『紫暗の瞳真紅に染まり、炎帝ここに降臨せし。銀に輝く凍土を溶かす、太陽とならん』
(楽園の伝承より)
ロッシュがウェインと対峙しているその頃、グラディスは王の間に立っていた。
王の間は壮麗なものだった。
美しい神殿のようであり、壁には彫刻も施され、頭上にはシャンデリアが王冠のように輝く。
だが、今ではすっかり凍りつき、氷像のようになってしまっている。
この身を刺すような寒さの中で、彼女は笑みを浮かべていた。
長い金髪を漂わせ、青い氷の瞳を向ける。
その顔に艶やかな笑みを刻んだ彼女は、ゆっくりとグラディスを迎えた。
「こういう日が来ないことを、願っていたのだけれど」
「避けられない事でしょう。私と貴方は対であり、殺しあうが定め。どれだけ避けようとも、逃げようとも、できはしないのです」
「そうかも、しれないわね」
互いにこうして顔を合わせ、言葉を交わした機会など数えるほど。
生まれてすぐに東西の塔へと幽閉され、一度だって顔を見ていなかった。
それでも、心は繋がっているもの。
顔を知らずとも二人は幼い頃から互いを知っていた。
負った定め、そして魂の根源。
会えばどのような結末が待っているかなど知っていた。
知っていて、足掻いた。
「貴方には、綺麗なままで死んでもらいたかったのよ、私。できれば、私が直接手にかけないように。だからこんな回りくどい呪もかけたのに」
「この呪が、私を生へとしがみつかせたのでしょうね。生きている事に何の未来も見出せなかったけれど、死を間近に感じて怖かった。貴方が私を殺したかったのならば、王族と一緒に葬るべきだったのです」
「そう。何が仇になるか分からないものね。私は貴方に、限りある命を有意義に過ごしてもらいたかった。姉としての最初で最後の優しさのつもりだったのよ」
「本当に、何が仇になるか分からないものです」
グラディスは溜息をつき、過去の己を悔いる。
ここからしばらくは、なんとしてでも生きて耐えねばならなかった。
「仕方がないわね、過去を悔いても。こうなってはもう何をしても無駄な事。さぁ、互いの願いをかけて、死合いましょうか」
女王の艶やかな笑みがより毒を増す。
大気の流れが変わっていく。
より冷たく凍っていく。
この氷に捕まれば逃れる術などない。
『氷塊の楔、大気凍り包まれる銀世界に温もりある生命は閉ざされる。絶対零度の風よ、全てを閉じよ ―― フリージング!』
『太陽より落ちるは断罪の槍。赤き光り炎獄の如く全てを焼き尽くさん。しかして後、全ては無へと返らん ―― エクスプロード!』
炎と氷がぶつかり合う。
一気に凍りつく大気を裂くように、天から赤い光りが落ちて爆風と炎を生み出す。
両者譲らないものの、グラディスには余裕がなかった。
少しでも気をぬけば女王の魔法に勝てない。
効力が切れるまで、一切の余所見もできない。
だが、女王はまだまだ余裕だった。
動きずらいドレスなど無視し、軽い感じでグラディスの背後まで迫る。
その手には氷で作られた剣があり、グラディスの息の根を止めようと狙う。
気付いたグラディスはそれを飛びのいて避けたが、力の差は歴然だった。
「抗うだけ無駄よ、グラディス。貴方は私に勝てないわ」
「それは、やらなければ分からないことです」
指を組み印を結ぶと、床には魔方陣が描かれる。
赤々と燃える陣は強い力を意味していた。
だがそれは、同時にグラディスに大変な無理をかけることでもある。
本来持つ魔力の十分の一くらいしか使えない現在では、大きな魔法は体の負担にもなるのだ。
『浮かぶ円陣に刻まれし世界より、来たれ異界の住人よ。その力をもって速やかに、我敵を打ち払わん。赤き瞳、猛き咆哮をあげ、眼前の敵全てを焼き払わん ―― ドラゴン・フレイ』
陣から真っ赤な体色のドラゴンが首をもたげる。その口を開き、人の頭ほどある真っ赤な火球がその口の中に出来上がっていく。
ただの火球ではない。魔力や炎を凝縮したものだ。
だが女王は、それをまったく相手になどしていなかった。
むしろ「その程度か」といわんばかりに笑い、無防備にしてみせる。
「終りです」
グラディスの声と共に火球は女王めがけて放たれた。
迫りくる火球。
だが、女王はそれが当たるより前に右の手の平で、その火球の動きを完全に止めてしまった。
みるみるうちに凍りついた火球は、やがてその力を失ってゴトリと落ちて砕け散る。
それを目の当たりにしたグラディスは、がっくりと膝を落とした。
動く力がない。力が底をつきそうだ。
少なくとも今すぐに動けと言われれば、それは辛い。
ひやりとした手が背後から、グラディスを捕まえるのにも抵抗できない。
そのままゆっくりと、足元から氷が這い上がってくる。
「綺麗なまま、ずっと傍に置いてあげるわ、可愛い弟。この氷柱の中で、貴方の仲間も全て死に、この世界が氷に閉ざされるのを見ているのね」
ピシッパシンと氷が体を這って登ってくる。
抗おうにも動く事ができない。
少しでも遅らせようと首を反らすが、それでもそのまま凍ってゆく。
グラディスの世界は遠くなり、瞳は見えなくなっていく。
全ての感覚が消えていく中、グラディスは切に願った。
どうか、間に合ってくれと。