短剣は一切のブレもなく、真っ直ぐにジーナへと向かっていく。
触手も全て、触れることができないまま弾き飛んでゆく。
矢のように飛んでゆく短剣は、まるでそこを鞘と定めたかのようにジーナの胸に深々と刺さった。
『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
人とも獣ともつかない甲高い断末魔と共に、触手は塵になって消えてゆく。
椅子に座ったままのジーナは胸から赤い血を流し、ズルリと床に転げ落ちた。
「王妃様!」
駆け寄ってジュリアが助け起こす。仰向けにしたジーナの瞳は、ほんの一瞬意識を取り戻したように柔らかく笑った。
「これで夫と、子の元へ……」
微かな唇の動きと、それが発する僅かな音が二人の耳に確かに届いた。
事切れたジーナの顔は、とても安らかな笑みを浮かべている。
ジーナの体から短剣を引き抜いたラクシュリは、傍にあったシーツを彼女の上にかけた。
胸の上で手を組ませ、流れ落ちた血も綺麗に拭いて、そしてしっかりと手を合わせる。
その心に誓った。
もうこんな悲劇は、終わらせなければならない。
そのためには。
ジーナが抱えていた石像を、ラクシュリは手元へと引き寄せる。
とても重たい石像だし、なにやら様子が違う。
物のはずなのに生きているような気配がある。
ラクシュリは言われた通り、それをラカントの短剣で貫き通した。
宝玉が割れ、真っ赤な光が中から溢れ出してくる。
目が痛くなるような光の中で、それは確かに両の翼を大きく広げた。
「ドラゴン!」
真っ赤な体色のドラゴンは、その腹や腕に金の紋章まで入っている立派なものだった。
金の瞳をしたドラゴンは一度、ラクシュリを見てその瞳を細める。
それはいぶかしむというよりは、愛しいものでも愛でるように見えた。
ドラゴンは天を見上げ、そして飛翔する。
西の塔をすり抜けるように上空へと舞い上がったドラゴンは、主でも探すように見回し、迷わず中央の王の間へと向かっていった。
「後は、あいつら二人に任せるわ。私達は足手まといになるもの」
「怪我、したしな。やっぱわき腹、すげー痛い」
ズリズリと壁を背にしてしゃがみこんだラクシュリは、ただ切に願う。
どうか、二人が無事であるようにと。
◇◆◇
何も聞こえない、感じない氷の中はグラディスを深い闇へと落としたようだった。
本当にこのまま、何も感じることもなく延々の時間が過ぎていくのかと思われた。
だが、何かが心の中に問いかけてくる。
耳も聞こえない、目も見えない中で、その声だけは確かに深い部分から響いてきた。
『半身よ』
その声は聞いたことのない声だった。
けれど、確かに知っている。
過去に捨ててしまった、恐れていた力。
力の暴走、能力に振り回される事への恐れを抱き、受け入れられず封じてしまった力の全て。
運命を植えつけられ、自分の意思とは反して動き出す周囲や心に戸惑い、逆らい、全てを捨てて自由になりたくて放棄したもの。
でも結局は、放棄などできなかった。
もう、恐れるものはない。
全てを受け入れ、不本意だが運命というものに従う覚悟はしてきた。
もうこれ以上、大切な者を失う事はできない。これ以上の悲劇を無視することもできない。
それに、失えない仲間もできた。
『我が必要か、半身よ』
― こい。お前を受け入れよう。
◇◆◇
グラディスを閉じ込めて、これ以上の脅威などない女王はすっかり油断していた。
だが、こちらに得体の知れない巨大な力が向かってくるのを感じると、身を硬くして辺りを見回した。
そして、それが向かってくる扉のほうを睨みつけ、先手必勝とばかりに呪文を唱え出した。
『凍れる吐息、命ある世界を銀に染め、温もり深き全てを氷像に沈めよ。しかして後、輝く風吹き抜けるそこに美しき命散らし、無となれ ―― フリージング・キル』
扉が開くと同時に発動した魔法は、だがまったくの無意味だった。
強い熱風が全ての氷を溶かし、跳ね返してゆく。
顔を庇い後退る女王が見たものは、雄々しい一頭の赤いドラゴンだった。
ドラゴンは辺りを見回し、氷柱の中にあるグラディスを見つける。
長い首を下げ、その氷柱に触れれば氷柱は溶けてゆく。
そして、解放されたグラディスの内へとスッと、消えるように溶けていった。
グラディスの中で、沸き立つような感覚が目を覚ます。
押さえきれない力の奔流。
ゆっくりと立ち上がり、グラディスは女王を見据える。
穏やかな紫の瞳は、燃えるような真紅に変わっていた。
「どこにそんな力を隠していたのかしら?」
「過去に封じた力の全てです。優しい貴方がいつしか復讐を願うようになって、私は力を恐れた。だからこそ封じたものでした。でも、今は必要なものです」
呪文など要らないように思う。
今このまま手を前に出し、「炎よ」と一つ願えばそれだけで炎は自在に出てくるだろうと。
それほどまでに溢れる力。
その全てを、目の前の肉親に向ける。
「終わらせましょう、ソフィア。私も貴方も、これ以上苦しむ必要はありません。私は、貴方を殺します」
「できるかしら、そんなこと? 私と貴方の力は五分五分。決着などつかないわ」
その時、グラディスの背後で扉が開いた。
それは、ウェインとの対決に決着をつけたロッシュだった。
赤いドラゴンを追ってきたので室内を見回している。
グラディスの顔に、薄い笑みが浮かぶ。
ロッシュはグラディスを見て、一つ確かに頷いた。
決戦の時は来たのだ。
「私には、全てを任せられる仲間がいます。貴方の負けです、ソフィア」
グラディスの心は揺るがない。
決戦の時、傍にある仲間の為に全てを投げ出す気持ちは、もうとっくの昔にできていた。