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第2章: 静寂の霧

霧の濃度が増してきたのか、足元の影がほとんど見えなくなってきた。ちはるは一歩進むごとに、微かに沈むような感覚を覚える土の感触を確認しながら歩いていた。どこからか湿った草の匂いが漂い、風が止まった空間は、まるで時間が凍りついたような静寂に支配されていた。

「おい、遅れるな」

少し先を歩く千景の声が、重く曇った空気の中に響く。彼は振り返りもせず、どこか苛立ちを帯びた口調でちはるに指示を飛ばした。

「わかってるけど、足元が見えないのよ」

ちはるが少し不機嫌そうに応じると、千景は一度立ち止まり、彼女を待った。その姿に優しさはなく、むしろ苛立ちがありありと見て取れた。

「前に進まなければ、何もわからないだろう。立ち止まるのは無駄だ」

冷たい言葉が返ってくる。ちはるは内心ため息をつきながらも、それ以上反論する気力が湧かなかった。彼が正しいことを言っているのは理解している。それでも、この霧の中で無理に進むことへの不安が消えない。

「それにしても、随分と静かね」

ちはるがぼそりと呟くと、千景は再び歩き出しながら短く返事をした。

「静かだからこそ、聞き逃すな。何かが近づいてくる音を」

その瞬間、後ろから誰かの声が飛んできた。

「そんなにピリピリしてたら疲れるだろう? ほら、もっと肩の力を抜けよ」

軽快な声で追いついてきたのは杉太だった。彼の手には、小型のランタンが揺れている。その揺らめく光が霧の中で円を描き、不安定な道をほんの少し照らし出していた。

「誰が疲れてるって?」

千景が眉間に皺を寄せて睨むと、杉太は肩をすくめるだけだった。

「いやいや、何でもないさ。俺が言いたいのは、こういう時こそ冗談でも言って場を和ませないと、すぐに息が詰まっちまうってことだよ」

その言葉に、ちはるが思わず口元を緩めた。杉太の気軽な態度には救われるものがある。だが、千景は呆れたように頭を振る。

「くだらない。そんな気晴らしに時間を割くほど、状況は甘くない」

「そうか? 甘くないなら、なおさらだろう」

杉太は真面目な顔をしながらも、どこか挑発的に笑ってみせた。そのやり取りを見ていたちはるが口を開く。

「杉太の言うことも一理あると思うわ。気を抜くことは悪いことじゃない。逆に、ずっと緊張しっぱなしの方が危険よ」

それを聞いて、千景はしばらく黙った後、深く息をついた。

「……まあいい。好きにすればいいさ。ただし、足を引っ張るな」

ちはるは苦笑しながらも、それ以上は何も言わなかった。霧の中での歩みを再開する3人の姿は、揺れるランタンの光の中にぼんやりと浮かび上がっている。

ふと、綺羅羅の声が背後から響いた。

「もう、あなたたちだけで先に行かないでくれる?」

彼女は大げさに肩をすくめながら、優雅な足取りで追いついてきた。その背中には聖光が静かに寄り添うように歩いている。彼は無口だが、周囲の空気を読むのに長けている。そのせいか、どこか冷静で落ち着いた雰囲気を纏っていた。

「霧の先に何があるか、少し気になるのよね。たとえば、もっと美しいものが待っているとか?」

綺羅羅が何気なく口にしたその言葉に、ちはるは首を傾げた。

「美しいもの?」

「ええ。こんな不気味な場所だって、何かしらの意味があるはずでしょ? 見つける価値があるものかもしれないわ」

千景は鼻で笑った。

「無駄な期待はするな。現実にあるのは、ただの湿った地面と濃い霧だけだ」

その言葉に、綺羅羅は笑いを含んだ視線を返す。

「そんな現実ばかり見ている人には、きっと本当の宝物は見つけられないわね」

聖光がそのやり取りを黙って聞いていたが、ついに一言口を挟んだ。

「見つけるべきものは、霧の中に隠れている。それがどんなものかは、俺たち次第だろう」

短い言葉だったが、場の空気をピンと張り詰めさせた。その静けさの中で、ちはるは遠くに灯りが揺れるのを見つけた。

「……あれ、見える?」

誰かが息を呑む音が聞こえた。灯りが霧の向こうでわずかに動いている。その灯りの意味を考えるより先に、ちはるの胸には強い直感が走った。それは、恐怖と好奇心が混じり合ったものであり、何かが始まる予感だった。


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