霧の中、揺れる灯火がじわりと前方に浮かび上がる。それはまるで人を誘うような不規則な動きで、一定の距離を保ちながら進んでいく。ちはるはそれをじっと見つめながら、胸の中のざわめきを押さえ込んでいた。
「……あの灯、何だろう?」
ぼそりと口にした言葉は、周囲の霧に飲み込まれそうなほど弱々しかった。しかし、その呟きに反応するように杉太が前に出る。
「おいおい、何か面白そうじゃないか? あれを追いかけてみようぜ」
彼の声には少し浮ついた響きが混じっている。冒険心に火をつけられた彼の目は、期待で輝いていた。
「やめておけ」
千景が短く言い放った。その言葉は冷静というより、むしろ冷たささえ感じさせる。
「こんな状況で不用意に動くのは危険だ。ただでさえ、どこに何があるかわからないんだぞ」
「だからこそ、確かめてみる価値があるんじゃないのか?」
杉太は肩をすくめながら反論する。その軽い態度に、千景の眉間の皺が深くなる。
「危険を招くような行動はチーム全体の迷惑だ。お前が勝手に動いて問題を起こしたら、誰が責任を取るんだ?」
「責任、ねえ……」
杉太は苦笑を浮かべた。その顔には、自分の行動を否定されることへの苛立ちが薄っすらと滲んでいる。
「そんなに怖がってちゃ、何も進まないだろう?」
「怖がってるんじゃない、慎重なんだ」
千景の声がさらに低くなる。その鋭い視線が、杉太の表情を一瞬凍りつかせた。
ちはるは、二人の間に漂う緊張感に気付いていた。口を開きかけたものの、言葉を選びかねて一瞬躊躇う。そんな彼女の視界に、綺羅羅の小さな動きが映る。
「二人とも、そのくらいにしてくれる?」
綺羅羅が軽く手を挙げながら、穏やかな声で割り込んできた。その声には柔らかさがあったが、どこか抑制の効いた冷静さも含まれていた。
「ねえ、どっちが正しいかなんて、ここでは意味を持たないと思わない? あの灯が何かを教えてくれるかもしれないし、逆に罠かもしれない。それなら、少し慎重に近づく方法を考えればいいじゃない」
彼女の言葉はどちらにも偏らない。それはまるで、二人をなだめながらも話を進めるための巧みな誘導だった。ちはるはその対応に感心しながらも、綺羅羅の真意が見えないことに少し不安を覚えた。
「慎重にって、どうするんだ?」
杉太が不満げに問うと、綺羅羅は涼しい顔で答える。
「まずは様子を見るのよ。そのために、誰かが一歩だけ前に出る。その人を全員で見守れば、リスクは分散されるわ」
「……自分がやるって言うんじゃないのか?」
千景が疑わしげに綺羅羅を見つめる。その視線を受けて、綺羅羅はかすかに笑った。
「さすがに怖いわ。私は見るのが得意だけど、動くのは得意じゃないの」
その正直な答えに、ちはるは思わず小さく笑いそうになった。
「じゃあ、俺が行くよ」
意外にも、口を開いたのは聖光だった。彼の声は静かだが、揺るぎない決意を感じさせた。
「お前が?」
千景は少し驚いた表情を見せる。
聖光はその反応に気づいている様子もなく、静かに前に出る。彼の姿が霧の中でぼんやりと揺れる灯火と重なる。ちはるは彼の後ろ姿を見ながら、胸の奥が不安で締め付けられるような感覚に襲われていた。
「……聖光、大丈夫かな?」
小さく呟くように言うと、杉太が横で肩をすくめる。
「アイツはしっかりしてるよ。見た目は無口だけど、やるときはやるやつだ」
その言葉を信じたいと思いつつも、ちはるの不安は消えないままだった。
霧の中、揺れる灯に向かって一人進む聖光。その背中を見守る仲間たち――それぞれの思惑が交錯する中、霧の向こうに隠された真実が少しずつ姿を現し始める。