物言わぬ体を抱き締め、地に尻をついたジュリアはその温もりを愛しく抱いた。
言葉はなくとも、温もりだけでかまわない。
そう、瞳を閉じて言い聞かせた。
『ジュリア……』
声が上から降りてくる。耳元に、心に落ちる。
ジュリアは目を開け、その顔を見た。
生前の、柔らかな表情が浮かんでいる。
『ジュリア、ごめん』
「謝るな、馬鹿」
『すまない……』
「謝るなよ! 私が悪いって、言えよ……」
胸が潰される。声が出ない。
どうしてこんなに苦しい思いを二度もしなければいけないのか。
ジュリアは、零れそうになる嗚咽をこらえた。
『ジュリア……』
「……なにさ」
『愛していたよ』
ふわりと、体に重なる重みが消える。
それはまるで泡のように、光に透けて浮かび上がって消えていった。
腕には何も残らない。残ったのは、体を貫いた剣のみだった。
「……知ってたわよ、そんなこと。とっくの昔に」
気付いていたけれど、確かめなかった言葉。時間は延々にあると思って疑わなかった。
それが、覆るまでは。
もしもこの気持ちを互いに確かめ合っていたならば、この結末は変えられたのだろうか。
それだけが悔やまれる。
肩を震わせ、身を小さくして震えるジュリアにグラディスは近寄ろうとした。
けれどそれはラクシュリに止められてしまう。
不満げに見下ろすグラディスに、ラクシュリは静かに口を開いた。
「野暮な事するなって。戦士は泣き顔を見られるのが嫌いなんだぞ」
強くあろうとするならば、弱い自分を見せたくはない。
もしも見せるのならば、それは特別な相手だけにだろう。
やがて、静かな黙祷の時間が過ぎてジュリアは立ち上がる。
刺さった剣を抜き去ると、不思議と傷は消えていた。
その剣を天高々と掲げた彼女は背後の二人に向き直った。
「時間、取らせたわね」
「いいえ。もう、よろしいのですか?」
「えぇ、いいわ。アタシにはこんなところで立ち止まってる時間なんてないもの」
剣を丈夫な布で包み、革紐で縛る。
そうして背負うと、ジュリアはまったく変わらない様子で二人の前に立つ。
そして、晴れやかな笑みを浮かべた。
「さて、二人の目的を果たすとしましょうか。そこに扉があるみたいだけど?」
指差したその先を見れば、確かにそこに扉がある。
三人は連れ立ってそちらへ向かった。
扉の先は、少し休める程度の小さな部屋。その部屋からまた奥に続いているようだった。
不思議な部屋で、なんだかとても心が落ち着く。
天井から透明な光の差す感じがある。
そしてそこに、小さな苗木があった。
「もしかして、これ?」
大樹ユグドラ。
そう聞いていたから、もっと大きなものを想像していたラクシュリは拍子抜けしたような声を上げる。
それはジュリアも同じだったらしく、二人は一斉にグラディスを見てしまった。
静かに、グラディスは近づく。
そして苗木に手を添えて深く息を吸った。
だが既にその苗木からは生命の息吹は感じられず、ただ朽ちるだけのものになっていたのだ。
「駄目です。これはもう、死んでいる。育たなかった」
肩を落とすグラディス。
希望はついえたように場が静まる。
だが、それを打ち破ったのはラクシュリだった。
「じゃ、城に行くしかないんだな。ぐずぐずしてると手遅れになるぞ」
「え?」
肩を落としていたグラディスの顔が上がる。
驚いた顔で、ラクシュリを見てしまう。
堂々とそこに立つラクシュリが、大きく見えたように感じた。
「あんた、大胆な事言うのね。分かってる? 城は今女王の根城よ?」
「でも、そうしないと死ぬんだろ? あるのに手を出さないで、諦めるのかよ」
「あの、でも……」
期待してはいけない。行きたいなんて言えば、どうなるのか。
付き合うつもりだろうラクシュリまで巻き込んでしまう。きっと、死んでしまう。
分かっている、結末なんて。
それでも、願ってしまう自分がいる。生きたいと願ってしまう。
「グラディス、お前はどうしたいんだよ。このまま諦めて死にたいのか? それとも、無謀と分かってても生きたいのか」
願いを口にすることは許されてこなかった。誰も聞いてはくれなかった。
だからこの時初めて、グラディスは願ったのだろう。
ただ一つ、この生を。
「生きたい……。私は、まだ」
「それなら、決まりだな」
ラクシュリの笑みが、グラディスを引き上げる。それに向かって、立つ事ができる。
グラディスは立ち上がり、しっかりと前を向いた。
「んじゃ、方針も決まったし行こうか。私も付き合うから、とりあえず依頼主の所まで行こう」
「はぁ?」
今度はラクシュリが素っ頓狂な声を上げる。
だがジュリアの方は当然という顔で、二人を見て笑った。
「やっぱ、アタシも女王に一太刀入れたくなった。それに、この剣が聖剣ならこれを渡す相手もきっと同行するしさ。そうなったら、立派なパーティーになる。女王討伐の立派なパーティーさ」
その言葉に、グラディスは考え込んだ。
運命は巡る。それを運命と受け入れずとも。
こうなるとは思っていなかった。
でも、定められたものを変える力は、ちっぽけな自分たちにはないのだろう。
女王討伐の声は、今この時小さいながらも、確かな力を持って上げられたのだった。