつは」
問答も無駄と見て、カロスは溜息を吐いた。
「でも、僕が生きてるうちはあの子たちは死なせない。それが、あいつへの弔いだ」
「あなたなりに覚悟があるのなら、それでいいです」
「んじゃ、僕は帰るよ。支払いよろしく」
瞬間移動で消えた相手の残滓もない席を見て、カロスは再び給仕を呼んだ。
◆
会談が始まった。大理石の長いテーブルに、向き合うように両国の代表が座る。
「こちらとしては、帝国の脅威をどうにか取り去りたいのです。その病巣をどうにかするには、やはり大規模な手術が必要かと」
データを収めた魔導端末を見ながら、ヘーネフルドの言うのを首相は聞いていた。
「帝国とは雖も、東と西から同時攻撃を仕掛ければ、とは思いませんか?」
「……我が国は、現在、内憂を抱えている状態です。国境付近の都市で、帝国による併合を求める運動が起こっており……内戦さえ起こり得る状態なのです。今は、内側の問題を解決することを優先したい、というのが本音です」
同席するルイは、折角独立したというのに再び帝国の手に落ちる、ということの意味がよくわかっていなかった。
「帝国も情報戦を行っている、ということですか」
「ええ。前首相が汚職で弾劾されまして……それを利用し、私もまた汚い金を受け取っているかのような情報を流しているのです。結果、帝国国境に接する地方では、帝国への回帰を望む声が上がっている、というわけなのです」
「では、来るべき時に、再び話し合いましょう」
首相が端末の画面をスワイプすれば、空中に書類の画像が投影された。
「懸案であった魔導機関技術の提供の話です。陸軍の拡充への金銭的支援が行われるならば、吝かではありません」
マゼクルーダは魔導機関の小型化と量産化については、帝国に後れを取っている。その技術を継承したまま独立したバサール共和国は、当然王国よりも一歩、いや三歩先を行っているのだ。
「……どれほど必要ですか?」
王は国庫の中身を考えながら問う。
「二億五千万ジャカが、最低ラインです」
国際貿易通貨、ジャカ。共和国と王国では法定通貨として流通している。
「二億、ですか」
苦笑いの表情で、ヘーネフルドは言う。
「我が国の国家予算の二十パーセントに相当する金額です。貴殿、どれほどの無茶であるかは、理解されておりますね?」
冠水瓶から水を飲み、蓋兼コップを置く、イーヤブ。
「……こちらは、現在新型魔導兵器の開発を行っております。金がいるのです」
睨み合い。
「その新型兵器を、我々にも輸出するという前提のもとに開発する、というのはどうでしょう」
今まで沈黙を保っていたサスラン軍務大臣が口を開いた。堀りの深い、威圧感を与える面構えをしていた。
「我が軍は、魔導兵器の絶対的な不足という現実に直面している。しかして、開発のノウハウも。それを解消できるのであれば、大蔵省の首を縦に振らせることもできるかと」
魔導兵器の開発技術は、そのまま民間の魔導具開発のノウハウにも繋がってくる。それくらいのことはルイにも理解できたが、とても聞いたことのない額の金にクラクラしているところもあった。
そんな彼のいる部屋から出て、正門。かつて王宮だったそこは、白い壁に無数の窓が置かれた、華美な建物だった。ルイとハービは壮麗な彫刻で飾られたゲートの左右に分かれ、じっと休めの姿勢をとっていた。
聞こえるものと言えば、通る車の駆動音に、風が木々を揺らす声。あまりに平穏なものだった。だが、欠伸などできない。親衛隊になるということの意味を、二人は理解しつつあった。
その背後から、青い色の軍服を着た男二人が近づいてくる。
「交代ですよ」
バサール共和国軍の兵士だ。ボルトアクションライフルを肩に下げ、腰にはサーベルがある。
「お疲れ様です」
帽子を脱いで挨拶したハービに、ラウダも倣った。
「ゆっくり休んでください」
兵士に門を任せ、隣の迎賓館に向かおうとしたラウダ。しかし、今しがた任を受けた兵士の頭が、消えた。
「邪魔だ」
その下手人は、顔を完全に覆う金色の仮面を着けた下から、どす黒い声を発した。灰色の服に、金色の髪がかかっている。
ラウダは腰の無線機を取り、声を吹き込む。
「敵──」
一言、発した瞬間に無線機が撃ち抜かれた。弾丸とは違う、何かエネルギーの流れのようなもので。
「ハービ! 連絡に向かってくれ!」
「一人じゃ無理よ!」
剣を抜き、障壁を盾のように構えたラウダを見て、彼女は覚悟を感じ取った。
「すぐヘクトさんを連れて戻るわ。耐えてね」
瞬間移動で消えようとしたその肉体に魔力の塊が飛ぶ──も、彼が間一髪、間に入った。
「……親衛隊か。名乗れ」
声だけならば、男らしい。金仮面は手のひらを向けた状態で問う。
「ラウダ・ムールル」
「師は」
「ソウ・ブルガザル。知ってんだろ? 俺は、最強の男の弟子だぜ」
男は手を下げる。
「消えろ。殺さないでやる」
表情の見えない情けに当惑しつつも、ラウダは剣を構えたままだった。
「ビビってんのか?」
「興が乗らん。それだけだ」
見下されているのか、どうなのか。彼の刃は変わらず男を睨み続けている。
「哀しいな、若い人間がそうも死にたがるというのは」
再び上がった男の手に、輝ける球が産まれる。踵を浮かし、ラウダは回避の構えを取りつつも障壁で体を隠す。
「滅却砲」
その一言と共に、エネルギーの奔流。赤い光を放つそれは、着弾する直前、大きな盾に止められた。
「ラウダ、無事だね?」
「ヘクトさん!」
教会騎士の役割は敵を倒すことではなく、仲間を守ること。そのために何重にも聖合金を重ねた二十キロ近い盾を、身体強化をかけて保持している。
「ヘクトさん、あいつ、滅却砲って」
「それはあり得ない。魔力の放出はブルガザル家相伝の魔術だ」
「でも言ったんだよ。それに今受け止めたのだって、先生と同じ奴だろ?」
否定する材料は、ヘクトにはない。
「どこでその術を学んだ?」
彼は盾を前面に押し出して、じりじりと距離を詰めながら問いかけた。
「……ヘクト、お前はまだ王国を信じるか」
質問を全く別の質問で返され、意図を読み切れない。
「王国は必要ない人間を簡単に切り捨てる。お前だっていつ殺されるかわからない。それでも、国を、ヘーネフルドを守るのか」
「教会騎士として、私には教会を支える祖国を守る責務がある。そのために親衛隊に加わったのだ。貴様が何を以て王国を否定するのかは知らないが、私は、私の義務を果たす」
「俺は、哀しいよ」
男の指が、拳銃のような形を作る。その先端から、エネルギー弾が連射された。それら全てを防いだヘクトは、大きく踏み込んで剣を振るう。しかし、彼は青白い障壁で防御した。
「俺の目的はヘーネフルドだけだ。お前たちを殺すつもりはない」
「破綻しているぞ。国王陛下の敵は、親衛隊の敵だ!」
誰も想像しなかった来訪者との戦いは、まだ続く。