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忍び寄る者

赤輝石あかきせきについてだ」


 王立第参魔術研究所、その主任研究者であるツニーカという中年女性が静かに言った。カロスとソウが同席する、会議室でのことだった。男二人は、小さな瓶が置かれた机を挟んで彼女と向き合っている。


「調べられるだけ調べてきた。人の魂を抽出して作り出した高エネルギー体だ。魔術を行使する際のエネルギーを代替し……術者に莫大な力を与える」


 高級な椅子に体を預け、彼女は天井を見上げながら語る。冷たい青色の瞳が魔導灯に照らされている。


「破壊できますか」

「カロスクン、そう焦らない。まだ話してる途中でしょ」

「すみません」


 律義に頭を下げる彼を見て、ツニーカは軽く笑った。


「でも、そうだね。破壊について考えなければいけないのは事実だ。あまりに資料が少ないから断言はできないけど、物理的手段を試した文献によれば、十トンの圧力をかけても変形しなかったとされている。だけど、灼滅の炎……魔王や魔族の使う黒い炎なら焼き尽くせるかもしれない」

「蒼い炎はどうですか」

「何の魂を使っているか、だね。魔の類を使って作ったのなら焼けるかもしれないけど、只の人間なら無理だ」

「そういうのいいからさ、僕等はどうしたらいいわけ?」


 両手を頭の上に回したソウが尋ねた。


「……同じように赤輝石を取り込んだ魔物が出たら、蒼い炎で一気に焼いてしまう。それから、この瓶だね」


 札の貼られたその小瓶を取る。


「こいつには、魔物の再生を阻害する封印が施されている。この中に赤輝石を入れれば、これを核とした再生は止められるわけだ。ま、一時的な手段だけどね」

「再生の中心が赤輝石じゃない可能性はないの?」

「魔物の魂は不安定なものだよ。より強いエネルギーがあればそこに吸い寄せられる。基本的に、赤輝石を取り込んだ魔物の魂は、吸収されると考えていいはずだ」


 はず、という言い方に少しばかりの不安を抱きながら、彼は立ち上がった。


「それ、量産しといて」

「相応の魔力がいるんだけど?」

「でも、やらなきゃ次があるだろ?」


 暫し睨み合って、ツニーカが折れた。


「いいよ、指示を出しておく。でも、気を付けな。今回は取り込んですぐだから簡単に討伐できたけど、体に馴染んだ個体の場合、そうもいかないかもしれない」

「僕には勝てないよ」

「生きる戦略兵器は言うことが違うねえ」


 彼女が突然その瓶を投げつけると、ソウは振り向かないまま受け止めた。


「とりあえず、それ使いなよ。実験も兼ねてだけど」

「僕は実験台かい?」

「アンタなら死なないでしょ」


 瓶をポケットにねじ込み、彼は扉のノブに手をかける。


「カロス、詳しい話聞いといて」


 バタム、ドアが閉まった。





 熊の討伐任務から二日。やたらと晴れた青い空の下で、若人たち三人は基礎体力トレーニングに励んでいた。


「あと三周!」


 ジュールが高らかに言うのを聞きながら、ルイらはへとへとになりつつも訓練場を走っている。


「さっきあと二周って言ったじゃん!」

「ラウダ! あと一周追加!」

「そりゃねえよ~!」


 なんて情けない声を上げるラウダをよそに、ハービがルイの傍に近寄った。


「ルイ、後で話したいことがあるの。二人になれる?」

「いいけど、何?」


 訊き返した途端、彼女はスピードを上げた。既にブーツを履いた状態で四百メートルのトラックを八週しているにも拘わらず、その表情は全く崩れていない。白い体操着の肩のあたりで、短く切り揃えられた青髪が揺れる。


「んだよ、気になるのか?」


 汗のべっとり張り付いた顔でラウダが追い付いて、そう尋ねた。


「別に……ちょっとこの後話があるって言われたからさ、なんだろなって」

「聞かれたんじゃねえか、あのドスケベ女との話」


 ドスケベ女とはレのことだ。


「あー……かも」

「そこ! 話さない! 一周追加!」

「ハービだって──」

「口答えしない!」


 そんなこんなで走り終えた彼らは、一旦の休憩を挟む。


「ルイ」


 グラウンドの端にある階段の上から、水を飲んだハービに呼ばれて、彼はついて行った。


「こっち」


 第一城壁エリアに存在する親衛隊本部は、灰色の煉瓦で出来ている。その建物の東側に位置する運動場から少し歩いて、端の方にある空き部屋に入った。黒いカーペットの上や、そこに置かれた白いテーブルの上には埃が積もっている。


