目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
ひと時の休息

「……陛下」


 ソルド宰相が重々しく口を開いた。国政に纏わる晩餐会の場である。齢六十八、人生も終わりに差し掛かってきた頃の女だ。


「魔王が目覚めたことについては、ご存知であらせられますね?」


 国王は葡萄酒を一口飲んだ。


「何が言いたい」


 ヘーネフルドの声には微かな怒りが滲んでいた。


「畏くも国王にあらせられましては、魔王の完全なる討滅が我が国の……使命マゼクルーダであることは承知なされていることと存じます。その上で申し上げるのですが、本当にルイ王子は魔王を制御できているのですか」

「昨日、魔王が数分間体の主導権を得た。それは事実と認めよう。だが、あれは私の息子だ。処遇は私が決める」


 十五人ほどの大臣や軍の高官がざわめく。


「灼滅の炎を扱ったという報告が上がっています。ジュールとカロス……親衛隊を支える、一級という柱を失うところだったのですよ」


 そう口を挟んだのは赤い髪のヴンダ親衛隊総長。彼の制帽は壁のフックに掛けてある。


「そのためにソウがいる。その存在が抑止力になると、彼奴は言っていた」


 彼は、ソウが自分を通さずに国王へ直に相談したことをここで知った。僭越ではなかろうか、と感じる。


「オーバ、帝国は魔王について知っていないだろうな」


 王は末席に座る一人の中年男性に声をかけた。国家情報局局長、オーバ・ユージである。黒縁の眼鏡に、同じ色の髪と眼。感情などないような面構えだった。


「現状、魔王復活の一報は帝国には入っていないと思われます。いつまで隠せるかは断言できませんが」


 彼はそう答えると、濃い葡萄酒を口に運んだ。


「可及的速やかに魔王を鍛え……そのまま帝国へ侵攻するべきかもしれませんね」

「貴殿! 越権行為だぞ!」


 ヴンダが声を上げた。


「好きにお思いになさって構いません。これは、私の小さな脳味噌で考えた最適解、というだけです」


 ピンと張り詰めた細糸のような空気が、その場にいる人間の首を絞める。


「それに、です。究破弾きゅうはだんの開発、後は実験だけなのでしょう?」

「究破弾……開発計画は凍結されたはずですよ」


 宰相が震える声で指摘した。


「いやあ? 帝国に戦争の意思がある限り、我々は予断を許さない状況にあるのですよ。ならば、使える手札は多い方がいい……そうでしょう? サスラン・クィサ軍務大臣」


 腰にサーベルを提げ、威圧感のある堀の深い顔。名前を呼ばれたその彼はゆっくりと口を開く。


「左様。軍部は現在、究破弾の実戦配備に向けた研究を行っている」

「あ、あれは!」


 ソルドが大声と腰を上げる。


「あれは、単なる爆弾ではないのですよ。バタィーヤと同じ、死の大地を生み出す禁断の兵器なのですよ!」

「だから?」


 オーバの冷徹な声に、彼女は弱々しく座るしかなかった。


「帝都で起爆すればいい。違いますか?」


 女宰相はそれ以上言葉を紡げないようだった。


「究破弾に関する議論は別の機会に行う」


 見かねて王が言った。


「だが、ルイに関しては私の決定が全てだ。あれはソウの監視下で力を育む。異論ないか」


 言い切られては何も反駁できず、臣下たちは黙りこくった。そこで、ノック。


「軍医のツァンドゥです。ルイ王子の検査結果についてご報告が」


 神経質そうな声が聞こえてくる。


「入れ」


 扉を開いたのは、白衣に同じ色の短い髪を合わせた、初老の男だ。


「ルイから心臓を取り出すことは可能か?」

「いえ……胃袋の中にありますが、おそらく胃壁と癒着しているかと……」


 王は暫し沈黙してから、俯いて口を開く。


「なら、益々魔王を制御させるしかない、ということか」

「その辺りのことは、私には何とも……」


 夜は、深くなるばかり。





「やっぱバタークッキーが世界で一番美味い菓子なんだよ」


 ルイとハービもいる、カフェの円いテーブルのテラス席。ラウダが黄色い円形のクッキーを持ってそう言った。


「僕はシュークリームが一番好きだなあ」


 燦々と輝く太陽の下、三人は菓子をつまみながらコーヒーを飲んでいた。第一エリアの美しい白い街並みは、静かな昼下がりの中にある。


「ハービは?」


 マドレーヌを口に運びながらルイが問う。


「別に……お菓子とか普段食べないし」

「清貧の掟、ってやつか?」


 ラウダはクッキーを指で高く飛ばすと、それを口で受け止めた。


「教会騎士じゃないからそこは従わなくていいんだけど……先生と一緒にいるとね、どうしても」


