「さて、と」
車から降りたジュールが言った。
「目立った痕跡はここで途絶えているね」
「ええ。このエリアで人を探すというのは砂漠で針を探すようなものですが」
綺麗な身形の彼らを避けるように人々は歩く。異物感。ルイは只管にそれを感じていた。
「殿下はお忍びで何度か来ているだろうけど、気を付けるんだよ」
「スリとか、通り魔とか?」
「そんなものじゃない……習ったろう? 人の負の感情が集まる所には魔物が吸い寄せられる。勇者様の遺体を使った魔除けが守っていても、賢い奴は結界を通り抜けてくるんだ。だから、こうして──」
ルイは背後から邪気を感じる。慌てて振り返って
「ジュールさん!」
と叫ぶその直前。隠れた左半身から片手サイズのメイスを取り出した彼女が、一撃で魔物を消滅させた。
「警戒を怠ってはならない」
「もしかしてわかってて……」
「そう。少し魔力を漏らして引き付けた。実戦形式が一番身に染みるだろう?」
頬についた赤い体液を袖で拭い、メイスを軽く振ってマントの中に仕舞う。
「親衛隊のマントは、何のためにあるんだったかな?」
歩き出した彼女はそう問う。
「武器を隠すため。一般市民に威圧感を与えず、敵対する者には手の内をギリギリまで隠すためです」
「うんうん。ソウはいい加減な奴だけど、そういう所はキチンと教えていたみたいだね」
左手の腕時計を見る。まだ昼前だ。
「銀時計持ってるのに、腕時計もつけてるんですか?」
その様子を見てルイは問うた。
「あれ手巻きだもん。面倒だから普段使いは魔力で動く時計にしてる」
合理的……ではあるのだろうが彼は複雑な表情で苦笑した。恩賜の品をそう雑に使っていいものか、と。
「銀時計の一番の役割は、障壁と瞬間移動の魔法陣になることだよ。大事にはしてるさ。ただ、いい加減アップデートをしてほしいとは思ってるだけで」
何も告げずに歩く彼女を追ってルイは進んでいるが、一体どこに向かっているのかとんと見当もつかない。
「何を根拠に歩いているのか、って思ってるね」
「まあ……そうですけど」
「どんな生物もある程度魔力は持っている。でも、魔術師は当然その匂いが濃いから、必死になって消そうとする。不自然に魔力残留の少ない地点を経由して行けば、自然と魔術師に行き着くってわけ」
「匂い?」
嫉みと敵意を丸出しにした男が彼らの近くを通り過ぎる。
「鼻に魔力を集めるんだ。アタシは感覚の強化が得意でね」
三人は下水道への入口で立ち止まる。鉄格子で塞がれてはいるが、戸の鍵は捩じ切られていた。
「ここだね。不自然に魔力が隠匿されている」
「誘いこまれている可能性は?」
カロスが尋ねる。
「だとしても、行かなきゃ。そのための親衛隊なんだから」
彼女は躊躇いなく扉を開く。その足元を鼠が駆けていった。キイッ、という軋む音がそこに残った。
「ライト」
そう言われてカロスが腰に提げていたハンドライトで先を照らす。ヘドロが流れる水路の横を、悪臭に顔を歪めながら進む。蝙蝠が羽搏く。
十五分ほど歩いた所で、ルイは敏感に邪気を感じ取った。隠した左半身から剣を抜く。
「センスがいいね」
ジュールも鈍器を持って言う。
「来るよ」
道の奥で、何かが輝く──と認識したのも束の間、赤い炎の濁流が三人を襲った。
「出てきなよ!」
障壁で防御した彼女が声を張り上げる。コツン、コツンと足音が響いてきた。
現れたのは、金髪碧眼の美男。汚れ切ったこの場所には相応しくない、純白のスーツを着ていた。だが、そんなことには眼もくれず、彼女は殴りかかる。首から上が潰された。
しかし、彼女はまだ警戒を解いていなかった。魔力の反応が急激に強くなりつつあるのだ。
「俺はオ。賢者の人形が一」
頭を丸っと再生させた彼が声を発する。
「ルイ・リリカス・ゲースヒャガニ。その肉体、明け渡せ」
武器を構えた三人は、冷静に相手の実力を量る。魔力量で言えば特一級クラス。間違いなく、ルイでは勝てない。それを彼らは認めた。
「殿下、前に出ないで」
「わかりました」
