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炎帝の降臨(3)

 短剣は一切のブレもなく、真っ直ぐにジーナへと向かっていく。

 触手も全て、触れることができないまま弾き飛んでゆく。

 矢のように飛んでゆく短剣は、まるでそこを鞘と定めたかのようにジーナの胸に深々と刺さった。


『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』


 人とも獣ともつかない甲高い断末魔と共に、触手は塵になって消えてゆく。

 椅子に座ったままのジーナは胸から赤い血を流し、ズルリと床に転げ落ちた。


「王妃様!」


 駆け寄ってジュリアが助け起こす。仰向けにしたジーナの瞳は、ほんの一瞬意識を取り戻したように柔らかく笑った。


「これで夫と、子の元へ……」


 微かな唇の動きと、それが発する僅かな音が二人の耳に確かに届いた。

 事切れたジーナの顔は、とても安らかな笑みを浮かべている。


 ジーナの体から短剣を引き抜いたラクシュリは、傍にあったシーツを彼女の上にかけた。

 胸の上で手を組ませ、流れ落ちた血も綺麗に拭いて、そしてしっかりと手を合わせる。

 その心に誓った。

 もうこんな悲劇は、終わらせなければならない。


 そのためには。


 ジーナが抱えていた石像を、ラクシュリは手元へと引き寄せる。

 とても重たい石像だし、なにやら様子が違う。

 物のはずなのに生きているような気配がある。

 ラクシュリは言われた通り、それをラカントの短剣で貫き通した。


 宝玉が割れ、真っ赤な光が中から溢れ出してくる。

 目が痛くなるような光の中で、それは確かに両の翼を大きく広げた。


「ドラゴン!」


 真っ赤な体色のドラゴンは、その腹や腕に金の紋章まで入っている立派なものだった。

 金の瞳をしたドラゴンは一度、ラクシュリを見てその瞳を細める。

 それはいぶかしむというよりは、愛しいものでも愛でるように見えた。


 ドラゴンは天を見上げ、そして飛翔する。

 西の塔をすり抜けるように上空へと舞い上がったドラゴンは、主でも探すように見回し、迷わず中央の王の間へと向かっていった。


「後は、あいつら二人に任せるわ。私達は足手まといになるもの」

「怪我、したしな。やっぱわき腹、すげー痛い」


 ズリズリと壁を背にしてしゃがみこんだラクシュリは、ただ切に願う。

 どうか、二人が無事であるようにと。


◇◆◇


 何も聞こえない、感じない氷の中はグラディスを深い闇へと落としたようだった。

 本当にこのまま、何も感じることもなく延々の時間が過ぎていくのかと思われた。


 だが、何かが心の中に問いかけてくる。

 耳も聞こえない、目も見えない中で、その声だけは確かに深い部分から響いてきた。


『半身よ』


 その声は聞いたことのない声だった。

 けれど、確かに知っている。

 過去に捨ててしまった、恐れていた力。


 力の暴走、能力に振り回される事への恐れを抱き、受け入れられず封じてしまった力の全て。

 運命を植えつけられ、自分の意思とは反して動き出す周囲や心に戸惑い、逆らい、全てを捨てて自由になりたくて放棄したもの。

 でも結局は、放棄などできなかった。


 もう、恐れるものはない。

 全てを受け入れ、不本意だが運命というものに従う覚悟はしてきた。

 もうこれ以上、大切な者を失う事はできない。これ以上の悲劇を無視することもできない。

 それに、失えない仲間もできた。


『我が必要か、半身よ』


― こい。お前を受け入れよう。


◇◆◇


 グラディスを閉じ込めて、これ以上の脅威などない女王はすっかり油断していた。

 だが、こちらに得体の知れない巨大な力が向かってくるのを感じると、身を硬くして辺りを見回した。

 そして、それが向かってくる扉のほうを睨みつけ、先手必勝とばかりに呪文を唱え出した。


『凍れる吐息、命ある世界を銀に染め、温もり深き全てを氷像に沈めよ。しかして後、輝く風吹き抜けるそこに美しき命散らし、無となれ ―― フリージング・キル』


 扉が開くと同時に発動した魔法は、だがまったくの無意味だった。

 強い熱風が全ての氷を溶かし、跳ね返してゆく。

 顔を庇い後退る女王が見たものは、雄々しい一頭の赤いドラゴンだった。


 ドラゴンは辺りを見回し、氷柱の中にあるグラディスを見つける。

 長い首を下げ、その氷柱に触れれば氷柱は溶けてゆく。

 そして、解放されたグラディスの内へとスッと、消えるように溶けていった。


 グラディスの中で、沸き立つような感覚が目を覚ます。

 押さえきれない力の奔流。

 ゆっくりと立ち上がり、グラディスは女王を見据える。

 穏やかな紫の瞳は、燃えるような真紅に変わっていた。


「どこにそんな力を隠していたのかしら?」

「過去に封じた力の全てです。優しい貴方がいつしか復讐を願うようになって、私は力を恐れた。だからこそ封じたものでした。でも、今は必要なものです」


 呪文など要らないように思う。

 今このまま手を前に出し、「炎よ」と一つ願えばそれだけで炎は自在に出てくるだろうと。

 それほどまでに溢れる力。

 その全てを、目の前の肉親に向ける。


「終わらせましょう、ソフィア。私も貴方も、これ以上苦しむ必要はありません。私は、貴方を殺します」

「できるかしら、そんなこと? 私と貴方の力は五分五分。決着などつかないわ」


 その時、グラディスの背後で扉が開いた。

 それは、ウェインとの対決に決着をつけたロッシュだった。

 赤いドラゴンを追ってきたので室内を見回している。


 グラディスの顔に、薄い笑みが浮かぶ。

 ロッシュはグラディスを見て、一つ確かに頷いた。

 決戦の時は来たのだ。


「私には、全てを任せられる仲間がいます。貴方の負けです、ソフィア」


 グラディスの心は揺るがない。

 決戦の時、傍にある仲間の為に全てを投げ出す気持ちは、もうとっくの昔にできていた。

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