 大陸最強の戦士と名高い教会騎士には、四つの誓いと四つの掟が存在する。


「『正義』『不屈』『信仰』……誓いって後なんだっけ」

「『献身』よ」


 ルイとの問答を聞いていたラウダは数度頷く。


「そして、『礼儀』『慈悲』『清貧』『謙虚』の掟。俺もなりたかったなあ、教会騎士」

「あら、そうなの?」

「先生が『君に向いてるのは親衛隊だよ』って言うからなったけどさ、やっぱイカつい鎧とでっけえ盾で仲間を守るってカッコいいじゃん」


 それがお世辞の類であることを、ルイは知っていた。彼が親衛隊となったのは師に勧められたからではない。いつか来るバタィーヤ奪還作戦において、一番手柄を挙げられる居場所がソウの隣だと知っているからだ。


「呑気なものですね」


 そう声をかけたのは、通りかかったカロスだ。


「カロスさん、なんでここに?」

「趣味のパトロールです。次は第二エリアを見て回り──何ですか」


 若者三人が珍獣でも眺めるような眼をしているので、彼は妙な居心地の悪さを感じながら眼鏡を上げた。


「パトロールって、趣味にならないと思うんだけど」


 ラウダの一言を、残る二人は肯う。


「我々親衛隊が望むのは王国民全ての安寧。そのために動くというのは、何らおかしなことでないと思いますが」

「でも休日だろ?」

「ラウダくん、年上には敬意ある言葉遣いをしなさい。ソウさんの悪いところが感染ってますよ」

「へいへい。気を付けますよ」


 彼は面倒くさそうに手を振った。


「ま、気を付けてくださいよ。あんたが怪我するようなこたないと思うけどさ」

「その『あんた』もやめなさい。年上に対してはきちんと名前で呼ぶべきです」


 俺、この人苦手かも──視線でルイにそう言った彼の手は止まらず、菓子を運び続ける。


「あなたたちも成長すればわかります。平和を作るには、小さいことを毎日積み重ねていくしかないのです。戦場で大きな手柄を挙げても、それは一時の栄誉でしかない。勲章で年金が貰えるのだとしても、です」


 後ろポケットから布を取り出し、眼鏡を拭く、カロス。


「ルイくん、ラウダくん。ソウさんは存在が抑止力となる強大な力です。しかし、そこに至れる人間は、生まれながらにして何かを持っているのです。自分がそうでないという自覚があるのなら、手本とするのは彼ではありません」


 そんな疲れた眼が自分に釘を刺すように思えて、ルイは逃げられなかった。


「ルイくん。気を付けることです。君は、己の価値を示さなければならない」

「わかってる……つもりです」


 何やら重そうな空気が生まれたことに、ハービはついていけていなかった。


「さて、私は行きます。ハービくん、ソウさんの悪影響を受けた二人を頼みます。あのワンマンプレーに走る悪い癖が感染しては困りますから」


 半長靴を鳴らしながら彼は去った。


「さっきの、どういう意味?」


 ハービがルイに問う。


「いやー……ほら、王族だからさ、認めない人もいっぱいいるって意味。評議会の審査だって、僕が王子だから通ったみたいなところあるし」


 真実を求める真っ直ぐな紫玉の眼が、彼の心に刺さってくる。


「秘密はあるけどさ、その……機密扱いなんだ。だから今は話せない」

「そう。いつか教えてよね」


 関心があるのかどうか、彼は判断しかねた。しかし、いつまでも隠し通せることではない。魔王をその身に宿すと露見した時、どう反応するのか、あまりに恐ろしかった。


 そんな彼らに近づく、もう一人の男。


「やあ諸君!」


 ソウだった。


「先生!」

「探したよ。大切な話があるんだ」


 彼は円形のテーブルの空いている席に勝手に座り、クッキーを一枚取った。


「君たちに任務だ。魔物退治に行ってほしい」

「俺たちが行かなきゃならないくらいやばいの?」

「田園地帯に、熊の形をした魔物が出ていてね。教会魔術師を何人か派遣したけど……まあ返り討ち。死んじゃいないけど、しばらく入院だ。そこで、君たちに加えて、カロスを派遣して対処することになった。ラウダの蒼い炎の慣らしも含めて、頼むよ、君たち」


 ルイのコーヒーを奪い取って、一気に飲み干す。


「うわ、ミルク多すぎ……コホン。出発は明日の日没。王城の正門前に集合だ。じゃあね~」


 彼は数枚の硬貨を置いて、瞬間移動で消えた。


「明日って、急すぎねえか」

「いつもこうでしょ」

「大変なのね、あなたたち……」


 翌日は、雨だった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?