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第7章: 絡み合う影

霧の奥で膨張した影は、異様な形を成していた。それは人間のようでいて人間ではない。四肢が不自然に長く、揺れる灯火を吸い込むかのように動く姿は、まるで悪夢の中から這い出してきた怪物のようだった。

ちはるの心は警鐘を鳴らしていた。だが、恐怖よりも綺羅羅を助けたいという気持ちが勝り、彼女は無意識に前へ進もうとした。その瞬間、再び千景の腕が彼女を掴む。

「行くな! 今はまだ動くな!」

その声には厳しさが込められていたが、ちはるは思わず叫び返した。

「でも、綺羅羅が――!」

「無茶をすれば、助けるどころか全員危険に巻き込まれる!」

千景の瞳がちはるを鋭く見据える。その視線には冷静さがあったが、その奥に潜む焦燥がちはるにははっきりと見えた。

「お前だって怖いんでしょ……? それでも、止めるしかないの?」

ちはるの問いに、千景は言葉を詰まらせた。霧の中、影が綺羅羅の周囲で踊るように動いている。その様子に、全員の緊張が極限まで高まっていた。

「……俺が行く」

静かに口を開いたのは聖光だった。彼は千景の横をゆっくりと通り過ぎ、霧の中へ一歩を踏み出す。

「待て、聖光!」

千景が鋭い声で呼び止めるが、彼は振り返らない。その背中は静かで、まるで全てを受け入れる覚悟があるようだった。

「綺羅羅を放っておくわけにはいかない。俺が様子を見てくる。それまで動くな」

その言葉に千景は眉をひそめ、拳を固く握りしめた。だが、彼はそれ以上反論できなかった。

ちはるはその背中を見つめながら、声を上げることもできずに震えていた。なぜか涙が溢れそうになるのを必死に堪える。彼女の胸には、一歩ずつ離れていく聖光に対する強い不安と、自分の無力さへの苛立ちが渦巻いていた。

「……あいつ、何考えてるんだ」

杉太が低く呟いた。その言葉には彼自身の不安が滲んでいたが、彼は冗談めいた笑みを無理やり作る。

「聖光ってさ、やる時は本当にやる奴だよな。まあ、だからってこんな時にヒーローぶらなくてもいいのに……」

彼の軽口が場の緊張をわずかに和らげたように見えたが、それでも全員の視線は霧の奥へと吸い寄せられていた。

「……あれはヒーローぶってるんじゃない。覚悟してるんだ」

綺羅羅が霧の向こうから静かに言った。その声はかすかに震えていたが、はっきりと聞こえた。

聖光が彼女のもとに到達すると、影の動きが一瞬止まったように見えた。そして次の瞬間、灯火が突然大きく揺れ、影が二人を包み込むように動き始めた。

「綺羅羅! 聖光!」

ちはるが叫ぶが、霧が彼女の声を飲み込む。千景が前に進もうとする彼女を再び制した。

「焦るな! まだ何もわかっていない!」

その声には冷静を装った力強さがあったが、ちはるはそれを振りほどくように前に出た。

「私、もう待てない!」

彼女の声は震えながらも、決意に満ちていた。千景が再び止めようとしたが、その手を杉太が遮る。

「行かせてやれよ。止めても無理だ」

杉太の言葉に千景は歯噛みしながら拳を握り直した。その隙にちはるは前へ進む。

霧の中へと足を踏み入れると、彼女の周囲が急に冷たくなった。灯火は激しく揺れており、その周囲を取り巻く影が奇妙に絡み合っている。綺羅羅と聖光の姿がかろうじて見えるが、影が彼らを飲み込もうとしているのがはっきりとわかった。

「二人とも! 聞こえる?」

ちはるの声に、綺羅羅がこちらを振り返った。彼女の顔には恐怖と、それでも仲間を信じる強さが浮かんでいた。

「ちはる、来ちゃダメ!」

綺羅羅の叫びに、ちはるは一瞬足を止めたが、その場に留まることはできなかった。

「私は、助けたいだけなの!」

彼女の心の叫びが声に乗り、霧の中で響いた。その瞬間、影がピタリと動きを止めた。霧の静寂が再び戻り、灯火が微かに揺れているだけだった。

ちはるの胸は激しく鼓動していた。彼女は自分の決意が影にどう影響したのかわからなかったが、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

そして、千景の声が再び背後から響いた。

「お前のその声、影が反応している……」

その言葉に、ちはるは新たな力を感じた。だが、その先に待ち受けるものが何かは、まだ誰にもわからなかった。


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