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愛しい人(2)

 激痛に声を上げたアシュレーに、ジュリアは気を取られてしまう。

 駆け寄ろうにも不死身の兵がそれを阻んだ。


「あら、可哀想に。ウェイン、そこまでにしておやりなさい」


 女王の心を凍らせるような声。

 アシュレーは傷を負った肩を庇いながら、女王を見上げる。

 すくみ上がるような見下ろす瞳。心の底が冷たくなる。


 女王はまったく何の警戒もなく、アシュレーに触れた。

 そして、魅惑的な瞳で見つめ、笑みを浮かべる。


「戻る気になったかしら?」

「誰が……」

「貴方だけでも戻るなら、彼女を逃がしてもいいのよ?」


 その言葉は、アシュレーの気持ちを揺らした。

 自分一人を犠牲に、彼女を救えるならば安い。

 そう思った。だが、響く約束の言葉が呪縛する。


 ― 必ず、二人で出よう。


「……分かりました」


 アシュレーは庇っている手をどける。自分の血で濡れた手を、そっと胸に当てる。

 それはあたかも恭順の印のようにも見えた。


「アシュレー、諦めるな!」


 強い女神の声が響く。

 当然、諦めてなどいない。

 もしも可能性があるのならば本当に一瞬しかない。そこを逃せば……。


「いい子ね、貴方は」


 満足そうに女王は微笑む。そして、誘惑でもするように更に体を近づけたその時。


『封じられし力、今この時解放を求める!』


 胸に当てたその手の内には、赤い宝石があった。

 その昔、立ち寄った町で見知らぬ魔術師がお守りだと言って渡したものだった。

 何の役に立つのかと思っていたが、まさかこんなところで役立つとは思わなかった。


 眩い閃光。炎が一気に吹き上げ、辺りの全てを赤く飲み込んでゆく。


 アシュレーは立ち上がり、よろけながらも走った。

 その手を、ジュリアが握り走り出す。

 炎によって不死身の兵士も灰に消えた。

 もう二人を阻むものはなにもない。


『おのれ、小ざかしい真似を。我を傷つけたその報いは己が身に注ぐと知れ!』

「くっ!」


 強い呪いの言葉がアシュレーを呪縛する。

 その背に焼けるような痛みと、急速な脱力感。その後は意識が混沌として、足の一歩も踏み出すことが出来ない。

 ジュリアはその体を担いだ。そして、必死に足を前に出した。


「諦めるな! 私達はこれからまだ、ずっと一緒に旅をするんだぞ!」


 その言葉が、消えかける希望と気力を奮わせる。

 動かなくても必死に、逃げようと足掻く。

 そうして、二人は城門をどうにか出る事ができたのだった。


 その後、二人に追っ手はなかった。

 だが、アシュレーの状態は思わしくなく、負った傷は回復の兆しを見せない。

 そして、背に羽をつけた骸骨が、不気味に浮き上がっていた。

 それが、命を内から食いつぶす恐ろしい呪いだと知るのは、もう少し後のことだった。


◇◆◇


 アシュレーの死から、既に数ヶ月がたっている。

 最後まで辛いも苦しいも言わず、こんなに我儘を言ったジュリアを責める事もしなかった。

 責められた方が、よかっただろう。


 今も、どこかで嬉しいのだ。もう二度と会うことはないと、その温もりを感じる事もないと思っていた人が今目の前に、体温を持っている幸福。

 幻だと知っていてもなお、ただ嬉しかった。


「懐かしいな、この感じ。よく、二人で剣を交えたっけ。お前はいつもアタシに勝ちを譲ったわね」


 懐かしい記憶。

 鍛錬といって、二人でよくこうして戦った。

 結果はいつも分かっていた。

 アシュレーは決してジュリアに本気を出さなかった。

 それが原因で喧嘩にもなった。それが今では、懐かしい。


 剣を構える。その剣が激しく鳴った。

 アシュレーの剣は予想以上に重たい。腕にビリビリと来る。

 それでも返せないわけではない。ジュリアは上手く弾き、逆に剣を突き出した。


 突いた剣を弾かれ、逆に上からの斬撃を受けて、交わして、薙いで。

 一進一退の攻防が続く。

 明らかにジュリアの旗色は悪かった。


「ジュリア!」


 背後で声がする。

 振り返る必要なんてない。少年のような、少女のような声。

 そしても一つの足音。今一緒にいる仲間。


「手出すんじゃないわよ! これは私の戦いなんだから!」


 駆けつけたラクシュリとグラディスは実体を持つそれに驚く。

 二人にはこんな実体なんてなかった。ただ、鏡があっただけ。


「軍神の、試練でしょうか」

「手を出すなよ。これはジュリアがやんなきゃ意味ない」


 見守る事を決めた二人は巻き込まれないように一歩下がる。


 ジュリアは考えていた。

 このままやりあっても解決の糸口なんて見えない。むしろ体力を削られてしまう。

 そうなれば、無茶も通らない。


 太刀筋は間違いなくアシュレーのものだ。

 力があり、重たいが直線的で、防ごうと思えば防ぐ事ができる。

 だが、隙がない。


 トンと地を蹴ったジュリアは相手の斬撃などまったく無視で向かってゆく。

 それは一見無謀でしかない。

 容赦なく、剣は突き出される。

 それに対し、ジュリアは防ぐ動きもかわす動きも一切見せなかった。


「無茶です、ジュリアさん!」

「あいつ!」


 アシュレーの剣がジュリアの左肩を深々と貫くのと、ジュリアの剣がアシュレーの胸を深々と貫くのはほぼ同時だった。

 血が、腕を伝って滴り落ちる。

 アシュレーの体が、ゆっくりとジュリアに向かって倒れた。

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