女王の軍は花街の門を突破した。
異質なものを検知し、警報を発する魔法がそれを町の全員に知らせる。
町は誰もいないかのように静かだった。
「町の人間を探し、魔術師とその一味の行方を聞け!」
ウェインの声が響く。
意思のない傀儡の兵はのそりのそりと動き出す。
家々の扉を破り、生き物の気配を探し、くまなく炙り出そうとする。
女王はそれから少々して花街に降り立った。
冷ややかな風が一つ吹くとそこに音もなく姿を現す。
魔法などとは無縁のウェインには、とても信じがたいものだ。
親友に魔術師がいるが、彼にもこんな芸当は無理だろう。
「相変わらず嫌な町ね。あちこちにトラップが張ってあるわ。どれも、機能などしていないけれど」
「機能していない?」
ウェインは怪訝な顔をする。魔術師ではないウェインには何も感じられないのだ。
目に見えるような罠はないし、単なる町にしか見えていない。
だが女王はクスクスと笑い、とても甘く囁くようにウェインを見る。
「えぇ、機能などしなくてよ。この町のトラップを動かすのにどれほどの魔力が必要なのかしらね。もしもそんな芸当ができるとしたら、私か、双子の弟だけよ」
最強の魔力を備えた女王と、その血を分けた双子の弟。
ウェインは噂にだけ聞いた事があった。
女王が唯一気にかけ、常にその場所を探し、追いかけ、刺客を差し向けていた人物。
この人をそれほどまでに警戒させるとは、一体どんなつわものか。
「気配が四つあるわ。うち一つが私の弟。随分久しぶりに会うわね。最後に会ったのは……半年ほど前の事かしら?」
戦場に不釣合いな白のドレスを優雅に翻し、女王は町の中央へ向かって歩いてゆく。
辿り着いたのはファウスが持っている楼閣で、明かりは全て消されている。
扉も開けっぱなしになっている楼閣に、女王はゆっくりと入っていった。
辺りを少し見回し、そのまま地下へ。
確かに感じる他とは違う気配を追っていた。
地下にある一際豪華な扉は、とても不釣合いに見える。
その扉を開けた女王は、中で今まさに逃げんとする四つの影を見つけ、綺麗な唇に残酷な笑みを浮かべた。
「こんばんは、運命に翻弄された哀れな方々。こんなところにいらしたのね」
ラクシュリ、グラディス、ジュリア、ロッシュ。
それぞれの人形は表情を硬くして振り返る。
その体はあたかも本物のように小刻みに震え、ジュリアとロッシュは剣を抜いていた。
「あら、そんなに怖がらなくてもいいのよ? 抗っても無駄。諦めることが肝心だわ」
優雅に歩み出す女王に押されて、一歩ずつ後退していく四人。
獲物を追い詰める狼のように、女王はその行為そのものを楽しんでいるようだった。
そして、部屋の中央辺りまでその歩みを進めた、その時だった。
『その身は縛られ、境を越えず。異界に踏み入れし身は縛られ、超える事はない。亜空間結界!』
ベルの響く音と共に、辺りが急に遠く感じる。
この部屋だけ隔離されたようなそのおかしな感覚は、女王とてそう多く経験した事がない。
古に伝わる伝承と、この地に残る僅かな魔術の一族にのみ秘術として伝わるものと聞くだけの代物。
ある特定のものを空間に閉じ込める魔術。
ゆっくりと、暗がりから姿を見せる男を女王は見ていた。
今と未来を映す瞳を持つ、綺麗な顔の魔術師を。
「あら、案外綺麗な顔をしているのね、坊や」
「お褒めに預かり光栄です、女王陛下」
互いに優雅な礼をするが、その心は既に戦っている。
ファウスはジッと女王を見据えたまま動かない。
その手にはベルを持ち、いつでも魔法を使えるように準備している。
「そんなに警戒しなくてもよくてよ。まだ、許してあげるわ」
「いえいえ、この国を混沌に飲み込もうなどと恐ろしいことを考える貴方を前に、警戒するなと言われてもそうは参りません」
「随分な言いようね。私はこれで寛大なのよ? 貴方が四人を差し出してくれればそれでこれまでの罪を不問にしようっていうのだから、悪い話ではないでしょ?」
ファウスは一瞬、背後の四人を見た。
魂の欠片を入れただけの人形は随分頑張ってくれている。
今ここで悟られてはならないのだ。
もう少し、立派に演じてもらわなければ。
女王はゆっくりとファウスに近づく。
ファウスは間合いを気にしながら、それを避けて後退する。
額に薄っすらと汗が浮かんだ。
「亜空間など無駄な事よ。さぁ、早くここを解いて下さらない?」
「お断りします」
「それは困ったわ。そうなると……」
ふわりと、女王の姿が掻き消えた。
ファウスは完全にその位置を見失ってしまう。
狼狽し、辺りを何度も見回す。
その背後、闇の中からスッと伸びた手が、冷たく首筋に触れるまでは。
ひやりとした手が、まるで誘惑でもするようにファウスの首に絡む。
背中に気配を感じる。冷たく、恐ろしいものがヒタリと背に張り付いた。
「貴方を殺すしか、なくなってしまうわ」
心臓が強く鳴る。
殺されると確信する。
それでも真実を言う事はできない。
ファウスは口を閉ざし、ベルに力を集中させた。
「私一人が死ぬことはできません。貴方にも、お供願います」
女王は捉えた体を一瞬の判断で離した。
ただならない力の集中を感じたのだ。
ファウスの体を中心に光が集まってくる。
そして、それはゆっくりと言葉になった。
『天地の神よ、この身に流れる魔力の全てをかけて願う。水は澄み、天は光り、悪しき魂は天へと還る。天より舞い降りる救済の手よ、死せる魂を黄泉へと送れ!』
四方八方から響くベルの音。それはどこからともなく聞こえてきた。
女王はこの時ようやく、この全てが亜空間などではなく、ファウスの作り出した幻想であると知った。