攻勢に出るカロスとジュール。剣を握った彼と、鈍器を振り回す彼女は、一見すれば優位であるようにルイには思えた。だが、どれだけ致命傷となり得るダメージを与えてもオは再生を繰り返す。
「これだけか?」
オは、嗤っていた。
「一つ聞かせて。第三エリアで見つかった惨死体、あれはキミがやったの?」
「ああ。つまらんものだった」
ジュールの右目が、鋭く相手を睨んだ。
◆
ヘーネフルド国王とオブヤ司教は、王の執務室にて面会していた。
「つまり……ルイは積極的に戦わせるべきと?」
ヘーネフルドは茶を一口飲むとそう言った。
「ええ。魔王の力を制御する訓練が必要だと教会は考えています。監視の下で、一種の兵器のように扱う分にはさしたる問題にはならないかと」
蒼い絨毯の上に置かれた黒い革椅子が、黒檀のテーブルを挟んで置かれている。彼らはそこに座っていた。空いている奥の椅子の向こうでは、どんよりとした雲が空を隠している。
「魔王の力……
王の表情は険しいものだ。
「魂を焼き、輪廻に帰すことなくそれを滅する魔の黒き炎。真の意味での死を齎す悪魔の力。何より、魂の形に肉体を復元する再生魔術による治療ができないという点は、帝国との戦争で役に立つと思われますが」
「人の身に余る力なのではないか、と思うのです」
彼が誇る黄金の瞳は、暗く絨毯を見下ろす。
「確かに、魔王の力は二千年前に比べて落ちているやもしれません。それでも……勇者様が再誕しない限り……」
「一つ、いいお知らせがございます」
王はオレンジ色のモノクルの向こうにある目を見た。
「ルイ王子には勇者様の御血が色濃く流れていらっしゃる……きっと、魔王の魂を押さえつけることでしょう」
「教会としてのお言葉ですか?」
「わたくし個人の見解です」
それを聞いた彼の口角は下がったままだ。
「ここ数年、教会の求める寄進の量が増えているのです。小麦、葡萄酒、子羊。それだけではありません。銀貨もです。何がそこまでの寄付を必要とさせるのですか」
オブヤの顔が僅かに歪む。
「宗教というのは、それなりにお金がかかるのですよ」
「……結界には、勇者様のご遺体が必要。それはわかります。しかし、貸出に係る対価を恣意的に決められては困ります。主要都市に張る結界だけでかなりの負担となっているのですよ」
彼は逃げるように茶を啜った。
「これは口外していただきたくないのですが、わたくし自身教会のやり方には疑問を抱いています。既得権益を守ることばかりに執着し、本来あるべき、心の拠り所になるという理想を忘れてしまっているように感じるのです。確かに、南下政策を国是とする大ハブ連邦からの侵攻を受けないためには、教会として広く影響力を維持しなければなりません」
カップをソーサーに置く。
「そして、それには相応の経済力も必要です。しかし、今の上層部は、自分たちが如何なる国家よりも優位に──つまり、対等な協力関係にあるにも拘わらず、それを無視して支配者側に回っているように錯覚しています」
「敬意は抱いていますよ」
「それを相互に行うことが正常な状態なのです。教会騎士は優れた戦士ですが、やはりマゼクルーダ王国軍の戦力がなければ、恐らく連邦からの侵略の脅威に晒されていたでしょうから」
檜葉の扉が叩かれる。
「ケーキをお持ちしました」
「入れ」
若い女が静かに二皿の菓子を置いた。スポンジケーキでクリームを挟んだものだ。
「失礼いたします」
声が聞こえないであろう距離まで待った後、オブヤが溜息を吐いた。
「少し、大司教と話をしてみます。わたくしの力は大したことはないですが、僅かでも王国の負担を軽くできれば……」
司教は膝の上で拳を握った。
「明るい話をしましょう。ルイの級友、ラウダが洗礼を受けたいと申しております。私としても、蒼い炎を扱える人間をルイの近くに置いておきたい……近く、秘跡を授けてはいただけないでしょうか」
「わかりました。指示を出しておきます」
空気が穏やかになって猶、下水道では命のやり取りが続いていた。