『漆黒の騎士は在りし日の想いを胸に、暗き希望を胸に立ち上がる。その願いも共に』
(デトラント王後記より)
グラディスの体調は、その後一日を過ぎても回復の目処が立たなかった。
森の中に運び入れ、最初に飛ばされた小屋のベッドに横たえて二日目の夜、黙り込んだまま考え込むロッシュと、まだ多少体の痛むラクシュリ、そしてジュリアの四人はそれぞれ思うものを口にすることなく、夜を過ごしていた。
「それにしてもグラディスの奴、一体いつまで寝込むつもりだよ」
「仕方がないさ。呪いの翼が一つ広がった。こいつは命を食って羽を広げる。その時の痛みや苦しみで死ぬ奴だっているって話だ。正直、グラディスはよく耐えてるほうだと思うけどね」
額の汗を拭い、ジュリアは憎らしく呟く。
多少落ち着いてきたとは言え、まだ息は荒く熱は下がりきってはいない。
時折辛そうに呻く声が、ラクシュリにはたまらなく辛かった。
「さて、私は食べ物と薪を探してこようかな」
「じゃ、俺は水汲んでくる。ロッシュ、後任せたからな」
ラクシュリの言葉にもロッシュの返事はない。俯き、壁に背を預けたままだ。
だが、そんな彼を誰が責められただろうか。
育ての兄であったファウスを、失ったのだから。
出て行った二人を見送り、その足音が消えるまでロッシュは耐えていた。
そして、人の気配が消えた頃に立ち上がった。
手には聖剣。
それを抜き、横たわるグラディスの上へとかざしたのだ。
握っている柄に汗をかく。
ずっと自問自答を繰り返していた。
憎しみと、仲間だという意識と、罪悪感で一杯だった。
それでもこの悶々とした気持ちをどうにもできなくて、行動を起こしたのだ。
女王を倒すには女王の血が必要だ。しかも少量の血では駄目なのだ。
そうなると、女王に一度深手を負わせた後でもう一度止めを刺さなければいけない。
そんなことは可能なのか。
ずっと考えて、自信をなくした。
振り上げた剣を、振り下ろす事がどうにもできない。
少しの仲だが、グラディスはどこかファウスと重なる部分があった。
同じ魔術師だからだろうか。それとも、もっと深い部分なのか。
そんな彼を傷つける行為を躊躇う。
結局は剣を下ろして床に座り込み、苛立たしく髪の毛を掻き回すことになる。
「……どうして剣を、振り下ろさないのです」
「!」
絶えそうな弱い声に驚き、ロッシュは顔をあげる。
眠っていると思っていたグラディスの瞳とぶつかった。
こうなるともう自嘲気味な笑みしか出てこなくて、ロッシュは力なく笑った。
「起きてるなら、止めろよな」
「……犠牲を払わずに女王を止める方法を探し、無理だと思っていたので」
「だとしてもだろ。お前殺して、聖剣を完成させるつもりだったんだぞ。肉親のお前なら血が繋がってるってさ」
女王の血は女王自身の血でなければならない。そんな物はどこにもない。
会話を聞く限り、グラディスは女王の肉親だろう。それならば、流れる血は同じではないかと。
あまりに身勝手な理由で、それを利用できないかと悩んでいた。
そんなこと、グラディスにはお見通しであった。
むしろ望んでいた。
グラディスも女王を止める自信が持てずにいたのだ。
ならば、信頼する仲間に命ごと託そうと、身勝手に考えていた。
「願わくば、死にたくなんてない。やっと得た仲間と、もっといたい。けれど、女王を止める事は難しいのです。私の力が完全な形で戻ってきても。だから」
「俺がお前を殺して、この剣を完成させて、それで女王を殺してもらおうと思ったわけか。考えが一致してるから、それでいいって?」
グラディスは頷く。
だが、向けられたロッシュの辛く暗く悲しげな鋭い瞳に、この考えが間違いだと知る。
身勝手な事だろうとは思っていたが、まさかこんなに辛く、言い表しようのない顔をされるとは思わなかった。
「……やっぱ、俺もどうかしてたな。色々あって、おかしくなっちまってたんだ。仲間殺そうなんて、馬鹿な話だ」
そう言って聖剣を納めたロッシュの手が、まだ熱のあるグラディスの額に触れる。
そして甘やかすように撫でて、力ない笑みを浮かべた。
「お前を殺すのは、まるでファウスを殺すみたいで嫌だからな。生きて、もっと沢山楽しいことも知らないと」
ひやりとするロッシュの手に甘えながら、グラディスは瞳を閉じて笑みを浮かべた。
誰からも愛されず、誰からも理解されず、ただ孤独に全てを背負って生きていくものだとばかり考えていた。
だが、そうではなかった。
得たものの幸福を感じて、グラディスは嬉しそうに笑っていた。
◇◆◇
凍るような城内の西の塔。
ここはかつて、幽閉に使われていた場所だ。
現在はこの塔の階下をウェインが使っている。
質素な部屋にはテーブルセットとベッド、サイドボードがあるだけ。
そんな室内に一つだけ、不釣合いな肖像がある。
椅子に座った幼いファウスと、その両隣に同い年くらいの少年が二人。
片方はウェインだ。
「ファウス、カーマン太子、私もそろそろ行かねばならない」
肖像に軽く手を触れ、ウェインは妙に穏やかな笑みを浮かべた。
手には剣を、身に纏うのは漆黒の鎧。
戦いに出向く井出達なのに、心はとても穏やかだった。
ウェインとファウス、そして王太子でありロッシュの兄であるカーマンは幼馴染で親友だった。
ウェインは何の疑問も抱かず、志を同じくするファウスを親友とし、カーマンを主とした。
気さくな友二人はウェインにとって誇りで仲間。
日々が楽しく、色鮮やかな時間だった。
やがて、ファウスは師匠と共に城を離れる事となった。
カーマンもウェインも別れを惜しんだ。
ウェインは今でもはっきりと覚えている。
― 何があっても、この絆は切れはしない。約束だ、友よ。
その誓いの言葉は、今になって胸に刺さる。
結局、約束など守れはしなかった。
絆は、切れてしまったのだから。