魔族。それは、かつて魔王が使役したという知性ある魔物。主から直々に力を授かり、黒い炎によって多くの魂を焼き尽くした。その殆どは、人類と魔王との戦い、魔王戦役の中で滅されたとされる。
しかし、違った。人に擬態することを覚えた魔族は巧妙に姿を隠し、二千年、雌伏の時を過ごしていた……。
◆
原因不明の火事が、八件。暖房器具が扱われるわけでもない時期で、たったの二日の間に起こったことだ。そのどの現場にも、内臓を取り出された焼死体が伴っている。
「あのオってやつなのかな」
ソウからその話を聞いたルイが、答えた。
「そうだね。僕はそう思ってる」
「オって誰だよ」
同席していたラウダの問いかけにハービも頷く。
「この間、ルイがカロスたちと任務に当たったのは知ってると思う。その時出会った……賢者の人形と名乗る存在がオだ。全然情報はないんだけどね。再生能力と黒い炎を扱う能力を持ってた」
「黒い炎……まさか!」
彼女が声を上げる。
「そう、そのまさかの可能性がある」
「んあ? 先生、置いてかないでくれよ」
「魔族の生き残り、ということだよ、ラウダ」
「二千年もジッとしてるもんかね、魔族ってのは」
親衛隊本部の隅にある、小さな部屋での会話だ。小学校の教室のような場所だった。十五個ほどの木の机と、同じ色の椅子が並び、一段高い教卓は黒板を背後にしていた。そこに、ソウは立っている。
「わからない。だが、魔王の心臓が盗まれたのは君たちも知っているだろう? それに呼応したんじゃ、って上層部は推測してるけど……ま、そこはどうでもいいことだ」
「どうでもいい、って……」
言葉を漏らしたハービに、彼は微笑みかけた。
「まず、賢者の人形が本当に魔族であった場合。これなら話は単純だ。魔王戦役の御伽噺のように、蒼い炎で焼いてしまえばいい。どこに潜伏していたかってのは調べないといけないけど。そして、そうでなかった場合。これについては厄介だ。そもそもどうやって力を得たのかがわからないと、抜本的な対処ができない」
「誰かが魔族に準ずる存在を作り出しているかもしれない、ということですね?」
「うん。その誰かを特定しない限り、いつかは魔王のような存在が生み出される可能性だってある。可及的速やかに……って言葉は嫌いだけど、そうしなきゃいけないかもね」
白墨を取った彼は何やら描き出す。
「具体的にどう戦うか。幸い君たちはみんな蒼い炎が使えるからダメージを与えることはできるだろうけど、四級三人でどうにかできる相手でもない」
白いチョークが作るのは、男性の顔。
「いや、三級だな」
「え?」
小さな声を聞き逃さず、ルイが言った。
「君たちの三級への昇級が決まった。ま、これはちょっと事情があるんだけど。それに……」
描き上がったのは、眼鏡を探すカロスの絵。やたらと上手いな、と三人は同じような感想を抱いた。
「いつまでも一級にお守りをさせるわけにもいかない。とっとと独り立ちさせたいのさ」
ちょうどそのタイミングで、硝子の嵌め込まれた引き戸が開かれた。
「呼ばれたから来てみれば……」
カロスだった。
「消してください、今すぐに」
額に青筋を浮かべながらソウに近づいた彼だったが、空しく一つ上の同期は瞬間移動で姿を消す。
「恐らく、三級に昇格したことを通達されたと思いますが」
描かれた絵を消しながら彼は話し出す。
「当分単独任務はないでしょう。ソウさんが動くことは早々ないかもしれませんが、ヘクトさんが同行する可能性はあります。彼は好人物だ。少し敬虔すぎるところはありますが、頼りになります」
やたら濃く描かれていたために、中々消えない。
「本来半年近くかかる昇級がこうして極めて短期間になったのは、ルイくんのメンツの問題です。あまり自惚れないように」
「メンツ?」
ラウダが訊いた。
「近々、ルイくんは第三王子としてバサール共和国との会談に同席するのです。その彼が、単独任務の許されない最下級隊員というのは恰好がつかない。それだけです」
「言えよ~」
「その会談に当たって、君たち二人も同行してもらいます。主にルイくんの警護任務です」
「他にはどなたが来るのですか?」
ハービの丁寧な言葉を評価したのか、カロスは僅かに口角を上げた。
「ヘクトさんが同行します。共和国は教会と王国に接近する方向性で政治を行っている……教会騎士が来るというのも都合がいいのです」
「賢者の人形ってやつらは……」
「三級に任せられる仕事ではありません。存分に共和国を観光してきてください」
十分ほど格闘して絵画が消え去った黒板を背に、彼は若人たちを見回す。
「これを言うのは私だけではないでしょうが、君たちが国の代表であることを努々忘れないように。ヘクトさんの言うことによく従ってくださいね」
「うす」
「ラウダくん、返事は『はい』か『いいえ』か『了解』です。『うす』なんて返事は相応しくありませんよ」
家庭教師か、と言い返したくなったがそれは状況を悪化するだけだと判断して、ラウダは
「はい」
とだけ返した。
「ハービくんについては心配いらないでしょう。ヘクトさんは教会騎士らしく礼節を重んじる方ですから」
居心地の悪さを感じながら、彼は何も言わず次の言葉を待つ。
「ルイくん。私から告げることでもないですが、君の立ち振る舞いが何より重要です。君が失礼なことをするとは思いませんが、よく気を付けるように」
「はい、承知しています」
マントについた粉を払うカロスを見ながら、ルイは自分がどうあれば良いのか考えていた。何であれ、このマントと銀時計らしくあらねばならない。
「出立は七日後。ヤルメスクとの衝突を避けるため、かなり南を通る航路で移動します。全く、本来これはソウさんの役回りのはずだというのに……」
最後のブツブツとした呟きが三人の耳に入ることはなかった。
「本当に慎重な行動を心がけてください。いいですね? 特にラウダくん」
「へい」
「『へい』ではなく『はい』」
「……はい」
不服さを噛み締めながら、ラウダはそう返答した。
「伝達事項は以上です。質問は?」
ハービが律義に手を挙げた。
「どうぞ」
「どうして一週間前の通達なのですか? もっと前もって伝えるべきことなのでは、と僭越ながら申し上げます」
「かなりセンシティブな内容を扱いますから、ギリギリまで公にしたくないのです。三級には殆ど情報は開示されない、というだけですよ」
「でもよ」
「『ですが』」
苦い顔をしたラウダ。
「……ですが、ルイは最初から知ってたんですよね? なら、俺たちに開示したって変わらないじゃないですか」
「ルイくんは今日までそのことを秘密にしていましたよ」
更に苦い顔をするラウダ。最早まともな人間の形相ではなかった。
「まあ、帝国の情報部も会談が行われる程度の情報は掴んでいるでしょう。日時と場所まではともかく。その上で、我々は飽くまで機密であることを前提として行動する。簡単なことではないですか?」
そんなこともわからないのかこのアンポンタン──なんてそのレンズの向こうにある瞳が言っているように見えて、彼はついつい睨み返していた。
「君たちは有望な隊員です。こんな任務で失っていい存在ではない。生きて帰るように」
最後の最後で優しくされて、彼はカロスが出て行ったことにも気付かなかった。
「じゃ、ちゃんと制服持ってきてね」
それを追うように立ったルイの一言に、残る二人は頷いた。まだ、平和は続いているように思えていた。しかし……。