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炎帝の降臨(1)

『紫暗の瞳真紅に染まり、炎帝ここに降臨せし。銀に輝く凍土を溶かす、太陽とならん』

(楽園の伝承より) 



 ロッシュがウェインと対峙しているその頃、グラディスは王の間に立っていた。


 王の間は壮麗なものだった。

 美しい神殿のようであり、壁には彫刻も施され、頭上にはシャンデリアが王冠のように輝く。

 だが、今ではすっかり凍りつき、氷像のようになってしまっている。


 この身を刺すような寒さの中で、彼女は笑みを浮かべていた。

 長い金髪を漂わせ、青い氷の瞳を向ける。

 その顔に艶やかな笑みを刻んだ彼女は、ゆっくりとグラディスを迎えた。


「こういう日が来ないことを、願っていたのだけれど」

「避けられない事でしょう。私と貴方は対であり、殺しあうが定め。どれだけ避けようとも、逃げようとも、できはしないのです」

「そうかも、しれないわね」


 互いにこうして顔を合わせ、言葉を交わした機会など数えるほど。

 生まれてすぐに東西の塔へと幽閉され、一度だって顔を見ていなかった。

 それでも、心は繋がっているもの。

 顔を知らずとも二人は幼い頃から互いを知っていた。

 負った定め、そして魂の根源。

 会えばどのような結末が待っているかなど知っていた。

 知っていて、足掻いた。


「貴方には、綺麗なままで死んでもらいたかったのよ、私。できれば、私が直接手にかけないように。だからこんな回りくどい呪もかけたのに」

「この呪が、私を生へとしがみつかせたのでしょうね。生きている事に何の未来も見出せなかったけれど、死を間近に感じて怖かった。貴方が私を殺したかったのならば、王族と一緒に葬るべきだったのです」

「そう。何が仇になるか分からないものね。私は貴方に、限りある命を有意義に過ごしてもらいたかった。姉としての最初で最後の優しさのつもりだったのよ」

「本当に、何が仇になるか分からないものです」


 グラディスは溜息をつき、過去の己を悔いる。

 ここからしばらくは、なんとしてでも生きて耐えねばならなかった。


「仕方がないわね、過去を悔いても。こうなってはもう何をしても無駄な事。さぁ、互いの願いをかけて、死合いましょうか」


 女王の艶やかな笑みがより毒を増す。

 大気の流れが変わっていく。

 より冷たく凍っていく。

 この氷に捕まれば逃れる術などない。


『氷塊の楔、大気凍り包まれる銀世界に温もりある生命は閉ざされる。絶対零度の風よ、全てを閉じよ ―― フリージング!』

『太陽より落ちるは断罪の槍。赤き光り炎獄の如く全てを焼き尽くさん。しかして後、全ては無へと返らん ―― エクスプロード!』


 炎と氷がぶつかり合う。

 一気に凍りつく大気を裂くように、天から赤い光りが落ちて爆風と炎を生み出す。

 両者譲らないものの、グラディスには余裕がなかった。

 少しでも気をぬけば女王の魔法に勝てない。

 効力が切れるまで、一切の余所見もできない。


 だが、女王はまだまだ余裕だった。

 動きずらいドレスなど無視し、軽い感じでグラディスの背後まで迫る。

 その手には氷で作られた剣があり、グラディスの息の根を止めようと狙う。

 気付いたグラディスはそれを飛びのいて避けたが、力の差は歴然だった。


「抗うだけ無駄よ、グラディス。貴方は私に勝てないわ」

「それは、やらなければ分からないことです」


 指を組み印を結ぶと、床には魔方陣が描かれる。

 赤々と燃える陣は強い力を意味していた。

 だがそれは、同時にグラディスに大変な無理をかけることでもある。

 本来持つ魔力の十分の一くらいしか使えない現在では、大きな魔法は体の負担にもなるのだ。


『浮かぶ円陣に刻まれし世界より、来たれ異界の住人よ。その力をもって速やかに、我敵を打ち払わん。赤き瞳、猛き咆哮をあげ、眼前の敵全てを焼き払わん ―― ドラゴン・フレイ』


 陣から真っ赤な体色のドラゴンが首をもたげる。その口を開き、人の頭ほどある真っ赤な火球がその口の中に出来上がっていく。

 ただの火球ではない。魔力や炎を凝縮したものだ。


 だが女王は、それをまったく相手になどしていなかった。

 むしろ「その程度か」といわんばかりに笑い、無防備にしてみせる。


「終りです」


 グラディスの声と共に火球は女王めがけて放たれた。

 迫りくる火球。

 だが、女王はそれが当たるより前に右の手の平で、その火球の動きを完全に止めてしまった。

 みるみるうちに凍りついた火球は、やがてその力を失ってゴトリと落ちて砕け散る。

 それを目の当たりにしたグラディスは、がっくりと膝を落とした。


 動く力がない。力が底をつきそうだ。

 少なくとも今すぐに動けと言われれば、それは辛い。

 ひやりとした手が背後から、グラディスを捕まえるのにも抵抗できない。

 そのままゆっくりと、足元から氷が這い上がってくる。


「綺麗なまま、ずっと傍に置いてあげるわ、可愛い弟。この氷柱の中で、貴方の仲間も全て死に、この世界が氷に閉ざされるのを見ているのね」


 ピシッパシンと氷が体を這って登ってくる。

 抗おうにも動く事ができない。

 少しでも遅らせようと首を反らすが、それでもそのまま凍ってゆく。

 グラディスの世界は遠くなり、瞳は見えなくなっていく。

 全ての感覚が消えていく中、グラディスは切に願った。


 どうか、間に合ってくれと。


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