ルイは醜い四本腕で四本足の魔物に運ばれていた。
「このっ、離せって……!」
彼の見せた必死の足掻きも虚しく、魔物はひたひたと足音を鳴らしながら飼い主の所まで走った。鉄扉を体当たりで開き、待っていた主に王子を差し出す。
その主は、病的に白い肌と異常に細い手足を持つ中性的な女性だった。左目にはオレンジ色の硝子で作られたモノクルが装着されている。
「よしよし、注文通りだ」
女は歪んだ笑みを浮かべながら自分より大きな魔物の頭を撫でる。裸に直接白衣を羽織った彼女は、その魔物が満足したことを認めると、顔をルイに向けた。
「さて、ルイくん。私はレ。実験をしようじゃないか」
レと名乗ったその女の立っている部屋は、異様な雰囲気が漂っていた。緑色の液体に満たされた、異形の生物を保管する培養槽が幾つも並んでいる。薬品臭い空気がルイに吐き気を催させる。彼女は部屋の隅にある机に置かれた、干物のようなものを持つ。
「魔王を知っているかな?」
彼女は前触れなく問いかけをした。
「かつてこの世界に君臨し、魔物や魔族を操って人間に戦争を仕掛けた……しかし、約二千年前、この国の開祖となった勇者によって討伐され……その肉体の殆どは消滅した」
突如現れた椅子に縛り付けられたルイは、冷静に周囲を見渡す。部屋の奥には、幾つもの死体が積み重なっていた。
「しかし、魂の宿る心臓だけは朽ちることなく残り続けた。それがこれだ。君は耐えられるかな? いや、耐えられる。きっとね」
顎を掴まれ、赤黒く乾燥した物体が口に押し込まれる。余りに臭い。吐き出しそうになった彼は、しかし、その意に反して嚥下してしまった。
突如訪れる、強い心臓の音。胸の中で、胸骨を割らんほどに脈打っている。全ての毛が逆立つような感覚。自分が、心が、何かに飲み込まれようとしている。
そして、意識を失った。だが、次の瞬間、覚醒。
「ククク……」
笑い出す。
「ハハハハハ! 最高の肉体だ! 若い、若いぞ!」
ルイだった者は拘束を破って立ち上がる。
「お待ちしておりました、魔王様」
「お前は……レか。今は何年だ」
「天歴一九一二年……貴方様の討伐から数えた暦です」
「俺は暦になっているのか。面白い……それで、
「お戯れになりますか」
「無論だ」
魔王は眼を見開き、歪に笑っていた。
「その器は、ルイ・リリカス・ゲースヒャガニ。マゼクルーダ王国第三王子……貴方様を打ち倒した勇者の末裔にございます」
「
指を立てれば、その先に小さな黒い炎が灯る。
「……これだけか」
「まだ馴染んでおりません故。時間が経てば、いずれは……」
それを吹き消し、跪いたレを見下ろす。
「まあいい。教会騎士を殺しに行く」
「御意に……」
魔王は部屋を出て、蒼い炎が照らし出す廊下に立った。
「つまらんな」
蒼炎は聖なる炎とされている。故に、勇者も同じ術を使っていた。
「だが、お前は面白い。来い、教会騎士」
魔王は剣を捨て、拳を構える。
「黒髪の餓鬼、帰れ。一対一で勝負がしたい」
「ラウダ、彼の言う通りだ」
「ヘクトさんは?」
「彼を……弑する」
そう言った騎士は、思わず唾を飲んでいた。盾で体を隠した、その一瞬。途轍もないインパクトが彼を襲う。装備によってかなりの重量があるはずのその肉体は、廊下の一番奥まで吹き飛ばされた。
「ふむ、身体強化はそれなりの出力があるか……」
殴った方の拳には血が滲んでいる。しかし、すぐに癒えた。
「どうした? その蒼い鎧、聖合金だろう。俺の黒い炎を防ぐために作られた金属だ……勇者も同じ素材の鎧を纏っていた。忘れはせん」
左人差し指と中指を相手に向け、魔王は赤い核を持った黒い炎を点火する。
「二千年。その間に人間は進化したか、試してやる」
焔は勢いを増し、やがて握り拳大のサイズになる。握った右手を弓を引くように動かし、構える。
「
右拳を解放すると、一気に炎の矢が廊下を駆け抜けた。拡散しながら飛翔したそれは、転がる魔物の肉片を焼き尽くし、盾にぶつかった。どうにか、防ぎ切った。
「なるほど、
指をパキパキ鳴らしながら魔王は呟く。
「都合がいい。慣らすまでにそう時間はかからんな」
簡単な体操を始めたその右腕が、斬り落とされる。
「ほう、それなりに速いのか」
すぐさま腕は元通りになる。
(これが魔王! 欠損部位を完璧に修復させるのか!)
