霧が薄く広がる大気の中、アワー・バザールは賑やかに始まりを告げていた。市場の喧騒は耳に馴染むものではなく、むしろ異質だった。軽やかな笛の音色に混じり、遠くで軋む鉄製の台車の音、互いに売り物を競り合う声が響き渡る。それは、復興を目指す者たちが集う、月に一度の命の交差点だった。
千景は眉をひそめながら市場の中を歩いていた。周囲の雑然とした風景が、彼の几帳面な性格に触れるたびに小さな苛立ちを呼び起こす。古びた布の下に並ぶ錆びついた機械部品、無造作に積まれた小さな宝石の欠片。それらが無秩序に放置されている様子が彼には許せなかった。
「こんなものが役に立つとは思えない」
彼は独りごちると、隣に立つちはるにちらりと目を向けた。
ちはるは特に気にする様子もなく、小さな箱の中に並んだ石を指で転がしている。その目は好奇心の光を帯びていたが、どこか遠くを見るような、悲しげな色が混じっている。
「興味があるなら、さっさと選べよ。無駄な時間をかけるな」
千景の言葉には、少しばかりの刺が含まれていた。
「無駄かどうかなんて、わからないじゃない」
ちはるは軽くため息をつきながら答えた。その声は静かだが、芯のある響きがあった。彼女は指先で石を撫でた後、一つのエメラルドの欠片を手に取った。
「これ、何だと思う?」
彼女が問いかけると、千景はその緑の光にちらりと目を向ける。
「ただの石だろ。売り物にしても、せいぜい飾りにしかならない」
彼の声は無愛想だったが、ちはるはそれを無視して石をポケットに滑り込ませた。
「たったこれだけの欠片でも、何かに繋がってるかもしれないでしょ。そういうのが面白いんじゃない?」
千景は答えず、そっぽを向いた。ちはるの好奇心旺盛な態度が、彼には理解できなかった。彼にとって重要なのは、目の前の状況を効率的に解決することだけだったのだ。
そんなやり取りをしている間にも、周囲はさらに賑わいを増していた。異国風の布を纏った放下師がゆっくりと歩きながら、奇妙な呪文めいた言葉を口にしている。その傍らで、綺羅羅が軽やかに足を運び、放下師に何か囁いていた。
「綺羅羅、何をしてるんだ?」
千景が声をかけると、綺羅羅は振り返りながら小さく笑った。
「ここにはね、秘密がいっぱい詰まってるのよ。君ももっと目を凝らしてみたら?」
彼女の声は落ち着いていながら、挑発的な響きを含んでいた。
ちはるは興味深げにその様子を眺めたが、千景は再び眉を寄せた。「意味のない駆け引きはやめろ。時間の無駄だ」
「何に意味があって、何に意味がないかなんて、決めるのは私たちじゃないでしょ」
綺羅羅の返事に、千景は口を閉ざした。
ちはるはふと周囲を見渡した。喧騒の中に紛れる霧の流れが、まるでこの市場全体を包み込んでいるようだった。遠くの灯が揺れ、空気の振動が微かに響く。その中で、彼女はぼんやりとした静寂を感じた。
「この霧の中で、私たち何を探してるんだろうね」
ちはるの呟きに、千景は振り返った。
「探してるのは、生き残るための手がかりだ。それ以上でも以下でもない」
冷たく響くその言葉に、ちはるは小さく頷いた。しかしその胸の中には、霧に包まれた何かが潜んでいるような感覚があった。それは言葉にならない不安と好奇心の入り混じったものだった。