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田園にて

「私の役割はお守りです」


 車の助手席でカロスが言った。ルイ、ラウダ、そしてハービは後部座席に座っていた。


「君たちの手に負えないと判断した場合、即時介入。終わらせます」

「つまり、俺たち役立たずってこと?」

「ええ。はっきり言って私一人で十分な任務でしょう。ですが、それは君たちの成長を阻害していい理由にはならない。私は基本的に見物することとします。危なくなったら呼んでください」


 優しいのか厳しいのか。困ったルイは隣のハービに視線を飛ばすも、返ってくるものはなかった。


「でもさ、先生が一緒にくればいいじゃんか」

「四級は候補生と大して変わりません。単独任務が許可される三級になるまでは、教官以外の二級以上の隊員が同行するのです」

「なんで? 強い方がいいじゃん」

「三級への昇級試験も兼ねているのです。そこで教官が同行すれば私情が入る可能性がある」


 淡々とした声音で話す彼が何をしているのか、若人たちには見えない。


「それと、ラウダくん。話し方を直せと言いましたよね」

「別にいーじゃん。俺の方が偉くなるんだから、今のうちに慣らしとかなきゃ」

「全く……」


 重い溜息。


「ねえ、カロスさん。私たちが向かった護衛任務は単独任務には当たらないんですか?」

「ええ。あの教会魔術師は二級相当と判断されていますから」


 沛雨が屋根を叩いて、タンタンと音を鳴らす。


「しっかりと報告を受けています。この任務が上手く行けば、半年後には三級ですよ」

「半年、ね。二か月じゃ無理?」


 ラウダが頬杖をついてそう言った。


「無理でしょう」


 あっさり切り捨てられた彼は、苦い顔をする。


「現状、最速の昇給記録はソウさんの二か月です。それを知った上での発言ですか?」

「もちろん」

「彼の場合は二か月で四級から特一級でしたね。よく覚えています」

「先生って、バタィーヤで大活躍したってよく聞くんですけど、具体的に何したんですか?」


 ルイが割り込んで尋ねた。


「たった一人で魔導兵器中隊を殲滅しました。その現場に居合わせましたが……あれは、人間の域を超えている」


 ルイは、師と魔王が戦っているところを体の内側から見ていた。一撃で内臓を潰す威力の打撃がどんな痛みだったか、よく覚えている。だが、それでもまだ全力でないことも、よくわかっていた。


「さて、そろそろですね。行きますよ」


 窓の外には、長閑な田園風景が広がっている。キャベツを収穫する農夫の姿が見える。あまり見慣れない光景を、ルイは眺めていた。しかし、そこで車は止まる。


「ここからは徒歩です。入り組んでいますからね」


 蝙蝠傘を開いて、四人は狭い農道を歩く。何度も曲がる内、若者たちは危うく用水路に足を突っ込みそうになった。


「気を付けてください。戦う前に怪我をすることほど馬鹿らしいことはありません」


 十分ほど歩いたところ、青白い結界に覆われている納屋が見えてきた。


「あれです。無理だと感じたらすぐに私を頼ること。いいですね」

「ま、どっしり構えてなって」


 若人たちは銘々武器を抜く。その背中を見送ったカロスの脳内に、侵入者。


「ルイ、魔王が出ると思う?」


 ソウだ。


「ソウさん、視界を貸すのはいいとしても、勝手に脳内に入り込まれては驚きます」

「ごめんごめん。でも、気になるからさ」

「……以前と同じように、死にかければ魔王が出てくるでしょう。そうなる前に、私が介入します」

「頼むよ。処刑なんてことになったら僕の責任だ」


 少し黙って、カロスは眼鏡を上げた。


「責任逃れなど、本心ではないでしょうに」


 そう言い返した時にはもう、ソウは消えていた。


 石造りの納屋の前、三人組。古びた建物の中から、彼らは言い表せない威圧感のようなものを感じていた。


「開けるぞ」


 その引き戸をスライドさせて、ラウダが中を照らした。ウーッ、という唸り声を出したのは、三メートル近い巨体の、ヒグマめいた存在。表面は陽炎のように揺らめいている。その足元には腹を開かれた妊婦と、引きずり出され頭を食われた胎児が転がっていた。


「一発で決める!」


 彼はマントから出した左手で、蒼い炎を発する。だが、そうやって産まれた壁を容易く打ち破って、魔物は大きく腕を振り上げた。


「馬鹿!」


 ルイとハービによる二重の障壁で攻撃を防ぐ。


「あんたは雷で援護! 私とルイで前衛するから!」

「お、おう!」


 斧と剣が熊の皮膚を削る。少しずつダメージを与えられている──と信じて二人はひたすらに武器を振るった。聖なる力を纏った手斧と、その力が閉じ込められた片手剣。有効打にはなっているはずだった。


