ファウスはその血を使って、人形の額に何か呪文のようなものを書いていく。
他の二人のものにも同じようにしてから、床に腰を下ろし特殊な匂いのする蝋燭を灯し、指を組んだ。
『命より生まれし赤き滴は赤き糸となり、魂なき傀儡にしばしの命を与えん。傀儡は魂を模し、同じ命の一部を宿す寄り代となる ―― マイン』
一筋の流れが銀色の光を放って伸びてゆく。
それが人形を囲み静かに消えてゆくと、人形は少しずつ変化を見せた。
身長はそのものの通り伸びたり縮んだり、体や顔、髪の色までそっくりに変化を始めたのだ。
「術が定着し、完成するにはまだ少しかかります。夜に、ここを出てください」
ファウスは笑って全員に言った。そして、一際豪華な食事を用意し始めた。
まるで、最後の晩餐を楽しむように。
◇◆◇
その夜は、星月夜だった。月のない夜は風が冷たく、心を凍らせた。
出立まで時間があると、それぞれ思い思いの事をする中でファウスは一人窓から城を見ていた。この場所から城まではほんの数刻だ。
見つめる先で過ごした日々を思い出す。
師が健在で、親友がいて、王太子とも親しかった。
悪い事もしたし、遊びもした。
十歳の子供だったが、あの時誓った親友との言葉は今でも真実で、胸の中にある。
「『何があっても、この絆は切れはしない。約束だ、友よ』か。貴方はあの城と共に、その忠義をまっとうしたんですか? ウェイン」
懐かしい名を呼ぶ。生きているかも定かではない、友の名を。
その時、硬い足音が近づいてくるのに気付いた。
誰かは問う必要がない。
同じように不器用な、優しい魔術師の気であるのだから。
「ここにいましたか、ファウスさん」
「グラディス殿」
戸口に立つグラディスを、ファウスは招く。
近くに座った彼に紅茶を出し、また外を見る。
そして、ポツリと呟いた。
「定めとは残酷です。未来など、見ないほうがいい。それでも、見えることで救えるものがあるならば、それが自分にしか出来ないことならば、覚悟も決まるものですね」
その言葉が重く、グラディスにのしかかる。
グラディスにはファウスのように、はっきりとした未来は見えていない。
だが、予想することは容易だった。
敵は手を選べないほどに、強いと知っているのだから。
「貴方は、自分の未来を知ってるのですね」
ファウスは答えない。代わりに、右の目を瞑った。
窓に映る自分を塞いだ。
「いくつもの道がある。人はそれを選ぶ事で、未来を決める。けれど中には、選べない者もいるのでしょう。最初から筋が書かれ、抗う事が出来ない者も。変わるのは、取るに足らない些細な事のみ。どの道を行っても、未来は同じ結末に続く。貴方も、王子も、私も、この呪いから逃れる道はないのでしょう」
「……では諦めて、神が描く呪いにただ屈しますか?」
グラディスの瞳は、珍しく挑発的に向けられていた。
そして、胸元を握る。
考えていたのだ、ずっと。運命に負けない方法を。
「私は、諦めたくはありません。やっと見つけたのです。大切なものを。目を逸らすこともやめました。神がこのちっぽけな命を差し出せと言っても、私は『はい』とは言わない。生きたいのです、まだこの場所で。この、仲間の元で」
「グラディス殿……」
グラディスはやんわりと笑う。
そして、自分の指にはまる指輪に一つキスをして、それをファウスに差し出した。
「生きることを、諦めてはいけません。望みを失くせば人はただ堕ちるのみ。困難でも、願ってください。その願いに応じぬ神ならば、それは神などではない」
ファウスの指に、グラディスは指輪をはめる。
そして、その手に自らの手を重ね、強く握った。
「私にはもう、恐れはありません。覚悟もしません。これはもう、必要ない。だから私の力と願いをこめて、貴方へ」
指輪を通して感じる強い力。それが自分の中に流れ込むのを感じる。
ファウスは瞳を閉じ、諦めている願いを何度も反芻した。
― ただ生きて、王子の傍にありたいと。
◇◆◇
ロッシュはテラスにいた。
涼むには風が冷たいが、どうにもならない不安、重い期待、弱すぎる自分を凍らせるには丁度よいものに思えていた。
そこに小さな来客があったのは、そろそろ身も冷える頃だった。
「こんなとこにいたのか。寒くないのか?」
「ラクシュリか」
男装をした幼い少女が悪ぶって近づいてくる。笑みもなんだか悪ガキのよう。
それでも、ロッシュには大きく見える。その信念に感服する。
ラクシュリはロッシュの隣に来て外を見る。
見えるのは町と、少し遠い城だけ。本当に、驚くくらい静かだ。
「ラクシュリ、お前はどうして旅をしているんだ? 女の身で、長い旅を」
不意にされた質問に、ラクシュリは一瞬目を丸くする。
だが次には、少し笑みを見せることができた。
胸を張って、言えるものがあるからだろう。
「兄様を守る為さ。俺がいちゃ無用な争いが起こる。幸い、神様もあっさり私を見逃してくれたから、今じゃ自由な身さ」
「帰りたいとか、寂しいとかは思わないのか?」
「そりゃ、まったくないわけじゃないぜ。でも……それはできない。俺はこうすることで大事なものを守ってるんだ。胸張って言える。遠く離れても、俺は故郷を思ってるって」
淀みない眼差し。ロッシュにはそれが羨ましかった。
感じていたのは、実感のない王族の身分。大きすぎる期待。
守るべきものが大きすぎてその輪郭が捉えられない事。
立派な兄を見てからの劣等感。
そして生まれたのは、本当に自分は必要なのかという疑念だった。
各地を転々として過ごし、教育も武術もこなしてきた。
そうして接してきた人々は好きだった。
けれど、国を愛するという気持ちとは何か、違うように思えていた。
ロッシュにとって真に愛すべきものは、傍にいたファウスと、その師のみだったのだ。
いつしか思うようになっていた。
楽園と共に王家は滅んだ。
遅参の過ぎる役立たずの王など、王宮を離れその心を知らぬ王など、本当に必要なのだろうか?