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光ある楽園(2)

 動かなくなっていく体をどうにか動かし、グラディスは首に回る女王の腕に手をかける。

 吐息が白い。

 それでも、その唇には笑みが浮かんでいた。


「ソフィア……私達は同時に生を受けた身。死ぬときもまた、同じなのですよ」

「あら、私はそこまで付き合いがいいわけではないわ。貴方は先に逝くのよ。そして天上から見ているがいいわ。この世界が、白銀に覆われるのを」

「いいえ、一緒です。それが、残酷な神の与えた運命なのですから」


 女王の腕を握る手に力をこめる。ありったけの力を。

 そして、はっきり確かに、一字一句間違えないように、グラディスは呪文を唱えた。


『触れる体、同調する魂よ、我が意思に従え。拘束する鎖絡み、縛り、指の先一つ動かす事を禁ずる』


 急に体が動かなくなる。

 女王は急いで体を離そうとしたが時既に遅し。

 言葉の通り指の一つすらも動かせない。

 女王の知らない呪文が、その身を縛り付けている。


「何をしようというの! グラディス、私を縛ろうというの!」

『施行して後、我が許しあるまでこの身は動かぬものとなる ―― ソール・リステクション』


 自分と相手の動き一切を封じる魔法。

 相手と言っても条件を満たす相手にしか使えない。

 波長を同調できる、自分に近い相手の体に触れた状態でなければ施行できない、ある意味どうしてこんなものが作られたのかと思うような魔法だ。

 だが、意味はあった。

 うろ覚えだった呪文が、今の全てだ。


 だが、これには難点もある。

 自分と相手の魔力が同等である場合は気力の勝負。

 もしも相手が自分の魔力を超えているのならば、ほんの短時間しか効力が続かない。

 女王とグラディスの能力は互角。

 気力なら、女王の方がよほど強い。


「こんなこと、何の役に立つというのかしら? 動きを封じたところで貴方に勝ち目などないわ」


 女王の指先が、ほんの僅かに動くような気がする。

 それを気力で押さえつけたグラディスは、ロッシュに視線を向けた。


「ロッシュ!」


 必死の声がロッシュにも伝わる。

 視線を向けたロッシュは、何を迫られているのかを知った。


 だからこそ、躊躇った。

 自由に動く体ではない。

 グラディスが何を言い、何を望んでいるのかは分かる。

 だから、聖剣を握る手が震えてしまう。


「この機会を逃せば、もう勝機はないんです! 貴方は貴方のすべき事をしてください!」


 縛れなくなっている。

 気力が弱っている状態で長く拘束はできない。

 数分、もたせるので必死なのだ。

 額に嫌な汗が浮かぶ。

 グラディスは睨みつけるようにロッシュを見る。


 そして願った。

 こんな悲劇を、早く終りにしてくれと。


「もうこれ以上、私や彼女を苦しめないでください。ロッシュ!」


 グラディスの懇願に、ロッシュは震える手に手を重ね、よろよろと立ち上がった。

 傷ついた右足を引きずるようにして近づいてゆく。

 それを見た女王は狼狽を隠せなかった。


「仲間を殺そうというの? 分かっているの坊や、その選択はグラディスを殺す事になるのよ」


 諭すように言葉にする。

 同時にこの緊縛から逃れようと暴れた。

 だが拘束の力はよりしっかりと、女王の動きを捉えて離そうとはしない。


 近づいて、しっかりと聖剣を固定して、ロッシュは顔も上げずに気力を振り絞り一直線に走り出す。

 自分の事ではないはずなのに、短い間の走馬灯が見えるように思えた。

 グラディス達と出会ってからの事細かな会話、自然な笑み。

 涙が溢れそうになって、歯を食いしばる。

 そして、何も考えずただ無心でロッシュは突進した。


 聖剣は、二人の胸を貫く。

 水晶を鍛えたような透明な刀身は二人の体を貫いた時に赤と金に染まり、光を放った。

 剣を握るロッシュの手に、真っ赤な血が伝い落ちてくる。

 それは人の温もりと同じく、とても熱いものだった。


 見上げたロッシュは、苦痛に眉根を寄せるグラディスを見て思わず剣を抜こうと引いた。

 だが、ロッシュの手に手をかけたグラディスが、それをさせようとはしなかった。

 首を横に振り、薄く柔らかな笑みを浮かべてみせた。


「こんな、事……。嫌よ、どうして私が滅びなければいけないのよ!」


 金色の文字が光を放つと、女王の体は徐々に塵のように崩れてゆく。

 美しい顔もひび割れ始め、頭を抱えて嫌々を繰り返す。

 その姿は見苦しいが、どこか哀れにも感じられた。


「嫌、嫌よこんなの。私は死にたくなんてない! 嫌ぁ!」


 氷が砕け散るように細かな粒がキラキラと、光に反射して散っていく。

 その粒子の一つ一つが命であった。

 過ちが生んだ、悲しい女性の一つの命だった。


 舞い散るように美しい光の乱舞に気を取られたロッシュの腕に、ずっしりと重みが加わる。

 膝から崩れるように倒れたグラディスを支えたロッシュが必死に名を呼ぶが、その声に答える声はない。

 口の端からは血が流れ、息も絶え絶えだった。


「グラディス! おい、しっかりしろ!」


 剣を抜き、グラディスの体を仰向けにしたロッシュは名を呼ぶ。

 だがそれに、グラディスが答えることはない。

 虚ろな瞳は天を見上げている。

 それでもどこか穏やかな表情を浮かべていた。


「おい、死ぬなよ。お前は生きるんだよ。やっと……やっと自由になったんだぞ! もう運命も、責任も、全部なくなったんだぞ!」


 声が遠くに聞こえていた。

 グラディスはどうにかそちらを見ようとするが、体は動かない。

 まるで鉛のようで、指先一つ動かす事ができない。


 唯一自由になる目を、そちらに向けてみた。

 だが視界には靄がかかり、見たいのに見ることができない。

 声を出そうにも喉の奥に何かが詰まっていて、ゴポゴポと泡立つような音しか出てこない。

 耳だけがまだ、僅かに聞こえていた。


 伝えたかった、これで十分だと。

 どうしようもなくて、これしか選べなかったけれど、これでよかったのだと。

 初めて出来た仲間、友をこれで守ることができたのだ、思い残す事はないと。


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