 しかし、魔物の乱暴な攻撃に止まる気色はない。瞬間移動と障壁で攻撃を受けることはなかったが、それもいつまで保つかわからない。ラウダの投げる雷の槍も、幾らか食い込むものの致命傷にはならない。


「呼ぶ?」


 少し離れて、ルイが言った。


「嫌。私たちだけで何とかするの」


 眉間に皺を寄せるハービを見て、彼はその言葉を受け入れた。


「ラウダ! もっと出力上げられる⁉」

「やってやろうじゃねえか!」


 春の陽気もないこの場所で、ラウダは少し汗をかいていた。


「いくぜ新技! 雷霆発破らいていはっぱ!」


 魔力を集めた剣を握って回転。勢いが乗った剣先から、一発、雷の槍を放つ。それは深々と熊の右肩に突き刺さり、


「発!」


 の叫びと共に爆ぜた。飛び散る臭い体液、弾けた右腕、上がる絶叫。


「断面だ!」


 彼の指示に従い、ルイが蒼い刃を傷口にねじ込む。


「閃け!」


 一言、声を発する。封じ込められた聖なる力が解放され、魔物を内側から灼いていく。


 喚く羆の足を、小振りな斧が断つ。蒼の力を流し込まれて肉体の強度が落ちているのだ。勝てる。三人がそう確信した時、ハービが吹き飛ばされた。


「え?」


 納屋の壁を突き破り、結界の外に転がった彼女に視線が向いたルイ。ラウダが咄嗟に障壁を展開しなければ、魔物のパンチで彼の首から上はなくなっていただろう。


「僕の実験の邪魔をしないでほしいなあ」


 ニタニタと笑う、やせ細った女がいつの間にか現れてそう言った。左目にはオレンジのモノクル。


「……レ」


 ルイはその名前を知っていた。


「お迎えに上がりましたよ、魔王様」


 丁寧に頭を下げた彼女に、彼は嫌悪を込めた眼光を飛ばす。


「僕はマゼクルーダ王国第三王子だ。魔王じゃない」

「今から、なるんだよ」


 レは裸体に纏った白衣のポケットから赤い石を取り出す。


「赤輝石。まあ、貴重な石ってことがわかればいい。これを魔物にあげると……」


 指で飛んだそれは、熊の口に入る。急激に体を膨張させ、納屋の屋根を突き破った。


「こうなるわけだ。さあ、魔王の力で殺してみるんだ」


 彼の脳裏に言葉が響く。


「代われ」

「代わらない」

「お前に死なれては困るのだ」

「消えてしまうからか? なら消えればいい」


 心臓が痛む。膝をつく。


「さあ、さあ、さあ!」


 煽るレに剣を向け、ラウダが間に入った。


「君に興味はないんだ。今のうち──」


 言い切る前に、巨大な顎が熊の頭を食い千切った。


「……へえ」


 その主は、全長にして十五メートルほどの、翼龍。


「ルイくん! ラウダくん! 無事ですね! ここは私が押さえます! 逃げて!」


 背中にはカロスが乗っている。傍らにはハービの姿もあった。


「消えよ途絶えよ燃え尽きよ! 我が両腕に、その御霊の一端を下ろし給え!」


 簡単な詠唱を済ませた彼の腕に蒼い炎が灯る。


神意憑誕しんいひょうたん!」


 龍から飛び降り、再生を始めた熊の頭を掴む。


「失せよ!」


 一言に合わせ、魔物の全身が燃え上がった。残ったのは、赤い石だけ。


「……これが一級か。やるね」


 レはその石を手元に呼び寄せ、ポケットに仕舞う。


「魔王様、再び出会える日を心待ちにしております」


 彼女の背後に黒い円が現れ、その中に足を踏み入れた肉体は虚空に消えた。その直後、何もない所を龍が噛んだ。


「逃げられましたか……」


 カロスが赤い腕輪を着けた左腕を伸ばし、龍を消す。


「カロスさん、それ、何?」


 ラウダが問う。


「私は魔物使いです。上下関係をはっきりさせた魔物を出し入れ、操作できる。この龍は私が使える中でも最も強いと言っていいでしょう。代わりに、五分しか顕現させられませんが」


 淡々と話すその顔には、一筋の汗が流れている。


「戻りましょう。これは由々しき事態です」


 雨の中、車が王城に帰り着いたのは三時間後のことだった。そして、ラウダが蒼い炎を使い忘れたことに気付いたも。

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