「単刀直入に聞くわよ」


 不思議な緊張に襲われて、彼はごくりと唾を飲んだ。


「私のこと、足手まといだと思ってる?」

「……え?」

「だって、この間の私、あなたたちがいなければ追撃を受けて死んでたのよ。カロスさんにも助けてもらった……のはみんなそうだけど。何て言うか……」


 想像とは全く違う問いかけに、ルイは笑いそうになるのを抑える。


「何よ、私が悩んでるのがそんなに面白い?」

「いや、全然、そんなことないんだけどさ。思ってるのと違ったから」

「……まあ、いいけど。それで? あなたから見た私ってどうなの?」


 差し込んできた光がチンダル現象を起こしている部屋の中で、彼は笑いが過ぎ去るのを待って、答える。


「まだよくわからないところだけど、足手纏いだなんて思ってない。護衛任務の時はカバーしてくれたしさ。一緒にやっていこうよ」


 微笑みかけた彼を直視しきれず、ハービは背中を向けた。


「戻るわよ! まだトレーニングは終わってないんだから」


 恥じらいと弱さを自覚した彼女は、運動場に戻っても口を利かなかった。


「んでよ、どうだった?」


 懸垂の後、鉄棒の麓で水を飲んでいるルイにラウダが問うた。


「なんでもなかったよ。ざっくり言うと、自分が役に立ってるか不安だったみたい」

「なになに、恋バナ?」


 二人の間に、ジュールが割って入る。


「そういうのじゃないですよ」


 金属製の水筒の蓋を閉め、ルイが立ち上がる。


「ちょっと気になるんだけどさ、ジュールさんの顔の傷って何でできたのんだ?」


 ラウダが興味深い話を始めるので、彼は再び座った。


「バタィーヤで、ちょっとね」

「……俺が取り戻すからさ、手伝ってよ、バタィーヤ」


 大言壮語を吐いた少年の頭を、戦場を知る女が乱暴に撫でた。


「ガキ扱いすんなよな」

「頑張りな。アタシもそれまで生きといてやるからさ。十年、いや二十年先になるかも知れないけど」

「五年だ」


 きっぱりと言い切ったラウダを、彼女は笑う。笑いも笑い、爆笑だった。


「五年、五年ね。いいよ、期待しとく」

「俺は本気だぞ」

「最前線に送られるのは二級からだ。それまでに昇級できるといいね」


 腰を上げたジュールは、大きく手を叩いた。


「その馬鹿さ加減を称えて、プレゼントをあげよう。三週走ってお昼ご飯だ!」

「マジで言ってんのか⁉」

「本当の戦場ってのはもっとキツイよ。これも耐えられない人間は、死ぬだけだ」


 その表情には、さっきまでの明るさはなかった。ただ、目の前で散った命を回顧する、もの悲しさだけがあった。


「……やってやらあ!」

「殿下とハービもだよ!」

「そんなあ!」


 数分後、ヘトヘトの彼らは建屋の食堂に入った。今日のランチメニューはカルボナーラとシャーベット、ジンジャーエールだ。


「ラウダのせいだからね」


 フォークでスパゲッティを巻き取りながら、ルイが言う。


「どうせならでっかく出た方がいいだろ」


 そう告げるとラウダは麺を啜った。


「それ、やめた方がいいわ」

「うっせ。俺は庶民派なんだよ」

「庶民でもそんな啜らないわよ……」


 呆れた彼女の隣に、偉丈夫が座る。


「隣、失礼するよ」

「あら、先生」


 ヘクトだった。水色をした質素な半袖の服は、やはり筋肉に押されて張っていた。


「いいかいラウダ。王族と並んで、親衛隊は国の代表の一人なんだ。単なる戦闘能力と同じくらいに、品性は大事なのだよ」

「へいへい。気を付けますよ~」


 パンツェッタを頬張ったラウダは、興味があるのかないのか判然としない口調で言った。


「殿下、お変わりありませんか」

「大丈夫だよ」


 その真意に気付かないまま、ハービが席を立った。


「先生、お先に失礼します」


 深々と頭を下げて去る彼女の背中を見ながら、ラウダが問いかけを用意する。


「ヘクトさんから見たあいつって、どんな感じ?」

「間違いなく優秀だ。男であれば必ず教会騎士にスカウトしていただろう」

「でも、弟子にした理由はそこじゃないんでしょ?」


 シャーベットを食べ始めたルイが重ねる。


「あの髪だよ。青はヴセールの色……彼女は、蒼い炎に愛された存在だ。もしかしたら、勇者様の再来かもしれない。勇者様も同じ色の髪をしていたと言うしね」

「そんな風にゃ見えねえけどなあ」

「彼女は洗礼を受けずに聖なる炎を操作できた。絶対的な魔力出力には課題があるけれど、成長すればラウダなんて置いて行かれてしまう」

「オイオイオイ、それは聞き捨てならねえな」


 芝居がかって指差してきた彼を見て、ヘクトは明るく笑う。


「あのな、ヘクトさん。一番強くなるのは俺だぜ。先生に取られたことを後悔する準備、しといてくれよ」

「いいだろう。期待して待っているよ」


 よく晴れた春の空が、穢れるまではそう長くなかった。

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