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志を継ぐ者(4)

 切っ先がまさにウェインの命を奪わんとした、その時だ。

 突如強い光が二人の間に落ちた。

 目が眩むほどの白色の光。

 その衝撃でウェインは後ろへと尻餅をつき、ロッシュは数歩後退する。

 光が徐々に、ゆっくりと落ち着きを取り戻す。


 そして二人の目の前に現れたのは……。


「ファウス……なのか?」


 ウェインの前に両手を広げ、庇うようにしているファウスは生前と何も変わらない様子で背後のウェインを見る。

 その表情は少し怒っているようだった。


「ファウス!」

『陛下』


 声が少し薄い感じがする。いや、その姿も半分は透けていた。

 そのままゆっくりとロッシュへ歩み寄ったファウスは驚き声のないロッシュの前で膝を折り、頭を垂れた。


『最後のご命令を守れず、このような姿での再会となった事を、お許しください』

「……一目でも会えたなら、もういい。俺こそ、お前を一人で逝かせて悪かった」


 押し殺すように辛く苦しく出た言葉は、思いのほか硬い。

 でも、満足そうに笑みを浮かべて顔を上げるファウスの表情に、彼の心が見えた気がした。


『陛下、最後にお願いがございます。どうか貴方に尽くした十八年間の恩賞と思い、聞き届けては下さいませんか?』


 改まった様子で言うファウスは背後を気にしているようだった。

 ロッシュもまた、そちらを見る。

 呆然としたウェインが、ファウスを凝視している。


『ウェインを、どうかお傍に。あの男は忠義に厚く決して人を裏切るような人間ではありません。傍に置けば、必ず貴方の役に立ちましょう』

「だが、国を裏切り、そしてお前を裏切った過去はどうする」

『私を裏切った?』


 とても疑問そうに首を傾げるファウスは、ばつの悪い表情を浮かべるウェインを見て察した。

 そして、本当に穏やかな笑みを浮かべた。


『それは誤解です。そもそも、あの街の魔方陣を全て発動させた時点で、私の命などなかったのです。彼は私の最後を見取った人。私の友情そのままに、私の死に涙してくれた男です。おかげで、私は一人で逝かずに済んだ』


 ファウスは立ち上がり、床に座り込んだままのウェインの傍に行く。

 そして、そっと抱き寄せるように首に腕を回す。

 当然実体などないのだから、その腕は透けて通りぬけてしまうのだが、それでも構いはしなかった。

 大切な事はこの行為で、伝わるのだから。


『有難う、ウェイン。私は十分にしてもらった。けれど、後一つ叶えてくれるのならば、どうか陛下の傍に。貴方はまだ死んでいい人間じゃない。貴方は生きて、新たな世界を支えてください』

「私にはそんな資格はない」


 国を、友を裏切り続け、たった一人の肉親すらも不幸にしている自分に新たな世界など荷が重い。


 ウェインはロッシュを見つめる。

 ロッシュの瞳からは先程の怒りも殺気も消えてしまっている。

 厳しい表情は、崩れないままだが。


『貴方は国を裏切ってもいなければ、我々を裏切りもしていない。太子の願いを叶え、肉親を守った。貴方が一番苦しんだことでしょう。もう、その苦しみから解放されていいはずです。死のほかに』


 ファウスの説得は、頑ななウェインの罪悪感をゆっくり包むようだった。

 本当は、こんなところで死にたくはない。

 今更ながら、仕えるべき人物も見つかったように思える。

 この世界が変わるというのならば、その世界を見てみたい。

 だが同時に、常に付きまとう自責の念が苦しめる事を思うと、到底それに耐えられるようには思えなかったのだ。


 カツンと、硬い靴音が石畳を弾く。

 ゆっくりと、でも確かに近づいてくるロッシュに視線を移したウェインは、どこか安堵した。

 その瞳に再び、冷たい光が宿ったからだ。

 手には剣がある。そして、表情は慈悲に暗く沈んでいた。


 剣を首筋に当てたロッシュをファウスは青い顔で睨みつける。

 だが、ウェインは素直に頭を垂れ、差し出した。


 今のロッシュは憎しみからこうするわけではないだろう。

 おそらく、心中を察し哀れんだのだ。

 苦しみが長く続く人生だと察したのだ。

 ウェインは穏やかな笑みすらも浮かべていた。


『陛下、お待ちを!』


 振り上げられた剣が、ウェインの首めがけて振り下ろされる。

 ファウスが助けようと前に出るが、先程一回その剣を退けるのが精一杯でもう力など残ってはいない。

 実体のない体をすり抜け、刃はその首に。


 瞳を閉じたまま、断罪の時を待つウェイン。

 その時間はどんなに長いものなのか。

 沢山のことが走馬灯のように駆け抜ける中、僅かに首の後ろに痛みが走る。


 だが、それだけだ。

 案外一瞬の事なのかとも思った。

 だが、カランと金属の何かが石畳に落ちる音がして、ウェインは恐る恐る瞳を開けた。


 床に転がったのは、髪を束ねていた髪留めだった。

 そして、床に広がった長く黒い髪。

 切れた首の辺りに触れると、そこから先の髪がなかった。


「ウェインはここで一度死んだ。こっから先は俺の知ったこっちゃない。好きにしろ」


 剣を納めたロッシュは少々恥ずかしそうに視線を外す。

 ファウスも安堵した笑みを浮かべている。

 ウェインだけが、許された事に今もまだ戸惑っている。


 だが、ゆっくりとロッシュの言葉が染みていく。

 許すと言った若い王を見上げ、ウェインはもう一度深く考えた。

 何が一番の、罪滅ぼしなのかと。


『ウェイン、今貴方がこちらにきても、私もカーマンも許さない。なすべき事ができる人間がやらなければいけないのです。私も彼も、もうその資格がない。貴方に託すしかない。勝手とは思いますが、どうか私達の見られなかった夢を叶えてください』

「ファウス……」


 見上げた先の友人は、本当に強くそれを望んでいる。

 そいて、血の通う自らの手をウェインは見つめた。

 まだ、触れることのできる体がある。

 まだ、全員に届ける声を持っている。

 何が一番の罪滅ぼしなのか。

 そんなのは、既に分かっていることだ。


 改めてウェインはロッシュへと向き直る。

 そして、片膝を立て深々と頭を下げ、朗々と響く声で新たな誓いを立てた。


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