驚愕するヘクトは、今度は蹴りを喰らって大きく後退させられる。着地する前に魔王が追いついて、上に向かって投げた。天井を突き破り、地上階に放り出され彼に、空中回し蹴りが入る。
「凹みもせんのか。冶金技術は進んでいるようだな」
空中で停止した魔王の手に、ルイの剣が飛んでくる。金の紋様が入った群青色の鞘だ。
「呼べば来る。従順な剣だ」
それを抜こうとした時、彼は酷い熱を感じる。
「な、なんだ──抑え込まれっ……」
魔王──いや、ルイの体が落下を始める。それをヘクトが抱きとめ、穴の向こう側に降り立った。
「ヘクト……無事……?」
その声は柔らかく、穏やかでありながら確かに芯のあるものだった。
「王子の御身こそ、無事でいらっしゃいますか」
「僕は大丈夫。ラウダは?」
「応援を呼ぶために外へ。一体何が起こったのですか」
「魔王の心臓を飲まされた」
「なっ……!」
若き騎士は絶句してしまった。
「……本来、魔王の肉体は猛毒です。それを飲み込んで猶生きておられるということは……流石、勇者の血を引くお方ですね」
「運が良かったのかな。とにかく、まずは先生に報告しないと」
「お休みになってください。そういったことは、私の方で処理いたします」
ごつごつとした鎧の腕から離れたルイは、数歩ふらついた。
「助けてもらったんだ」
彼は小さく言った。
「誰かわからないけど……僕を引き戻してくれた。いるんだ、魔王とは違う、もう一人が」
「その御身に流れる勇者の血がお助けになったのかもしれませんね」
「感謝しなきゃね、勇者様に」
首を傾けて、彼は笑ってみせる。
「一先ずここを出ましょう。すぐに増援が来るはずです」
それから二人が王城に戻ったのは、二時間後のことだった。
◆
宮殿の一室。ルイ王子の私室で、彼とその親友は師を前にしていた。
「とりあえず、判断は保留だね」
師。ソウ・ブルガザル。親衛隊の象徴の一つである表が黒く、裏が紅いマントで左半身を隠している。短髪は帽子の中に収まり、髪型は窺えない。
「不合格ってこと?」
ソファに腰掛ける二人組の内、金色の方が尋ねた。
「保留だよ。魔王をその身に宿した人間を親衛隊に入れていいか、陛下にお伺いを立てるつもりだ」
気まずさを表情に抱いて、彼は俯いた。
「でも、先生、抑えられてるならいいんじゃねえの?」
ラウダは最悪の可能性から目を逸らしながら問うた。
「それがいつまで保つかわからないだろう? そもそも、何で抑え込めているかもはっきりしない。勇者様の血が流れていたとしても、悲しいことにその力は薄まっているはずだ」
ソウの声は聞く者を落ち着かせる、深みのあるものだった。
「とにかく! 僕の目の届かないところで魔術を使わないこと! ラウダは報告書を書いて提出! そして、このことは秘密だ! 以上、解散!」
マントを翻しながら背を向けて、彼は部屋を去った。
「ま、そうがっかりすんなよ。きっとすぐ合格になるって」
ラウダは無二の親友の背を叩いて言う。
「……僕、殺されるのかな」
一番聞きたくなかった言葉が出て、彼は押し黙ってしまった。
「今の僕を殺せば、魔王は本当の意味で死ぬかもしれない。それなら……」
「やめろよ」
悪い想像を膨らませるのを、止める。
「王室ってのは勇者の家系なんだろ? なら魔王にだって勝てる。何があったら……俺を思い出してくれ。そうすりゃ戻って来れるって。制御できるようになろうぜ」
眩しい笑顔を見せた彼に、ルイは影のある笑みを返す。
「そうだね、信じるよ」
何でもないやり取りを交わす一方で、王国に忍び寄る影があった。