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炎帝の降臨(2)

 西の塔は人気もなく、冷たい空気だけが支配している。

 高い螺旋階段を登るラクシュリは、その景色を複雑な思いで登っていた。


「グラディスの奴、こんなとこにずっと閉じ込められてたのかよ」


 グラディスはこの塔の最上階に幽閉されていた。

 自由もなく、一人でこんな場所にいたのかと思うとなんだか憤りを感じてしまう。


「怯えてたのさ、それだけ。女王を倒せるラカントだって、滅びの象徴には変わりない。その存在が恐ろしくて、捕らえておいたのさ」

「勝手だよな、本当に」

「まったくね。それだけ人間は弱いのよ」


 ジュリアの言葉に、ラクシュリは虫唾が走る思いがする。

 そして思う。

 もしもこんなことをしなければ、二人はもう少し普通に生きてこれたんじゃないかと。

 周りの人間が彼ら二人を慈しんで育てて、大切にしていたならば、ここまでの結末にはならなかったのではないかと。


 塔を登り、最上階へと到達する。

 階段を登りきると部屋が二つ。

 一つは扉のない小さな部屋で、当直部屋のようだった。

 そしてもう一方は、鉄格子のはまった鉄製の扉だった。

 今はそこに鍵はかかっていない。

 引き開けると、そこには予想外に女性が一人いた。


 長い銀の髪を結った、とても美しい女性だった。

 だが、その青い瞳には何も映っていないように見える。

 虚ろで、何かを小さな声でつぶやいている。


「王妃様!」

「え?」


 ジュリアの驚いたような声にラクシュリも問い返す。

 目の前の女性をもう一度見て、ジュリアを見直す。

 その瞳に気付いて、ジュリアは口を開いた。


「カーマン太子の奥方で、ジーナ様よ。婚礼のパレードで見たわ。とても綺麗で聡明な人だったのよ。まさか、生きているとは思わなかったけれど」


 生きている。その言葉には疑問が残る。

 少なくとも今見る彼女は生きているとは到底言えないものだった。

 虚ろな瞳、死んだような表情。息をして心臓が動いているというだけで、その心はとうの昔に死んでいる。


「! 見ろ、彼女の膝の上!」


 ラクシュリの声にジュリアもそちらを見る。

 ジーナの膝の上には確かに目的のものが抱えられていた。

 赤い瞳、手には真っ赤な宝玉を持ったドラゴンの石像だ。


「なぁ、あんた。その石像を俺に」


 言いながら近づいたラクシュリ。

 だが、彼女の半径一メートルくらいに入ったその時だ。

 彼女の座る椅子のその真後ろから、なんとも気色の悪い触手の群れがラクシュリの腹を薙ぎ払い、部屋中に蠢き出したのだ。


「ラクシュリ!」


 触手の群れが一斉にラクシュリ目指して攻撃を仕掛けてくる。

 ジュリアは走り寄り、その触手の束を一気に切り裂いた。

 不気味な紫色の粘液が切り口からダラリと垂れる。

 そのまま落ちた触手は枯れたように萎むが、根元に繋がっているものは再生し、また変わりなく二人を襲ってくる。


「きりがないな。ラクシュリ、大丈夫か」


 背後に庇っているラクシュリを気にかけながら、ジュリアは触手を切っていく。

 細かく切断された触手は、だがまったく弱る様子がない。


「ちょっと……響いたけど大丈夫。それより、こいつなんとかなんないのかよ」


 強く打った背中や、薙ぎ払われた腹を摩りつつよろよろとラクシュリは立ち上がる。

 手にはラカントの短剣を握り、前を見据えたラクシュリは不意に、誰かの囁くような声を聞いたように感じて辺りをキョロキョロと見回した。


「ラクシュリ、何してるの!」

「なんか、声が」


 そんなはずはない。

 声はそよ風のようなもので、気のせいだったのだろう。

 何よりここにはラクシュリとジュリアしかいない。


「大元を断たないときりがない。アタシが援護するから、あんたはこの化け物の根っこを絶って」

「根っこってどこだよ」


 なんせ視界がはっきりとしないほど、部屋中が長い気持ちの悪い触手で埋まっているのだ。

 根っこなんて見えるはずがない。

 ラクシュリがどれだけ目を凝らしても、その先なんて見えない。


『……て』

「え?」


 また、そよ風のような声が聞こえる。

 消えてしまいそうな微かな声。

 しかも今度は、何かメッセージを伝えようとしているように聞こえた。

 立ち止まり、剣を振るう事も忘れてラクシュリはその声を追う。

 耳をすませば、聞こえてくるようだ。


『助……て。もう、終りに……』

「なんなんだよ、さっきから。何が言いたいんだよ!」

「さっきから何独り言いってるんだ。さっさとやるよ!」


 ジュリアの言葉に正気に戻ったラクシュリは、オドオドと頷きジュリアの後に続く。

 ジュリアは襲いくる触手を全て切り刻んでゆく。ラクシュリは援護しつつ、背後からの触手を切り刻んでゆく。

 そうすると、触手がいったいどこから伸びているのかが見えてきた。

 見えてきて、そして呆気にとられた。


「ジュリア、根元って!」

「王妃様……」


 近づいた王妃ジーナのその背中から、触手は生えている。

 美しい白魚のような肌は醜く血管が浮き上がり、まるで別の生き物のようにバラバラに蠢いている。

 それはもう、触手と一体となっているのと同じに見えた。

 その表情も悲痛で、嘆き悲しみ苦痛に歪んでいるようだった。


『助けて……。誰か……』


 ラクシュリの耳にまた、今度はもっとはっきりと聞こえる。

 今なら分かる。

 この声は、王妃ジーナのものであると。


 生きているのだ、彼女は。

 口も利けないのかもしれない、耳も聞こえてはいないのかもしれない、もしかしたら目だって。

 そんな人形のような状態で、彼女は無理矢理に生かされているのだろうか。


「酷いこと、するよな」


 剣を握るラクシュリの手が、怒りにブルブルと震える。

 こんな拷問を強いた奴が憎かった。

 あんまりな仕打ちだ。

 死ぬことも許されず、生きたまま化け物になるなんて。


「今、助けてやるから」


 襲いくる触手を切り刻むジュリアの背後で、ラクシュリはしっかりと狙いを定めた。

 やれるのだと、ラカントの短剣は語りかけるようにポォと仄明るい光を放っている。

 ラクシュリの目は確かにジーナを見ていた。

 そして、ありったけの力で短剣をジーナに向けて投げた。

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