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光ある楽園(3)

 本心を言えば、生きていたい。

 けれどそれが叶わないのならば、せめてこの命が意味のあるものであったと、誰かが覚えていてくれればそれで十分。

 そう、伝えたいのに……声がでない。


 虚ろな瞳がゆっくりと、命の終りと一緒に閉じる。

 その瞳から、一筋涙が零れ落ちた。


「グラディス……ばかっ」


 まだ温もりが僅かに残る体を抱き締めるロッシュの体は、悲しみや怒りや後悔に震えている。

 その耳に遠くから、硬い床を歩み寄る足音を聞いた。


『人が神の出した試練を乗り越えたか。誇るがいいぞ、人の王よ。お前は十分に強き王だ』


 高慢な声はあいも変わらずロッシュの神経を逆撫でした。

 最初に出会ったあの丘よりもずっと、深く静かな怒りを感じる。

 冷静に研ぎ澄まされる思考と瞳が、主神ベルーンを睨み付けた。


「願いを、叶えろ」

『そのつもりだ。言え王よ。お前の願い、このベルーンが叶えよう』

「こいつを……グラディスを生き返らせろ」


 その言葉は、ベルーンにとって予想外なものだった。

 楽園の再興は人の願い。

 そしてロッシュの願いは育ての兄であるファウスの生だったはず。

 今見てもそれは変わらない。


 なのに、なぜ。


『面白い事を言う。その男は贄だ。人の罪を背負い、その罪を贖うが為の贄だ。それを、生き返らせろと言うのか』

「そうだ」

『何故』


 誰の願いなのか。

 あえて言うならば、それはグラディスの願いだろう。

 それをなぜ、ロッシュが叶えるのか。

 正直ベルーンには理解しがたいものだった。


『この男の天命は尽きた。運命は正しくこの男を導いた。それでもなお、生きろと望むか』

「くどいぞ」


 ロッシュは何度も同じ事を繰り返すつもりはなかった。

 最後にファウスがロッシュの前に現れたその時に決めた。

 短い間でも傍にいた、同じ志を持った仲間の為にと。

 こんな最後も、どこかで予感していた。

 そしてその時は、何よりもグラディスを助けようと。


「何も加えず、何も奪わず、こいつを生き返らせろ。こいつの人生はこれからだ」

『……まぁ、よかろう。お前がそう望むのならば。神は言葉を違えない。お前の望み、叶えよう』


 天より一条の光がグラディスの体に降り立つ。

 その体へと、一際輝く光が降りてくる。

 それはスッと体に溶けていった。

 貫かれた傷は綺麗に塞がり、血色が戻っていく。

 僅かに上下する胸元を見て、ロッシュは安堵した。


 ベルーンが消えて、辺りは静かになった。

 王の間の氷は女王の消滅と同時に存在していなかったように消えていった。

 その静かな世界で、グラディスは夢から覚めたように瞳を開けた。


「グラディス」


 声がはっきりと聞こえる。

 動く体、自分の体温や心音を感じる事ができる。

 痛みはない。

 それがどういうことなのか、一瞬は分からなかった。

 けれど、あの世との境目で何か聞いた気がした。

 低い男の声で、「よい仲間を持った」と。


「なぜ。ロッシュ、どうして私なんかを」


 その問いかけに、ロッシュは顔を背ける。

 顔を真っ赤にして、恥ずかしいのをごまかすように一つ咳払い。

 そしてできる限り笑みを浮かべ、気持ちを言葉に乗せた。


「お前はこれからだろ。やっと自由になったんだぞ? これからはもっと楽しい事が待ってるんだ。こんなところで死ぬのは勿体ないだろ」


 生きたいと願った。

 でもその願いの先の道を見つけることはできなかった。

 突然開いた道はどこまでも広くて多いのだと、グラディスは今はじめて知ったように思う。


 戸惑いが続くグラディスの思考は、突然開け放たれた扉によって遮られた。

 飛び込むようにしてかけてきた二つの影。

 うち、小さな少年は大きな緑色の瞳をキラキラさせて、声の限りに叫んだ。


「外! 外見てみろよ! すっごいんだぜ!」


 興奮したように言うラクシュリ。

 後ろから近づいてきたジュリアもその気持ちは同じのようだ。


 グラディスは立ち上がる。

 そして右の足を痛めているロッシュに手を差し伸べる。

 出された手に素直に捉まり立ち上がったロッシュを担ぎ、ゆっくりと移動してゆく。

 王の間を出て上階へ。

 ラクシュリの案内に従って、四人は広いテラスへと出た。


「わ……ぁ……」


 声がなかった。

 一面の銀世界は姿を消し、厚く低い雲はゆっくりと切れて太陽の光を地上へと届けてくれている。

 季節が一気に巡ったように花が咲き、緑が茂り、眠っていた虫や生き物が目を覚ます。

 それは長すぎる冬を越えた春の訪れだった。


「呪いが解けたのでしょう。女王が死に、時間が正常に戻った。ここからの世界は、貴方が築いてゆくんですよ」


 静かな声がロッシュへと告げる。

 広がる豊かな大地を見下ろしながら、ロッシュは確かに頷いた。

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